見出し画像

ガイドブックを持たずに

散歩へ出かけることにした。暇を見つけては散歩へ出かけるのが日課になってきている。今は腱鞘炎で制作ができないのもあるけれど、そうなる前は制作にのめり込みすぎてしまい、インプットとアウトプットのバランスが崩れたために腱鞘炎というストップがかかったような気がしているため、これからはもう少しインプットの比率を多めにしていきたいと思っている。

近頃、毎週末のように散歩へ出かけている、母から影響を受けているのもあるかもしれない。でも私と母には大きな違いがある。それはガイドブックがあるかないかだ。私は目的地が決まっている散歩にあまり興味がない。Googleマップを見て大体のエリアを決めたら、とにかく適当に歩く。ガイドブックのオススメスポットに行ってみたら大したことなかった、みたいなことはよくあるけれど、目的地がない私には期待外れなんてことはそもそも起きない。始めから何も期待していないし、何も求めていないから。それはガイドブック派からすれば、とてもつまらないかもしれない。

では何を楽しんでいるのかというと、自分は何に心が惹かれるのかを見つけること自体を楽しんでいる。自分の心の動きとは、用意された土俵では見えづらく、とても微細な動きなのだ。


今日は、気になるけど坂道が急だから自転車では行けないなー、と思いながら通りすぎていた曲がり角を曲がってみることにした。角には「億萬坂」と書かれた看板が立っていて、どうやら歴史のある坂道らしい。伊東での散歩はいつも登ったり降ったり。私が暮らしている新井とも、先日散歩した地区ともまた違う雰囲気が漂っていた。それぞれの街には、その街の空気がある。この小さな伊東の街だけでも違う空気が漂っているのだから、市や県が変わればもっと大きな変化があるだろう。私が都会から帰ってきて伊東駅に降り立った瞬間、穏やかな空気で安心するように、この街にしかない空気が確かにある。

坂の途中になぜかトトロ。思わずジブリのさんぽを口ずさみたくなる。


時折り現れるレトロなお店は、そこだけ時間が止まっているよう。新井は重機が入れず取り壊すこともできないため、古い街並みがそのまま残っているけれど、ここの地区は新しく建てられた家も散見される。私が古いものが好きな理由の一つに、鮮やかな色彩がある。今はスタイリッシュでシックなものが多いけれど、昔のものは無駄にカラフルだったりするのだ。その色とその色混ぜちゃうの?って色合いもよくある。でも全体のバランスは崩れていない。絶妙なカラーバランスで、派手だけど落ち着くみたいな色彩を成り立たせている。


適当に歩いていたら川が現れた。ここに流れている水は、すぐ下流にある海へと混ざり合い、やがて蒸発して雲となり、雨となって再び山へと還っていく。目に見えない循環の中で暮らしている私たちは、自分もその循環の一部分だということをすぐに忘れてしまう。人間が生きられる尺が長すぎるからかもしれない。でもこうやって自然の側で暮らしていると、ふとした時に思い出させてもらい、焦りや不安や悩みが消えていくのだ。私の躁鬱の波がすっかり穏やかになっているのも、大きな流れに身を任せられるようになったからだと感じている。


ついでに買い物を済ませようと思ったダイソーで、カポックに一目惚れしてしまいお迎えすることに。家のすぐ後ろに山しょってるのに、家の中にまで植物を持ち込んでるのはおかしいと言われた時は、我ながら確かにおかしいと思った(笑)どんだけ緑を側に置きたいんだよ!これはきっと、自然へ近づこうとする私なりの歩み寄り。日々生き生きと育っていく植物の生命力には、感心するばかりだ。


帰り道、煽られる風からカポックを守りながら歩いていると、愛ちゃん!とどこからともなく声が聞こえてきた。その声がした方向を見てみると、ご近所さんが車から手を振っている。小さい街あるあるだろう。どこかに自分のことを知っている人がいて、なんてことのない言葉を交わせる人がいるだけで心が温まる。インターネットという広い海で簡単に繋がれるようになったからこそ、私はあえてこの小さな海の街で探している。気をつけてねー!と言われ、私は手を振り返した。

この記事が参加している募集

#散歩日記

9,967件

#この街がすき

43,736件

頂いたサポートは活動のために大切に使わせていただきます。そしてまた新しい何かをお届けします!