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隠しているその何足ものわらじは個性になる

私は何をやっても1番になれず悔しかった思い出ばかりです。

小学6年生の時に組体操でピラミッドのてっぺんという花形をジャンケンで勝ち取り、さらには念願のリレーの選手にもなれたにも関わらず、本番直前で肉離れになり両方ともパーになった。

大学へは指定校推薦のためだけに高校3年間の成績をしたたかに保ち、1つしかない推薦枠をもらえたにも関わらず鬱で3年間がパーになった。

いくら頑張ってもあと少し届かない結果で終わることが多かった。だからこそ求めたのかもしれないけれど、私はいつも"1番"を目指して誰かと自分を比べていました。


そもそも1番の定義とは?学校で1番になっても、街で1番になっても、日本で1番になってもひたすら上には上がいて、そんな終わりの見えないてっぺん競争は登れば登るほど自分を小さくしていく。

さらにセルフプロデュースによってなんちゃってで出来ることが増えていき、1番になれないものはむしろどんどん増えていきました。中途半端が許せない性格はその一つ一つに本気で向き合うけれど、その道のプロと呼ばれる人達と比べては劣等感を持った。1番に近づくどころか遠ざかっていく…。何足ものわらじを履いていては1番にはなれないと思っていた時期は長くあります。

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シンガーソングライターが歌うこと以外をやっていたって、事務所に入らなくたって、メジャーデビューを目指さなくたって、CDを売らなくたっていいじゃないか。そんな自分も認めてあげられるようになってからは、ナンバーワンになれずに仕方がなく履いていた何足ものわらじがいつの間にかオンリーワンな自分の個性になっていました。

本職じゃないことを褒められることがあると思いますが、その本職が得意な人だけが集まっている場所で余所のスキルを披露すればどうやったって目立ちます。音楽畑で料理が得意な人も、料理畑に入れば目立たなくなるでしょう。周りは同じてっぺんを目指すライバルのみになり、違いが誤差になってしまうからです。

歌が歌えて、ギターが弾けて、曲が作れて、絵が描けて、デザインができて、ホストができて、企画を考えられて、文章が書けて、書類が作れて、予算を立てられれば恐らくどこへ行っても誰かと被ることはない。

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もともと特別なオンリーワーンとSMAPも歌っているように、もともと自分が持っているスキルをふんだんに使うことさえ出来れば誰でもオンリーワンになれる。あとは意味がないと思っているそのわらじを、自分自身が認めてあげられるかどうかなんじゃないかな。



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