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「課題を見つけ、解決策を出す」について~町工場の夫は准教授

気が付けば、もう8月末ですね。年齢を重ねると、時が経つのが早く感じます・・・。

さて、私は、八洲学園大学、淑徳大学、日本文化大学などなど大学でお話させていただいております。ここで、特徴的なのは八洲学園大学。実に様々な年齢層の方々が集まって学んでいます。

その他、大学ではなく予備校でもお話させていただいており、そこでは色々な大学の学生さんが集まります。

ここでの講義の経験を通じて、実に多く、そして様々な立場の学生さんの意識を感じ取ることができます。

今回は、そんなことから思ったことを。

課題を発見すること

大学の講義(八洲学園大学での)では、「課題を学生自身が発見する事」を重視しています。

そのため、講義手法は、まるでyoutube liveのようにしています(通信制大学で、チャット機能があるのです)。

課題を発見するということができる学生さん。世代を問わずで、8割程度はできています。

また、私の試験が、自分で問題を作成して、自分で解説を作りなさいという問題。ここでも、自分で問題を設定して、解説できるという学生さんがほとんどです。

ただ、一方で、固定概念にとらわれている学生さんもいます。数パーセントの学生さんが「問題が載っていない」というクレームがきます。固定概念ですね。

課題を設定すること

課題を設定するということ(ここでは、課題を自分で設定することができるとします)となると、先の8割の中で、3割くらいになってきます(感覚的な数値ですが)。

課題の発見は、テキストやら私の話から、こういったことが課題になるという認識はできるということです。つまり、積極的に自分の身の回りで起きている出来事から、課題を具体的に設定するとなると、少々人数が減ってきてしまいます。

10人いたら、課題を認識できるのは8人。その8人のうち2人くらいというものです。

また、特徴的なのがこの2名は、積極的に発言をしてきます。

おそらく、多くの企業さんで欲しい人材は、この2名となるのでしょう。ただ、この2名の争奪戦は、かなりの競争率になりそうですね。

解決策を考えること

課題の認識、課題の設定ができるのが10人のうち、8人。そして、解決策についてはどうか?

この8人は、解決策を導き出してきます。ただ、ここでも特徴があるのが、「法律でこうなっているから」「法律に不備がある」がほとんどです。さらに発展して、法律はこういったことを目的としているから、この課題では・・・や、法律の不備があるから、こういった改正を・・・というように考える学生さんは、2名くらい。

解決策についても、やはりテキストに載っている、私が法律でこういった規定があるという説明でとどまっているというのがほとんどになるのです。

課題も設定でき、解決策もより深く考えるという学生さんは10人いたら2名程度。

そうすると、残りの8人をどう生かしていくのか?どう成長させていくのか?という点がポイントになりそうです。

課題も発見できない、解決策も見いだせない

このタイプの学生さんは、基礎学力を伸ばせば良いということになります。傾向として、若い世代(20代前半)に多いように思います。基礎学力、経験がやはり足りないがゆえに、発見できない、解決策も・・・となっているように思います。

だから、成長の伸びしろしかないという意味では、期待が持てるわけです。

このタイプは、10人いたら2名くらいなんですよね。

難しいのは・・・

難しいのは、ボリュームゾーンである、課題は認識できる、解決策も見いだせるけど、テキストや話しを聞けばというタイプ。

このタイプの学生さんが、どうしてこのようになるのか・・・。

「正解を求めている」「失敗したくない」

という要因が多いように思います。これは、どうしてそのように思うのかというと、先の講義手法です。

yoututube liveのように講義をしていますが、よほどのことがない限り、学生さんの意見を否定しません。そして、学生さんがどのような視点から意見を述べたのかを考えて、その意見は間違っていないということを意識してコメント返しをしていきます。

そうすると、少しづつ「自分で課題設定、解決策を深く考える」というパターンに近づいていきます。要は、講義では、正解なんてないし、失敗なんてないってことに気が付くかどうか。

余談ですが、私、とにもかくにも正解を求める学生さんには、非常に厳しく・冷たいです(特に社会人学生さんには)。あと、法律で決まっているからという回答にも、冷ややかになります。

企業での人材育成の方向性

ほとんどの学生さんが、課題も見つけることできるし、解決策も見出すことはできるし、その能力があるのです。ただ、その能力を発揮するという環境の問題が一番大きいのかもしれません。できない学生さんは、伸びしろしかない状態。

育成の環境というものがなければ、ヒトなんて育たないし、どんなに良い講演を聞かせたり、本を渡したり、説教したりしたとしても、育つことはないのです。

人が育たないなってことを思うことがあるかと思いますが、その環境はどういったものか?から考えてみてはどうでしょうか。

正解をトップ(誰かが)が出している、失敗は許されない

そんな環境しかないと・・・ではないでしょうか。

もちろん、学ぶ場である大学と働く場での企業が全く同じ環境を作るということができないのは承知です。

ただ、課題を設定する能力、解決策を深く考える能力は、環境次第で導くことは可能なはずです。

できない社員ではなく、できない環境にいる社員というように考えてみてはどうでしょうか?

おわりに

企業というものは、1人1人の人生の中の一つのフィールドです。しかも、大半をそこで過ごすことになります。

このフィールドの環境について、「幸せ」とか「笑顔あふれる」とか「アットホームな」とかいう前に、考えてみもらいたいことが、正解を誰か一人が出していないか、失敗は許されないになっていないかということ。

そして、もし、正解を誰かが一人で出しているのならば、なぜそういった環境なのか?その一人が出さなければいけない理由は何か?その必要があるのか?と検証してみてはどうでしょうか?

さらに、失敗が許されないのはなぜか?それは、実際には起きないことをおそれれているだけか、あってはならないの呪縛か・・・その呪縛はなぜ?

そのようなことを考えていくことが、ヒトのを育成していくということに対して必要な視点ではないでしょうか。

一緒に、考えてみませんか?





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