ちょっと未来小説:アフターコロナの世界(あるいは、ゆるやかな絶望の果てにあるひとかけらの希望にまつわる話)
ようやく「収束宣言」が出た。
今日の夕方、政府から収束宣言が出るんじゃないかという噂は流れていた。18時。政府の臨時記者会見の情報が流れると駅前の広場ではみんな静かに立ち止まり、ベンチに座り、思い思いに手元のスマホを覗き込み、記者会見を見つめる。
新型コロナウイルスが残した爪跡は小さくない。お花見も中止。卒業式も中止。オリンピックも延期され、飲食店を中心にバタバタとお店が潰れて、いまでも本当に信じられないけれど、お笑いの志村けんさんも亡くなった。さらに、衆議院議員ひとりと参議院議員ひとりと、著名な会社の社長が同じく新型コロナで亡くなって、タレントでは歌手の若い女性が感染して重症化して退院したけれど、まだ歌手に復帰はできていない。
身近なところでは、友人の祖父や祖母、両親がともに亡くなったなんていう人もいる。
みんなそんな感じで、自分が罹患しないまでも、近しい、大切な人や隣人が感染したり、亡くなったりしている。踊り出したいくらいの良いニュースなのに、みんな静かにじっと画面を見つめてるのはきっと、その大切な人たちに思いを馳せているんだと思う。
「2020年の初頭から猛威をふるった新型コロナウイルスとの戦いに、いったんの区切りがつきました。日本政府としては本日、収束宣言を出しても良いという判断に至りました」
そんな、周りくどい言い方で、首相が新型コロナウイルスへの勝利を伝える。聞いている僕の中にはどんな感情よりも先に、「ようやくか」という思いが生まれた。それは喜びとか、安堵とか、そういうものとはまた違う、気が抜けたような心持ちだった。実際は、勝利なんてのには程遠い。焼け野原の、負け戦だ。
世界的な死亡者数も惨憺たるものだ。
ヨーロッパと米国がダントツに高く、アジアもそれに次いで、夏頃から遅れて感染が拡大したアフリカがその次に並ぶ。厄介だったのは抗ウイルス薬の効果が人によってまちまちだったこと。効く人は2、3日で寛解するのに、効かない人には全く効かない。結局感染をできるだけ避けて、感染したら対症療法を続けるということしかできなかった。
このウイルスとの戦いを経て、世界は少し変質した。最初こそ中国の武漢から発生したウイルスということでアジア人への差別がごく一部で広がったけれど、白人も黒人も黄色人種もすべての人種に等しく感染が拡大し始めて、もうそれどころでは無くなった。誰もが「敵はウイルスなのだ」という認識が生まれて、ニューヨークなんかでは街に新型コロナウイルスからの生還者が行き交うようになると「コロナサバイバー」と呼ばれてヒーロー扱いされる一幕も。
蔓延中期にわかったのは、新型コロナウイルスには大きく三つの型があって、そのうちの一つの「L型」というのがとにかくドカンと急に増悪するタイプで、抗ウイルス薬も効果がなく、致死率も10%と極めて高い。このタイプからの生還者同士は辛さを共有した仲間ということで、海外では初対面で抱き合ったり、ビールを飲み交わしたりして喜びを分かち合う動画が流れて、笑いを誘った。
実際、世界的な共通項ができたと感じる。
海外渡航も再開されたけど、パスポートには必ず「新型コロナウイルスへの罹患歴」を書かなければいけなくなったし、海外に行った友達の話では渡航先の空港で「罹患歴なし」と書いたパスポートを提示したら、その国の「コロナサバイバー」である空港職員が親身に20分くらい「この国で気をつけるべきこと」と、症状が出たときの連絡先や、カバーする保険の有無や、医療レベル等を話してくれたという。
どの国でも、どの国でも、日本における「志村けん」のような人を亡くしていて、どの国の人とも出会うひとごとに「あのウイルスは酷かったね。大変だったね」と手を取り合って悲しみや辛さを共有できる。
これは、〝アフターコロナ〟の世界にあって、唯一、ちょっとだけ、良いことなのかも知れない。
そんな経験を経ても、日本は変わらず満員電車。けれど、その密度や頻度はかなり減った。中国からの部品や資材が止まって大打撃を受けたことで、建築資材を中心に製造業を地方に分散してあらためて作ろうという経団連の動きもできてきて、脱都市部一極集中という流れも本格化し始めた。都市部で失業した人が地方で就業する例が増えて通勤そのものの密度が減ったことと同時に、かなりの割合でリモートワークの比率も増えた。これも、ビフォアコロナの時には考えづらかったことだ。
長い戦いだったし、まだ戦いは終わっていないのだという人もいる。全世界的な罹患者は世界人口の3割。けれど、全世界的な流行は終わった。
戦後の焼け野原からの復興を経験した世代が、絶望の果てには希望があるとインタビューを受けていた。最近、マスコミではこの新型コロナウイルスとの戦いが、人類が経験した第三次世界大戦だったという論調で振り返っている。でも、戦争という言い方をするのはなんだかちょっと好きじゃない。
データでちょっと面白かったのは、世界的にこの新型コロナウイルス以降で出生率が上がったというデータだ。日本も合計特殊出生率を1.8まで回復させ「コロナベビー」という言葉も生まれた。
スマホの中で、記者が手を上げ始めた。首相の発表は10分足らずだった。記者の質問が始まったのと同時くらいに、静かにじっと画面を見つめていた人が、ひとりまた一人と顔をあげ、誰ともなく顔を見合わせる。二人組でスマホを覗き込んでいた赤ら顔の中年サラリーマンがうれしそうに、「だいじょぶだぁ〜」とモノマネで叫んだ。隣の女子高生が笑う。俺もちょっと笑う。
この新型コロナウイルスで、たくさんの人が死んだ。そして、そのたくさんの人の家族や、友人が、深い悲しみの底に落ちた。その悲しみの底から目標を見つけて、生き残ったおれたちは歩き出すのだ。そんな共通の想いが、〝アフターコロナ〟の世界に生きる全てのひとの心に宿ったような気がする。これがきっと「希望」と呼ばれるものなのだと思う。
2020年3月31日
R.I.P.
志村けんさんに捧ぐ
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