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Hashirigaki

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I'm here.I'm glad your there 2003年4月から地域情報誌フジマニに連載している編集長コラム「Hashirigaki」をまとめました。
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#hashirigaki

しあわせですか?

(地域情報誌フジマニ 2003年6月号 vol.03 掲載の編集長コラムから転載) Are you happy?  アーユーハッピー?  最近頭の中を巡っているのはそれだ。「しあわせですか?」という問いかけだ。幸せですか? そう問われて俺は答えることができるかな?幸せ。俺っていま幸せなの? ていうか幸せって一体なんだっけ?  眠いときのフカフカのベッド。疲れて帰ったときの熱い風呂。おなかが空いているときのおいしいゴハン。そのどれも幸せなハズだけど、いつからか俺たちはそれ

(地域情報誌フジマニ 2003年4月号 vol.02 掲載の編集長コラムから転載) smell of sea  湘南の梅雨は潮の匂いがする。雨はいろいろなことを思い出させてくれる。といってもやはりというか雨の日の思い出には良いものが少ない。どちらかといえば悲しかったり寂しかったり、心を沈ませる思い出ばかりだ。  気持ちが落ち込む原因の一つに太陽の光を浴びてない、というのがあるらしい。なんでも感情を司る脳の視床下部の働きが光を浴びることによって活発になるからだとか。ただ気分

祈るな! 手が塞がる!

(地域情報誌フジマニ 2004年5月号 vol.18 掲載の編集長コラムから転載) Guts is said.from BERSERK. 「祈り」という言葉に疑問を抱き、この文章を書く。祈り。例えば死者に手向ける花があり、祈りがある。それらは大いに意味があるだろう。彼らがそれで帰ってくるわけではないけれど、彼らの平安を願い、花を捧げ、思いを託し、俺たちはまた自分たちの人生へと帰っていく。言わば、それは残された生者のための決別の儀式。だけど、昨年のスマトラ沖地震や、世界中の

笑い事

(地域情報誌フジマニ 2020年4月号 vol.150 掲載の編集長コラムから転載+noteのみの追記) The Comedy king 第二次世界大戦中、塹壕の中である記者が兵士にインタビューした。 記者 「いまアメリカからいちばん送って欲しいものは何?」兵士「…なあ記者さん、ちょっと言っておきたいことがある。ここはもう、笑い事じゃなく大変なんだと。ホットドッグやらベイクトビーンズやらがなつかしいなんて言ってられないんだとぐらいは伝えてくれ。毎分毎分、兵隊が死んだ

張り子の中の虎

(地域情報誌フジマニ 2009年10月号 vol.43 掲載の編集長コラムから転載) TROY 1.体力頑健 2.意志強固 3.できれば孤児がよい(大航海時代の船乗りの条件) 連日の営業。連夜の企画書制作。もう倒れるように眠るときは、風呂も歯磨きもしないまんまジーンズだけ脱いで意識が飛ぶ。しかも寝る直前まで悩んでいた原稿の内容を考えながら眠るもんだから、良くない夢ばかり見て目を覚ます。昨日は昔の彼女が出てくる面白くない夢を見た。目覚めると、眩しい光。煌煌と照る電灯。どうや

つたえたい気持ち

(地域情報誌フジマニ 2009年12月号 vol.44 掲載の編集長コラムから転載) ouroboros 「俺にはそんな価値がない」「値札をつけたのは私よ。値切らないで頂戴」(『幻の女』ウィリアム・アイリッシュ) 価値を等しく測ることのできる人なんて、この世にありはし無いのだ。人はひとりひとりがそれぞれの物差しを持つ。俺の物差し。あなたの物差し。それぞれがそれぞれの価値基準で測り、優先順位をつける。その物差しはきっとまっすぐじゃないかも知れない。大きく曲がっているかもし

生き変はり死に変はりして

(地域情報誌フジマニ 2010年2月号 vol.45 掲載の編集長コラムから転載) Drifters 「冬蜂の死にどころなく歩きけり」 振り返れば、村上鬼城の句を思い出す。今年は、そんな風に過ごした。年が明け、俺の2009年は別れから始まった。人生で一番悲しい誕生日。理不尽さと苦しみとを噛み殺して、砂をつかむようにして立ち上がった俺には、ほんとうに仕事しかなかったんだと思う。不況のあおりを受けデザイン業務を縮小し、「だめだこりゃ」と8万の家賃の物件を引き払い、辻堂の実家に

最果ての丘から見る風景

(地域情報誌フジマニ 2010年3月号 vol.46 掲載の編集長コラムから転載) no mans land 「人類の食料と云えばけだし動物植物鉱物の三種をいでない。そのうち鉱物では水と食塩とだけである。」(『ビジテリアン大祭』宮沢賢治) 毎日食卓にもの言わずならぶ肉も、野菜も、魚も、豆も、かつてはそれぞれが育ち、跳ね、生きていた命であったことは間違いない。昔、ボーイスカウトで鶏を一羽解体したことがあったけど、あのときは自分の手で血を抜く感じや内臓を抜く過程がグロテスク

新しい朝がきた

(地域情報誌フジマニ 2010年4月号 vol.47 掲載の編集長コラムから転載) hopeness morning 「この国には何でもある。だが、希望だけがない」(『希望の国のエクソダス』村上龍) こんなフレーズをかつて読んだのは、もう10年も前だっただろうか。そのときは青二才の分際で「確かにな!」なーんてわかったふりをしていたけど、本当にそうだろうか? この国に希望はないのだろうか? 確かに毎日、報道には失策政治と不況のことが書き立てられ、さらには環境の悪化、異常気

人生の気合いの強いひと

the ghost (地域情報誌フジマニ 2010年4月号 vol.47 掲載の編集長コラムから転載) 健全な魂は健全な肉体に宿れかし。 最近ときどき考える、心の疑問。「たましい」とはなんだろうか? 本当にそんな存在があるのだろうか? 例えばひとが肉体を持って生まれくるように、人はひとつの魂を持って生まれてくるという。心や精神とはまた別の次元に存在するそのエネルギーが人を突き動かし、胸を熱くさせたり涙を流させたりする。魂は人から人に流転するものなのだろうか? それとも、

ハロー・グッド・バイ

hello good bye (地域情報誌フジマニ 2010年5月号 vol.48 掲載の編集長コラムから転載) あの娘は泣き虫で/僕は弱虫さ/とっても似合いの/二人じゃないか すっかり、春ですねぇ。今年もまた出会いと別れの季節があらわれて、たくさんのこんにちはとたくさんのさよならが咲いては散った。まるで陽気に当てられた桜の花みたいに人は出会って、風に吹かれた桜の花びらみたいに人は別れる。でも、そんな出会いひとつひとつにだって、すべて意味があるのだと思いたい。出会わなけ

希望

pandra's box 『終わり』は音を立ててやってきた。 2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震発生。 それはまるで唐突に、何の前触れもなく訪れて、そしてあまりにも無慈悲に、多くの人々の夢と命と未来を奪っていった。地震と、津波と、火。災害と呼ぶにはあまりにも大き過ぎる規模の被害は俺たちの想像を遥かに超え、2万人を越える死者・行方不明者という喪失と、「原子力発電所事故」という人災を残していった。 世界が支援を表明し、危機的な局面を打開するために多くのひと

違う人生

another sky パラレルワールド(並行世界)は存在し、さらにそれは相互に影響し合っている。そう主張する論文が発表され、大きな注目を浴びている。 並行世界とは「if もしも」の世界のことだ。 あの日・あのとき・あの選択肢を選んでいたら、いなかったら…誰しも考える人生の可能性。選んだ選択肢によって自分の人生は少しずつ変わっていき、人生の方向性は決まっていく。 しかし今回の論文で、その「世界線」とも呼ばれる選ばなかった選択肢の先の世界は確かに在り、しかもこの世界と無関係

自然と生きる

Do the right thing やるべきことを、やる。 そう決めたのが2011年3月11日の数日後。 自然はでかいから、どうしようもないことも山ほどあるのだと、あのとき学んだ。なんでこんなにひどいことをするんだ、と思う。涙が出る。だけど渦中にいない人間が泣いていてどうする。やれることがあるなら、やろう。自分のコンディションを保ちながら、ただ「やるべきこと」に集中しよう。 今回の熊本の大地震。ひとりひとりがやるべきことも違うし、やれることも違う。「何を成したいか」も