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大学でみんなと同じようになんの疑問ももたずに、単位をとって卒業すれば、「学校の先生」にはすぐになれるけど、「人生の先生」には絶対になれない理由。

これを読んでいる君はもしかしたら、大変だった2020年のコロナショックを乗り越え、受験を終えて、春からの新生活に胸を踊らせているのかもしれない。

そして、大学生活を通して、

将来は、

・学校の先生になろうと思って大学に進学をしたか、
・教育に携わる仕事がしたい

と考えているのではないだろうか。

「教育」というジャンルを通して、

「子どもたちに希望を与えたい!」とか、
「可能性を伸ばしてあげたい」とか、

これまでお世話になった恩師の先生たちみたいになりたい!

と思っているのかもしれないね。

僕も、大学に入ったときは、君たちと同じようなことを考えていた。

でも、大学に入って君たちと同じような志や信念を持って、
教職を目指してたった2年で気づいたことがある。

多くの教員を目指している学生たちが、ただ、単位をとって、卒業しても、

「学校の先生にはなれるけど、人生の先生にはなれないし、子どもたちの夢を応援することはできない」

という虚しい現実が実は存在しているということにー。君たちにもこの虚しい現実は簡単に理解できると思う。

先生を目指している君たちは、本当はわかっているはずだ。

そもそもただ単に、

「学校の先生になること」がゴールではなくて、きっと君たちは、
「人生の先輩」として、生徒たちと共に悩み、心から寄り添い、時に厳しく指導をしー。

そういう一連のプロセスを通して、

生徒たちと一緒に成長をする人生を送りたいと思っているのではないだろうか。

プロセスを通して、感謝されたいし、人間として成長をさせてくれた生徒たちにも感謝をしたいと思っているはずだ。

でも、それは大学の教職カリキュラムをただ単に消化して、教員免許をとったところで、得られるような代物=能力じゃない。


ある日、僕は大学の授業で、生徒たちへの進路指導について学んでいた。

君たちも受けたことがあると思うけど、あのやたらと重々しい空気感で、先生に将来の夢ややりたいことを聞かれる尋問のような時間だ。だいたい「とりあえず大学に行った方がいい」というアドバイスをもらう。
(あながち間違ってはいないけど、理由は答えられない先生が多い。)

教職を学んでいく中で僕は、「進路指導と学校の先生」のある重大な欠陥に気づいてしまった。

周りの僕の友達は気づいていなかったことなんだけど、それは、

「学校の先生は一度も社会に出たことがないのに、どうしてキャリアの相談と解決策を提示することができるのか?」

という一種の構造的な矛盾だった。


そもそも夢ややりたいことのアドバイスをするためには、社会の仕組みやそのなり方を知らないといけない。それは体験をしてからこそ、話せるようなものばかりだ。

でも、学校の先生はそもそも社会でサラリーマンをしていたわけじゃないし。矛盾をもっと短に例えるのなら、それは、

食べたことのないカレーライスの美味しさを伝えるようなものだし、あまりに苦くて思い出したくない失恋を他人に教えるようなもの。

一度ちゃんと胸に手を当てて考えてみて欲しい。

学校の先生は、

1、サラリーマンのおもしろさを語れるだろうか?
2、社長になる方法を教えられるだろうか?
3、海外で働く方法を知っているだろうか?
4、Youtubrや芸能人になる方法を知っているだろうか?
5、プロスポーツ選手の寿命が24才で終わる相場とヤバさを語れるだろうか? 

などなど・・・。

答えは、とても残念だけどNOだ。

これは、ものすごく炎上しそうな僕の意見だけど、的を得ているんじゃないな。

なぜなら、

学校の先生は学校から出たことがないから。

だから、

君たちは大学で、何も考えず、ただ教職課程を勉強するだけで、確かに授業はできるようになるかもしれない。

でも、生徒への夢への相談だったり、夢の叶え方は絶対に教えることができないだろう。

学校の中だけで生きていくことになるのだから、事実としてあまりにも人生経験不足にならざらるを得ない。君が悪いのではない。構造が悪いのだから。

このままだと君は学校の先生になることはできても、人生の先生になることは絶対にできない。

君が本当になりたい人間像には到底なることはできない。


君と同じように教育に対して信念や志があった僕は、だから学校の先生になるのをやめた。

僕がなりたいのは、「人生の先生」であって、「学校の先生」ではない。

僕は、育ててくれて、お世話になった恩師の先生たちよりももっと、カッコ良くて、なんでも知っている存在でありたいし、生徒たちの夢を叶えてあげたいし、近づけてあげられる人になりたい。


だから僕は、なりたい自分像をもっと磨くために、
社会をたくさん知って、苦労をして、挑んで、考えた。

その結果、教育を先生ではない仕事ですることにした。

そしては今では、経営者として教育事業をつくっている。

経営者はなんでもできる。なぜなら、構造的に資本主義社会のトップ層に位置しているから。

世界の仕組みを知っている肩書だと思っている。

今では、

・子どもたちへの学習支援教室や、
・保護者へのキャリア相談、
・保護者へのライフプラン設計
・学習塾ではなく補習塾の事業経営
・都立高校への総合の授業構築

などを仕事にして、人生の先生を目指して歩んでいる。


僕は学校の先生ではなく、「経営者」としての肩書を持って、
人生の歩み方や、やりたいことのサポート、子どもたちの学習機会を増やしたり、保護者への意識改革など、様々な観点から、「教育」に携わっているんだ。

経営者なら、社会の全てを知っているし、やりたいことを叶える階段の作り方を知っている。


ここまで、読んでくれたのに申し訳ないけど、もし君が、

「授業をする学校の先生」になりたかったり、
「公務員としての安定」が欲しかったり、
「自己承認欲求を満たしたい」だけだったりしたら、

ここから先を読むのは時間の無駄だと思うので、サークルを探したりして欲しい。


でも、

もし君が「人生の先生」になりたいのであれば、あと少しだけ
モヤモヤする思いを押し殺して、読み進めて欲しい。

今、信念や志を持って悩んでいる君に対して、僕が君たちに提供できる情報は、たくさんあると思う。

もし学習支援教室や、教育事業、キャリア分野に関心があったら、連絡をくれると嬉しい。何かお手伝いできることもあるかもしれない。


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