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北前船・近江商人

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#北前船

西廻り航路の起点・酒田にのこる北前船の記憶

西廻り航路の起点・酒田にのこる北前船の記憶

 酒田市をはじめて意識したの1774軒が丸焼けになったという1976年の酒田の大火だった。その後、防災対策で道路を広くしすぎて殺風景な街になった、と聞いていたから、街を歩く気になれず、いつも素通りしていた。今回は「北前船」の痕跡をたずねることにした。

北前船でかせぎ、土地に投資

 市役所駐車場に車をおき、工事中の「鐙屋」をながめてから本間家旧本邸(見学料900円)を見学した。
 間口が幅33.

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商人の里 近江八幡の中興の祖は青い目のクリスチャン

商人の里 近江八幡の中興の祖は青い目のクリスチャン

 旧五個荘町(東近江市)の近江商人の里は田園集落だった(https://note.com/fujiiman/n/nbf9366b85d77)。近江商人の出身地は、そのほかにいくつかある。なかでも一番古いのが近江八幡だ。

すっきりきれいになった中心街

   JR近江八幡駅を降り、駅前通りを八幡山に向かって歩く。30年前に来た時はちょっとすさんだ町というイメージだったが、彫刻などの作品が点在し通り

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船員と行商のムラ、日本最古の油田……越後の北前船寄港地巡り②

船員と行商のムラ、日本最古の油田……越後の北前船寄港地巡り②

石油事業も手がけた北前船主

 新潟市内の北前船主の屋敷は2年前に訪ねたことがある。
 新潟駅前から北上して6連アーチの萬代橋(重要文化財)で信濃川を渡り30分ほど歩くと旧小澤家住宅だ。

 江戸時代は米穀商だったが、明治になって回船経営に乗り出し、運送・倉庫・回米問屋・地主経営・石油商などの事業を展開した。現在も「新潟米油販売株式会社」という会社で、新潟空港の給油施設で飛行機の燃料を補充する業務

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俳句も石油も出雲神話も……越後の北前船寄港地巡り①

俳句も石油も出雲神話も……越後の北前船寄港地巡り①

 北陸3県の北前船ゆかりの地は2014年に自転車で巡ったことがある。今回はそのつづき。新潟県の北前船の寄港地を車で西から訪ねてみた。

直江津、室町時代から重要港
 かつての直江津(上越市)は「今町湊」と呼ばれ、室町時代の「廻船式目」では、全国の主要港「三線七湊」のひとつにあげられた。北前船が活躍した江戸時代には、高田藩の外港として、船で運ばれた来た産品を城下町の高田や信濃へ運び出す拠点となった。

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北前船の起点 住吉大社と天保山 信仰に支えられた経済活動

北前船の起点 住吉大社と天保山 信仰に支えられた経済活動

 住吉大社は熊野古道を歩く途中立ち寄った。古道は住吉大社の東にあり、裏口から参拝する形になった。
 今回、住吉大社が北前船と深い関係があると聞いて再訪することにした。

住友の基礎をつくった江戸時代の銅産業

 南海電鉄の住吉大社駅をおりると住吉大社正面の参道だ。「住友燈籠」という石灯籠が並んでいる。。江戸時代の大坂は銅の精錬や銅貿易の中心であり、その中核が住友家だった。銅は愛媛の別子銅山から運ば

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余市 ニシンとリンゴとウイスキー

余市 ニシンとリンゴとウイスキー

 NHKの連続テレビ小説の主人公「マッサン」こと竹鶴政孝はなぜ北海道の余市でニッカを創業したのか。余市の風土や歴史はマッサンにどんな影響を与えたのか。余市を訪ねてみると、かつて隆盛を極めたニシン漁や、会津藩士による開拓とのかかわりが見えてきた。

金肥のフードマイレージ

 私が4年間をすごした能登半島の輪島市ではかつて、イシル(魚醤)をつくる際に出たイワシのしぼり粕を道に干して肥料をつくり、農家

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小樽と北前船と戦後日本の盛衰

小樽と北前船と戦後日本の盛衰

北海道最古の鉄路

 函館本線の小樽駅に降りると、坂のずっと下に海がのぞいている。海に向かってちょっと下ると、古い線路と交わった。
 北海道で最初の鉄道である官営幌内鉄道(手宮−札幌−幌内)の一部として1880年(明治13年)に開通した旧国鉄手宮線の跡だ(1985年廃止)。
 かつては内陸部の石炭が小樽から船に積まれて本州に移出された。札幌という新都に近い、北海道の玄関口だった。
 線路沿いの遊歩

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北前船の終着駅 江差は惑星大アンドロメダ

北前船の終着駅 江差は惑星大アンドロメダ

もろかった「最後の城」

 函館でレンタカーを借りて西へ走った。海をへだてて函館山を見ると、函館は巨大な陸繋島であることがわかる。知内町の道の駅の展望台から青函トンネル入口をながめ、津軽半島を望む白神岬をへて松前の町に入った。
 町役場の裏山が福山城(松前城)跡だ。
 江戸末期、海防強化を幕府に命じられた松前藩が、拠点の「福山館」を拡張して築いた。1854年(安政元年)に完成した最後の日本式城郭だ

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千年の灯がともる「山寺」が生みだした経済と文化

千年の灯がともる「山寺」が生みだした経済と文化

岩にしみいるセミとは?

 閑さや岩にしみ入る蝉の声

 有名な松尾芭蕉の句は「山寺」と呼ばれる山形市の立石寺で詠まれた。
 斎藤茂吉はこの蝉をアブラゼミと主張し、小宮豊隆は「しみいる」というのはアブラゼミに合わないことや、詠まれた日は7月上旬でアブラゼミは鳴いていないとして、ニイニイゼミであると主張した。茂吉は後に自説の誤りを認めた。
 京阪神では温暖化の影響で、シャンシャンシャンと狂ったように

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歩きつづけた近江商人 武器は情報力

歩きつづけた近江商人 武器は情報力

ネットと市町村史 ネット上には情報があふれているが、問題意識をもたずに漂うのは、分厚い市町村史を頭から通読するのに似た徒労感に襲われる。でも具体的な関心や疑問、「調べたいこと」があれば市町村史もインターネットも一転して有益な情報源になる。
 ある土地の「調べたいこと」を得るには歩くのが一番だ。できることなら目的地だけではなく、周囲の3、4キロは散策したい。

寺社と水路が美しい金堂の街並み

 北

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