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東北・北海道

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#北前船

西廻り航路の起点・酒田にのこる北前船の記憶

西廻り航路の起点・酒田にのこる北前船の記憶

 酒田市をはじめて意識したの1774軒が丸焼けになったという1976年の酒田の大火だった。その後、防災対策で道路を広くしすぎて殺風景な街になった、と聞いていたから、街を歩く気になれず、いつも素通りしていた。今回は「北前船」の痕跡をたずねることにした。

北前船でかせぎ、土地に投資

 市役所駐車場に車をおき、工事中の「鐙屋」をながめてから本間家旧本邸(見学料900円)を見学した。
 間口が幅33.

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歩きつづけた近江商人 武器は情報力

歩きつづけた近江商人 武器は情報力

ネットと市町村史 ネット上には情報があふれているが、問題意識をもたずに漂うのは、分厚い市町村史を頭から通読するのに似た徒労感に襲われる。でも具体的な関心や疑問、「調べたいこと」があれば市町村史もインターネットも一転して有益な情報源になる。
 ある土地の「調べたいこと」を得るには歩くのが一番だ。できることなら目的地だけではなく、周囲の3、4キロは散策したい。

寺社と水路が美しい金堂の街並み

 北

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千年の灯がともる「山寺」が生みだした経済と文化

千年の灯がともる「山寺」が生みだした経済と文化

岩にしみいるセミとは?

 閑さや岩にしみ入る蝉の声

 有名な松尾芭蕉の句は「山寺」と呼ばれる山形市の立石寺で詠まれた。
 斎藤茂吉はこの蝉をアブラゼミと主張し、小宮豊隆は「しみいる」というのはアブラゼミに合わないことや、詠まれた日は7月上旬でアブラゼミは鳴いていないとして、ニイニイゼミであると主張した。茂吉は後に自説の誤りを認めた。
 京阪神では温暖化の影響で、シャンシャンシャンと狂ったように

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北前船の終着駅 江差は惑星大アンドロメダ

北前船の終着駅 江差は惑星大アンドロメダ

もろかった「最後の城」

 函館でレンタカーを借りて西へ走った。海をへだてて函館山を見ると、函館は巨大な陸繋島であることがわかる。知内町の道の駅の展望台から青函トンネル入口をながめ、津軽半島を望む白神岬をへて松前の町に入った。
 町役場の裏山が福山城(松前城)跡だ。
 江戸末期、海防強化を幕府に命じられた松前藩が、拠点の「福山館」を拡張して築いた。1854年(安政元年)に完成した最後の日本式城郭だ

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小樽と北前船と戦後日本の盛衰

小樽と北前船と戦後日本の盛衰

北海道最古の鉄路

 函館本線の小樽駅に降りると、坂のずっと下に海がのぞいている。海に向かってちょっと下ると、古い線路と交わった。
 北海道で最初の鉄道である官営幌内鉄道(手宮−札幌−幌内)の一部として1880年(明治13年)に開通した旧国鉄手宮線の跡だ(1985年廃止)。
 かつては内陸部の石炭が小樽から船に積まれて本州に移出された。札幌という新都に近い、北海道の玄関口だった。
 線路沿いの遊歩

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余市 ニシンとリンゴとウイスキー

余市 ニシンとリンゴとウイスキー

 NHKの連続テレビ小説の主人公「マッサン」こと竹鶴政孝はなぜ北海道の余市でニッカを創業したのか。余市の風土や歴史はマッサンにどんな影響を与えたのか。余市を訪ねてみると、かつて隆盛を極めたニシン漁や、会津藩士による開拓とのかかわりが見えてきた。

金肥のフードマイレージ

 私が4年間をすごした能登半島の輪島市ではかつて、イシル(魚醤)をつくる際に出たイワシのしぼり粕を道に干して肥料をつくり、農家

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