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【ショートショート】たった一枚のキャンバス

 私は色塗りが大好きだった。部活でレギュラーを勝ち取ってやる、そんなときは燃え滾る赤色。他愛のない昼休みを友達と笑いあって過ごす、そんなとき穏やかな緑色。好きな人に告白する、そんなときは少し緊張気味な青色。

 要らない色なんて一つもないと私は思う。私を表現するためにはどの色も必要なはずだから。もちろん、黒色だって例外じゃない。他の色と混ざると濁ってしまうかもしれない、彩度が低くなってしまうかもしれない。けれど、その濁りも、低彩度も、全てが私を表現してくれる。だから、要らない色なんて一つもないと私は思う。

 私の住む世界では、自分だけのキャンバスを誰しもが持っている。私も生まれたときから持っている。小学校低学年くらいになると、みんな一心不乱に自分のキャンバスに色を塗り始める。

「私を見て!」
「僕を見て!」

そんな声が聞こえてくるような、未熟で楽しい色ばかり。

 けれど、あるときを境にみんな自分のキャンバスではなく、他人のキャンバスを気にするようになる。

「あの人の色遣いが羨ましい」
「あの人とあの人の色は似ている」
「あの人の色はいつも暗い」

そんな声が聞こえてくる。

 正解かどうかはさておき、それが間違っているわけではないと私は思う。だって、他人のキャンバスを見て初めて知ることだってあるから。それが私のキャンバスをさらに豊かにするから。そして、一番大事なのは自分のキャンバスを塗り続けることだから。

 色塗りが大好きだと言ったけれど、実は楽しいことばかりではない。自分を色で表現する、しかも一度塗ったら後戻りはできない。そんな恐怖と常に戦い続ける。だから、自分のキャンバスを塗るのはとても大変なことだ。

 もしかするとそれが理由かもしれない。自分のキャンバスではなく、他人のキャンバスに色を塗る人が現れ始めた。

 他人のキャンバスを塗るのは簡単だ。だって、何も考えなくていいから。そして、その野蛮な筆先は私のもとにも近づいてきた。

 他人にキャンバスを塗られるほど辛いことはない。レギュラー争いに負けたときも、友達とケンカしたときも、好きな人に振られたときだって、それに比べれば良い思い出だ。私じゃない誰かが私のキャンバスを塗りつぶすのは耐え難いことだ。

 そんな私を見て、さらに多くの人が私のキャンバスに色を塗ろうとする。

「助ける」と言いながら塗る人。
「同情するよ」と言いながら塗る人。
「共感します」と言いながら塗る人。
「自己責任だ」と言いながら塗る人。

私は色塗りを手伝ってほしいわけじゃなかった。私のキャンバスに色を塗ってほしくなかった。瞬きする度に零れ落ちていくものにだって意味がある。それがその時の私の色なんだ。だから、違う色を勝手に塗らないでほしかった。でも、止まることはなかった。

 そのうち、自分のキャンバスに色を塗るという選択肢が私には無くなった。だって、私のキャンバスには余白も、塗り返せるところもない。黒一色になったから。

 私に残された選択肢は三つ。他人のキャンバスに色を塗るか、自分のキャンバスを破り捨てるか、それとも――。


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