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3年目の祇園祭

この前、こんな記事を書いた。

私は その人のアドレスを知っていたので、メールをした。

 今夜は祇園祭りの宵山で是非今夜読んで戴きたい記事をnote記事
『祇園祭の宵山からの忘れ物!』を読んでいただきたく、案内させていただきました。

しばらく経って、返事がきた。

 その当時のことは あまり記憶にありません。きっと、緊張していたのでしょう。長刀鉾町のお嬢さんに祇園祭の宵山を案内してもらった経験は 今から考えると得難い思い出です。
その後、人生の晩節に青春時代の延長線が復活し、かつ親友のN君たちと同じ時間を過ごせるのも 不思議なご縁ですね。これからもよろしく

私は すぐに読んでくださったことがうれしかった。

 読んで戴きありがとうございます。母の気持ちを伝えずにいるには あまりにも母が可哀相でnoteに書かせていただきました。こちらこそ今後共よろしくお願いいたします

 その人はN君の親友
私のグループ(女子)それぞれに彼が出来た。しかし私だけが いなかった。
女子グループの彼たちは同じ大学だったので、秋の大学祭に連れ持って  訪れる。しかし、私だけがペア―の中にシングルで付いて行ったのだ。
どういう訳か、そういうところは平気だった。
しかし、その中のS子ちゃんが彼N君に「だれか いやはらへん?」といって紹介してくださったのが メールの人だった。
N君とその人は親友だった。

短い間だったが 私にとって、とても大切でなつかしい学生時代の思い出

何かしら開けてはならないパンドラの箱を持っていた青春の二人だった。
開けなかったからこそ、別れがあって
開けなかったからこそ、お互いを大事に思い合っていることに気づいた

青い青春時代でした。
懐かしいです!

親友N君を通じて、再び4人で会うことができた。
4年ほど 間は空くけれど、会えば 学生時代に戻れた。

いえ、学生時代よりも みんなおしゃべりになっていた。

そのことが何よりうれしい。

絆は より太く強くなったようで…

晩年であればこそ

このような思い出を持てたことを うれしく、誇りに思う今日この頃です


コロナのせいで、二年空いた三年目の祇園祭

 幼いころから見てきた祇園祭からは 鉾も山も増え、後祭りも立派になりました。

映像の技術の向上もさることながらTVの映像を観ながら すっかり変わった町の様相も、年々歳々立派に成長してゆく祇園祭を観て、改めて祇園祭の 凄さと 京都の町衆のあつい思いが伝わり、この鉾町で育ったことを 今更のように誇りに思いました。



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