万葉集ひらけど気になる猫の恋
2年前 斜め裏の奥様に「交野ヶ原万葉学級」に誘っていただいた。
月に一回の講演と年に二回の「句碑めぐり」
私は 一も二もなく 承諾した。
私には こんな記憶がある。
中学生になったばかりの頃、母と姉が毎月購読していた婦人雑誌の中に、
とても美しい和歌を見つけた。その歌を「万葉集の歌」とは知らず、覚えていたのだ。
石走(いわばし)る垂水のうえのさ蕨(わらび)の萌え出る春にけるかも
その歌を 誰が詠んだのかも気にせず、ただ 春が好きだった私の脳裏に焼き付いた。
大学の頃、一年程つき合ったその人に この和歌を贈ってお別れしたことがあった。
それ以来40年、お会いしたこともないその人と この和歌がきっかけで
お会いすることになって、はじめてその和歌が「万葉集の志貴の皇子の作」とわかったのだ。
今年、私は 受講して二年目になる。
犬養孝先生のもとで 万葉集を学ばれた岡本美千代先生が講師の「交野ヶ原万葉学級」。 端切れの良い 元気な語り口調で始まる講義は、いつも先生が作曲された「サンバDEツバキ」の歌で始まる楽しい学級である。
二月の講演は「浦島太郎伝説」だった。
万葉集に「浦島太郎伝説」が出て来る?
これは異なこと稀なこと! 浦島伝説は 日本が海に囲まれているせいか、何処の海辺にもあるような…? が、万葉の時代にあったとは…
ここでは あくまで「万葉集」に書かれている浦島太郎伝説のこと
講演資料には「浦島伝説地」として 次のような資料が配られた。
<解説>
”時は春、所は住吉(すみのえ)の海岸、釣舟のゆれているのを みているうちに 昔のことが思われてくる”と、現実から”夢”の世界への序曲をのべて、
第一段として、さて、”水江の浦島さんは 釣れるままに海上をゆくうち偶然に海の神女に逢ってともに手に手をとりあって、不老不死の海神の御殿にいたった”
第二段として、(鯛やヒラメの舞い踊りに飽きたのか)しばらくの帰郷を訴える浦島との間に、
”それならこの櫛笥(くしげ=箱)を決して開いてはならない”という堅い 約束をして神女と答えあったのだが…
第三段として、帰郷した浦島が家郷の余りの変化に、もしや!とタブーを 破った瞬間の狂乱を緊迫した調子で描く
”とうとう死んでしまったという浦島さんの家があったところが、ほら、 あそこに見える”
と、ふたたび夢から現実に浮かびあがったところで終曲とする。
まさに作家虫麻呂が空想力を駆使して 写実の腕で劇的構築をこころみた ロマン美の世界である。
いわゆる浦島伝説を素材として、”夢”と耽美の世界へのあこがれを見せた 虫麻呂の創作である。
と、犬養先生は 書いておられるのです。
いずれにせよ、万葉集は いにしえと言えども、夢とロマンの原点であり 集大成でもある。と、私は思うのです。
人の感性のすばらしさは 今も昔も 変わらずにいたいものです。
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