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人見知りのままで生きる

小さい頃からどこを切っても暗い人見知りだった私は、今も相変わらず暗い人見知りだけど、そのことで不自由することも思い悩むことも一切なくなった。

これから話すのは、人見知り克服法というよりは、人見知りのままで何の問題もなくなる方法だ。

かつて私は、どんなに親しい人とでも、一緒に過ごすとカチコチに体がこわばってしまい、一人になるとあまりの疲れでドッと寝込むほどだった。

何が起きているのかは分からなかった。とにかく人といると疲れる、一人でいるのが好きだ、と思っていた。

ある日、駅前で待ち合わせした友達の姿が近付いてきた時、自分の胸のあたりに「恥ずかしさ」「照れ臭さ」が湧き上がっていることに気付いた。同時に腰から両脚にかけてジタバタと、地団駄を踏みたい感じも込み上げてきていた。

あ、私、恥ずかしいんだ。20数年生きてきて初めて自覚した瞬間だった。

それまでその、胸に湧き上がる微細な感情やジタバタ動きたい体の感覚を、自覚する間もなく抑えつけては「ないことにしていた」

だからあんなに緊張して、疲れていたのか。。

私は試しにその胸の恥ずかしさを、感じたままでいてみた。モゾモゾ動きたがる体も、動くままにしてみた。「うは、なんか恥ずかしい〜」言葉にして友達にも伝えてみた。

何のことはない、それだけで私は完全に楽になってしまったのだ。

恥ずかしいのを「ないことにして」「大丈夫なふりをしようとして」いたから苦しかった。全くの無意識だから余計に大変だった。

私は今も知らない人に会う時恥ずかしいし、知っている人に会う時もまあまあ恥ずかしい。だけどもうそれを、自分にも他人にも隠さない。

恥ずかしいままで、何の問題もなかった。

ちょっとした友達付き合いさえ大変だったのに、今私は知らない人と一対一で個人セッションをしたりとか、知らない人のおうちに上がって一日中片付けをしたりとか、ちょっと当時からは考えられないことをたくさんしている。

なんなら何百人もの人の前でマイクを持って話したり、歌ったり踊ったりすることさえある。

そういうのは社交的な人にしかできないことだと思っていた。

私はこの生まれ持った人見知りな自分から1ミリもブレないまま、全くそのまんまで人とこんなに関われていることに、今でも時々ハッと驚いてものすごく感動する。

私の場合「恥ずかしさ」だったけれど、人によって色々違いはあるのかもしれない。

ただ何であれ、今そこにある自分の感覚、感情を「ないことにして」少しでも素の自分でないものを「目指した」瞬間、いろんなことが難しくなってしまう。

何か場の空気がおかしくなってきたな、と思う時、ギクシャクした時、居心地が良くない時、胸の真ん中に意識を合わせてみればとりあえず間違いない。

私は今、何を感じているだろう?

何か、ないことにしている小さな感覚はないかな?

外側に取りに行くものも目指すものも何もない。そこにあるものをしっかり感じて、内側の不一致さえなくなれば、人と接することは怖くない。

いや正確には「怖いままで、でもそれが嫌じゃない」のだ。

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