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刺激と安らぎのバランス

日々、山を登る理由のひとつに「刺激」を求めている部分は大きいです。
刺激とは未体験であり、緊張感である。
つまり挑戦する事である。
そんな事を以前書かせていただきました。

先日立山へスノーハイキングへ行きその絶景とスケール感はまさに刺激と呼ぶにふさわしく圧倒的な写真の数々は200枚全てがハイライト。

ですが数日ほどたった時ふと感じた事。

「立山の写真、飽きてきた」

そうです。
絶景や刺激といった類いのものはいわば一過性のもので瞬間最大風速はあるのですが長期的にみたときにあまり魅力はないのかなーと。

あくまで個人的見解ではありますが“美人は3日で飽きる”とか“バズる動画”とかと同じ理屈かもしれません。
もちろん定期的に刺激は必要ではありますが長期的な活動や作品を作るのを目的とするならそこまで相性はよくないと思ったのです。

先ほど個人的見解と述べましたが、絶景や美人、衝撃映像などはほぼ全人類が細胞レベルで反応するもので好みの外にあるものとも思っていて。

そこからこぼれ落ちたもの、細分化されたものの中に好みと言われるものが眠っている。
少なくとも自分はそう感じました。

とにかく「絶景の写真は飽きる」。
もう少し因数分解すると「完璧な写真は飽きる」です。

ではどのような写真が飽きないかと言いますと例えば“悪天候の山の写真”や“うす暗い森の写真”です。
神秘的や幻想的とも言えます。
光と影、陰影や明暗、不明瞭、つまり想像力をかきたてられる写真。
画格も主役がハッキリしておりかつアッ プの写真。

上記条件を満たせば満たすほどいいがどれか1つでももちろんいい。
文章では伝わりきらないと思うので該当の写真を添付させていただきます。

不穏なる近江展望台
雨の南アルプスの森
この暗さで朝8時

1年以上前の写真で何回もみていますが自分の中で飽きる様子がありません。
何回みてもカッコいいと思っています。

あと絶景は誰が撮っても絶景ですが何気ない風景こそ違いが現れる。
そんな気もしています。

また刺激の対として退屈があります。
しかし退屈は言い替えれば安心とも言えます。

自分のホームマウンテンエリアでもある鈴鹿山脈。
何回も何回も登ったのでもはや刺激はありません。
一時期それを退屈ととらえ鈴鹿山脈から距離をおき刺激へと舵をきった事がありました。
確かに飽きるフェーズはあります。
ですがそれが慣れに変わりいずれ居心地のよさ、つまり安らぎの場所へと変貌するのを感じたのです。

今、写真作品を制作するにあたり撮りためた写真から取捨選択しているのですが大体【絶景3、何気ない風景7】くらいの割合になっています。

つまり日々の活動もそのバランスがベストということだと思います。
0か100かで物事は考えがちですが丁度いい塩梅やいい加減、適当といった一見マイナスイメージな言葉こそ特に今の時代には必要かつ大事ではないかなーと考えていました。

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