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本屋に住んでるフランス人、あなたがいれば今日のシフトはモーマンタイ(無問題)

あらすじ:魅惑の本屋がヨルダンにあったので「ここで働かせてください!」とアタックし、その本屋で暮らしていた話。

●店長よりも店長なアリス

世の中のどんな店にも「この人が出勤してくれてるなら今日は安心だ」という頼もしいスタッフがいるのではないか。当店のそれが、大工のアリスだ。しかもシフトどうこうではなく本屋に住んでいるのだから、アリスは毎日いる。最高だ。

フランス人のアリスは、仕事中は「バイトリーダー」、日常生活では「」。私とラウラと3人でいるときは「お姉ちゃん」だった。

皿が何枚いるか確認しているアリス。母感あり

実はアリス、この店の「建築」の時にも大工として本屋を手伝っていたらしい。しばらくして一旦フランスに戻ったが、またこの店に帰ってきたという。つまり「初期スタッフ」どころか「本屋の創造者」の一員だった。

ゆえに、備品の場所や、普段使わない扉の開け方、店の屋根の登り方など「店の全て」を把握していた。肝心の店長はいつも「タバコ吸ってくるわ」と行方不明なので、みんなアリスに頼りっきりだ。

ある日アリスがふと、本屋建築中の頃の動画を見せてくれた。様々な国のスタッフたちがまさに本屋を「作っている」様子で、とても楽しそう。。

その動画を見て思った。なんてアリスらしい動画なんだ。だって、肝心のアリス本人が映っていなかったのだ。私なら録画ボタンを押したらカメラを置いて、自分も記念に入ろうとすると思う。でもアリスはきっと、レンズ越しにみんなを愛おしく見ていたんだろう。その動画には、そういうアリスらしさが表れていた。

●面白い人生だからって、見せびらかさなくていい

服が被って嬉しかったのは、大好きな人だから!

アリスは経歴もとても面白い。今までマレーシアの合宿で大工の修行を積んだり、ヨーロッパ最大のフェスに大工として泊まり込んだり、ヨルダンの本屋を作ったり。大工というスキルさえあれば、世界中の楽しそうなところに飛び込めることを知っていた。

いつでもプロになれるほど上手なイラストは、「ただ楽しみのために描いてるから」と言ってネットに載せることもなく、手元のスケッチブックに残してあるだけだった。

こんな面白く素敵な人生を送っているアリスは、SNSで「自分を発信」したらファンがたくさん付くに決まっていた。けれど、今まで誰も「もっと自分を発信したら?」なんて言わなかったと思う。アリスと過ごしていればわかるが、それは余計なお世話というか、トンチンカンな視点だからだ。彼女は自分の日々に集中し、自分自身と身近な人をただただ愛していたから、世の中に自分を見せびらかす必要が全くないことは明らかだった。

さらに、アリスはスマホを持っていなかった。「スマホがあると、人生がスマホに取られると思うの」と言っていたが、どうしてスマホを持ったことがないのにそれが分かるのだろうか。アリスは「たまごっち」ぐらい小さなガラケーとPCだけで生きており、「道に迷ったらその辺の人に聞けばいいのよ」と言っていた。

アリスは毎朝「ピアスを選ぶ」「おはようのハグをする」といった日常の一つ一つを楽しんでいた

アリスを一言で表すと、「大工」ではなく「愛に溢れた人」だ。しかし愛と言っても情熱的なものではなく、「誰もが見逃してしまう日々の"ちょっとした美しさ"に気がつき、感謝したり楽しんだりできる」というもので、それは「相当な心の余裕」と「豊かな感性・表現力」が無ければ持つことは難しい。

それほどまでに愛に溢れた人物であるエピソードが、いくつかある。

●ただの雨の日に

食卓の写真。愛おしすぎて涙が出そう

アリスは、包容力があり、何事にも動じない、ゆったりと構えた性格だ。まあ、ちょっとしたことに動じるような人間だったら中東の本屋に飛び込んでこないのだが、「それにしても」だった。

そんな彼女は、本当〜に些細な事象に「よさ」を見つけて、心から感動することができる人だった。例えば、霧吹きよりも細かな雨が降っていた時。私は「粉みたいな雨だな〜」ぐらいに感じているだけだった。

そんな時アリスは私を呼び止め、こう言った。「ねえ、フウ。見て…。雨がこう、ピティ、ピティ、って。…ふふ、なんて可愛いのかしらね

・・・ピティ、ピティ??

アリスは、雨を愛おしそうに見つめ、母親が赤ん坊に対して言うように「可愛い」とため息を漏らして一粒一粒を慈しんでいた。

雨を「ぼんやり見る」ではなく「見つめる」人なんて初めて見たので、私はそんなアリスに感動してしまった。

●キッチンの雑用中に

この本屋はカフェも併設している。その料理で使うミントを仕込むため、私は「ミントの茎と葉を分ける」という作業を延々にやっていた。

ブチ。ブチ。ブチ。

「これ、やってもやっても終わらんぞ」「ヨルダンに来てまで私は何をやってんだ」と途方に暮れながら、茎から葉を無心でちぎってそれぞれ別の皿に分けていた。

そんな時、アリスがふらりとキッチンにきて、「ウワ〜オ」と言う。何かと思えば、「フウ。見て!?青い皿にミントの緑が乗って、すっごく美しいコントラストが生まれてる…!!!」

例えばこの器。大きいので「無限ミント地獄」の作業にも重宝していた

ん?言われてみれば…。
「日本では目にしないほど綺麗な青い皿」に、「日本では目にしないレベルの量のミント」が盛られ、その鮮やかな色合いは、たしかに綺麗そのものだった。

アリスよ、気づかせてくれてありがとう。色ももちろん綺麗だけど…やっぱりアリスの感性がもっと美しいなあと感じた。ミントだって、「ちぎられた甲斐があったわ」と思えたであろう。

●ある寒い日のポット

「ある寒い日」といっても、ヨルダン滞在中は毎日寒かったのだがそれは置いておいて、とにかくある寒い日のことである。

私は温かい紅茶を飲むため、小さな小さなポットを用意した。それをコンロの上に一旦置いて色々準備をしていると、アリスがキッチンに入ってきた。

奥に見える黒いコンロ

アリスは、その小さなポットを見るや否や「うわああ〜」と言って、ポットにぐっと近寄ってこう言った。

「大きいコンロのちょう〜ど中央に、こん〜な小さなポットが『ポツン』と置かれてる…このポットの寂しげな感じ。ン〜〜。ああ。なんて可愛らしいの

そして、

ん…ええ!?

「ポットにキス!?!?!?」

私はその光景を見るや否や、あまりに感動して両手を胸に当て、地面にとろけてしまったのであった。

●キリがない愛のエピソード

う〜ん、どうだろう。アリスの愛溢れる人柄を、文面だけで伝えられただろうか。アリスはよく、本人がいない場所でスタッフたちから「彼女と出会えたことは奇跡で、人生の自慢になる」と言われているほど素晴らしい人物なのだ。

そんなアリスに私が「漢字の名前」を贈るとしたら、間違いなく「ア」は「愛」だ。ああ、アリスの名前に「ア」が入っててよかった。おかげで「愛」を入れられるからだ。

さて、「リ」と「ス」はどうしようかな。

う〜ん…。

もういいや。全部愛で、「愛愛愛アリス」にします。

読み方にほんのちょっとだけ無理があるのを承知だが、愛よりふさわしい漢字が無いのだから仕方がない。

まったく、この記事ひとつだけでは、彼女の素晴らしさは到底伝えることができない。この連載『ヨルダンの本屋に住んでみた』にある様々なエピソード全体通じて、愛愛愛ちゃんの素敵さを伝えられたら誇らしいと思っている。


アリス紹介編・fin

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この店の「大工」の業務紹介
店に壁画を書いた日
メニュー看板を作った日
ココアを経費で買うか話した日
退勤後の夜、一緒に映画を見た日
ケーキを焼いて恋バナした日
ラウラとの砂漠旅行を手伝ってもらった日
ほか

第1話 「ヨルダンの本屋に住んでみた」
本屋のルームツアー
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