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僕は時給650円の価値もない人間です

 僕が定時制の高校に通っていた頃、生まれて初めてのアルバイトをしました。16歳か17歳だったと思います。バイト先は、自宅から歩いて20分くらいのところにあるチェーン店のお弁当屋さんでした。面接を受けに行ったとき、僕を採用してくれたのは、店長ではなくその次に偉い社員さんでした。

 その社員さんはとても優しい人で、何も分からない未熟な僕に優しく丁寧に仕事を教えてくれました。野菜の仕込みをしているときに、「田中くんはバイト代が入ったら何に使うの?」と訊かれ、「ニンテンドー64の本体とソフトを買おうと思います」と答えたことを覚えています。その当時、僕はいわゆる「ファミっ子」だったのです。昔、『ファミっ子大集合』というテレビ番組があり、ゲーム好きの子供は「ファミっ子」と呼ばれていました。

 お弁当屋のバイト初日に驚いたことは、中学時代のクラスメイトが先輩バイトとして働いていたことです。彼は極めて有能な働き手であり、非常にてきぱきと仕事をこなしていました。なので、中学時代にクラスメイトだったとは言え、タメ口で話しかけることが出来ず、僕はかなり気まずい思いをしていました。一方の彼は彼で、仕事のできない僕の存在を軽視していたのでしょう。夏に大型台風がさいたま市を直撃したとき、彼から僕に回ってくるはずの連絡網が回ってきませんでした。その結果として僕は、お店がいつも通り営業するものと思い、ふだんの倍以上の時間をかけて、ほとんど命がけで弁当屋へと歩きました。やっとのことで到着すると、お店のシャッターは無情にも閉まっており、営業はしていませんでした。そして僕は再び、ほとんど命がけで猛烈な雨と風のなかを歩いて帰ったのです。

 僕は連絡網を回すのを怠った元クラスメイトの彼を責めませんでしたが、例の優しい社員さんが「君はどうして田中くんに連絡しなかったんだ?」と問い詰めました。彼は申し訳なさそうな顔一つせずに、むしろめんどくさそうに「忘れてました」と答えました。彼にとって僕はその程度の存在でしかないんだな、と思って悲しい気持ちになりました。そのことは今でもたまに思い出して、悲しみがよみがえります。

 また、僕は遅刻することも仕事を休むことも一度もなく、大型台風が直撃しているなかでもお店まで行く、という真面目さを見せていたにもかかわらず、研修期間で首になりました。めったに姿を現さないらしい店長と初めて一緒に仕事をしたとき、店長は休憩時間に缶コーヒーをおごってくれました。「店長は厳しい人だけれど、優しいところもあるんだな!」と感動しました。しかし一緒にコーヒーを飲んでいると店長は言いました、「君、明日から来なくていいよ」と。僕は仕事のできない人間である自覚が強くあったため、「はい、わかりました」と素直に首を受け入れました。

 その日、店長は何度か「手があいたら何かすることがないか訊けよ!」と怒っていたので、そのことが主な原因だと思います。でも、たったいちど一緒に働いただけで首にしなくてもいいだろう。もう少しくらい長い目で育ててくれてもいいんじゃないか。しかも時給はたった650円なんだし。素直に首を受け入れた僕だけれど、そういう釈然としない気持ちは心の底に残りました。そして今でもしばしば、「自分は時給650円の価値もない人間なのだ」という思いに苦しめられています。

 後日、例の優しい社員さんに「田中くんが辞めることになってしまって残念だよ。今まで働いた分のバイト代は必ず受け取りに来るんだよ」と言われ、指定された日にお店に行くと、例の元クラスメイトがいて、「おまえ、首になったのにバイト代はしっかり取りに来るんだな」と嫌みを言われました。こいつは仕事ができるだけで、本当にろくでもないやつだな、と呆れました。そのあとは二度と彼に会っていません。今ごろ不幸になっていればいいなと思います。受け取ったバイト代は結局、ニンテンドー64とソフトの購入には使わず(たぶん足りなかったんだと思う)、当時はまっていたアーケードゲームのバーチャファイター2か3に使いました。

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