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With障害【いまを生きる】

ないものねだり。

そんなことをして、果たして意味があるのだろうか。

ぼくは全く意味がないと思う。そんなことをしだしたら、キリがなくなってしまう。

自分のあら探しをして、他人を妬み、ないものねだりをする。
そんな生き方が果たして幸せなんだろうか。

ないものを欲しがっている時間があったら、いま自分に持っている何かでそれを達成しようとした方が格段に速い。

この世は
もので溢れている。
金で溢れている。
愛で溢れている。
楽しみで溢れている。
怒りで溢れている。
悲しみで溢れている。
苦しみで溢れている。

このように沢山なモノと感情が渦巻いている。

けれど、世界はみんなにとって全部同じものだと思う。世界は一人ひとりの価値観や見方によって変わる。自分の考え方次第で、どんな世界にでも変えることが出来る。

僕はそう信じている。

なぜ僕がこんな風に思うようになったか。
そのきっかけには自分にある障害が深く関係しているだろう。

耳が聞こえにくいという事実

僕は生まれつき耳が聞こえにくい。

僕はこの障害によって、小学校のときからいろんな嫌がらせを受けてきた。

小学校では、「ロボット」「耳に変なの付けてる」とからかわれていた。
4年生の時には、担任にも嫌がらせに近いことを受けていた。
嫌がらせや悪口が学年が上がるごとにエスカレートしてきた。止めてほしいと言っても、クラスメートは全く止めない。とうとう我慢できなくなり、手を出してしまって喧嘩になることが多かった。その時の担任はそうなった背景は全く聞かずに、手を出した私ばかりを非難し叱ってきた。

やるほうよりやられるほうが悪い。
抵抗したほうが悪い。
対処法を変えろ。


そんな構図が出来ていた。
悔しくて悔しくてたまらなかった。
それと同時に自分への自信も無くしてしまった。

小学校5年生で、大人数の小学校に転校した。

音楽の時間でみんなの前で1人1人発表するという時間があった。
音の高低もはっきりわからないから、練習しても音程を掴むのが難しい。
私は音痴だったので嫌だと先生に伝えていたが、テストも兼ねていたので仕方なく歌うことになった。

いざ歌ってみるとやはり音痴なので、めちゃめちゃ馬鹿にされた。
「障害があって仕方ないことなのに、なぜこんなに馬鹿にされないといけないのか」と、どうにもならない悔しさを感じていたことを覚えている。

中学・高校では発音や滑舌のことでよく馬鹿にされていた。
自分が何かを話すたびに真似をされる。「止めて」と訴えても、それすらも真似をされる。
その人からしたら、いじってるだけのつもりだったのかもしれない。
けれども、それが苦痛で苦痛で仕方がなかった。

いま思えば、中学の時の担任もやる側よりもやられた側への対応方法の改善を求めていた気がする。
「対応の仕方を変えないと、この先苦労するよ。」
「お前も大人にならなきゃ。」
「悪いのは俺なのか?」といつも感じていた。

それが積み重なって、
ときには自分を否定するような考え方をする時もあった。そしてその嫌がらせをする奴を心底憎んでいた時もあった。
そして障害のない自分だったらどうだったんだろうとずっと想像していた時期もあった。
でも、それを考えれば考えるほど現実の自分のギャップに苦しんだ。親に八つ当たりし、「なぜ自分を産んだのか」と問い詰めたこともあった。

本当にあの時は申し訳ないことをしたと思っている。親も泣いていた。
「どんなに自分の耳と取り換えてあげたいと思ったか。でも、それができない現実を受け入れなければいけなかった」と言っていた。
親の気持ちは自分には到底理解できないだろう。
でも、親は自分が将来いろいろ苦労しないようにたくさん考えていてくれたと思う。
当時は厳しくて喧嘩もよくしたけれど、いま思えば愛情だったんだなと感謝している。

自分にベクトルを向ける

嫌がらせがなぜ続くのか?
なぜこれだけ言っても、やめてくれないのだろうか?悩みに悩んだ。

けれど、いくら他人にベクトルを向けても、まったく答えが出なかった。

その時に、ふと自分にベクトルを向けてみようと思った。

なぜ、自分は自分に劣等感を感じているのか?
なぜ、自分の発音の真似をされることが嫌なのか?

そうして自分と対話した結果、

自分が努力してきた過程を否定された気分になったから

という結論に達した。

もちろん、健常者に比べたら滑舌は悪い。
それでも、全くしゃべれなかったときから毎日少しずつ努力を重ねて、今のレベルまで矯正した。それを否定されて、今までの努力が意味のないように自分自身が感じてしまっていることを信じたくなかったのだと思う。

そして、その時にこう思った。

その人が見ていなければ、過程は評価されない。
大半の他人は、過程ではなく事実や結果で評価する。


だからこそ、自分の滑舌が悪いという事実が嫌がらせ(いじり)の対象になったのだと、初めて理解できた。過程を見ていないのだから、それを言ったところで理解してもらえるわけがない。

滑舌が悪い。
耳が聴こえにくい。
会話についていけない。

それはれっきとした事実。障害は個性なんかじゃない。
障害は障害だという紛れもない事実。

しかし、自分の欠点を少しでも埋めようとした努力は決して消えない。その努力は、自分こそが肯定してあげられるもの。

それらを理解できた時に初めて、自分に障害があるということを受け入れることが出来た。


ないものねだりをしない

いま、私は大学生になり、とても楽しく人生を過ごしている。

部活動で本気でサッカーに打ち込み、
インターンでいろいろな経験をさせてもらい、
国を代表して戦う経験もさせてもらい、
新しいコミュニティに飛び込んで様々な価値観に触れ、これから小学校の道徳授業で講師をする予定もある。

ないものねだりをしなくなったことが一番大きいと思う。

絶対に得られないものを待ち望むより、
いま自分に持っている何かで、
それをどのように工夫して、
それをどのように最大限使えるか、

を考えるようになった。

環境を変えることも重要だが、いま与えられた環境でどうやったらベストを尽くせるかを一番に考えられるようになった。

私は障害があってできないことをどうにかしようとするよりも、諦めることに決めた。
できないとどう嘆いても、できないものはできないと割り切るようになった。

こんな言葉がある。

配られたカードで勝負するっきゃないのさ…。 それがどういう意味であれ。-スヌーピー

大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。-嫌われる勇気


国籍、宗教、人種、障害、金銭的状況、場所。
確かに生まれた時の環境を子供が選択することはできない。

でも、環境が変わるのを待っていては何も変わらない。

けれど、
自分の考え方を変えることはできる。
今の環境で何が出来るかを考えることは出来る。
自分で環境を変えることは出来る。

自分には障害がある。
そのことで苦手なことや不便なこともある。
だけど、決して人生が不幸なわけじゃない。
自分が得意なことや長所だってある。
そこに胸を張ればいい。

そこから、障害があることを自分から打ち明けられるようになった。
障害のことでからかわれたり、笑われたりしても動じなくなった。
自分に自信を持てるようになった。

過去にどんな事があったかなど、あなたの「今、ここ」には何の関係もないし、未来がどうであるかなど「今、ここ」で考える問題ではない。-嫌われる勇気

この言葉を借りれば、障害があったことで起きた事実など過去の話で、いまどうするかには関係ない。大切なのは、いまだ。

過去に捉われて行動するなんてばかばかしいと思うようになった。
過去に捉われずに目の前の人と向き合うようになった。
過去に捉われずに自分に忠実になった。


死ぬまでwith障害。いまを生きる。

「コロナウィルスによって身動きが出来なくなったいま、自分に何が出来るのか」というようなツイートを最近よく見かける。withコロナとかafterコロナという言葉がよく使われるようなった。

でも、僕はそんなことは前からずっと考えていた。

そう、障害はずっと付きまとう。
治らない障害なら、死ぬまで「with障害」。
障害と共に生きなきゃいけない。
出来ないことがはっきりしているからこそ、そこから目をそらしてはいけない。受け入れなきゃいけない。

いま自分は何が出来るのか。
いま自分は何をすればいいのか。
いま自分は何をしたいのか。
いま自分は何を大切にしたいのか。

確かにビジョンを描くことは大事だ。
でも、それはいまを頑張るからこそ実現できるものだと思う。
これからもいまを大切に、自分を好きでいて生き続けていきたい。

後悔がないようにいまを生きる。

ぼくはこの考えを大切にしていきたい。

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