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私は受け入れて、心配してくれる”家”が欲しかった【うつ、元不登校、大学生】

 4月で、大学2年生になりました。うつになってから、1年半が経ったことになります。

 私は、福祉職を目指して、勉強しています。サークルの活動をきっかけに福祉施設の施設長や、大学で同じように精神疾患をもつ友人とも関わりが出来ました。当たり前に自分が受け入れられる場を手にすることが出来ました。

 気力が湧かず、もう何も頑張れないのかもしれないと1年半前は思っていましたが、今はサークルの代表になっててんやわんやの日々です。

 すごく良かったなと思っています。いい環境を手に入れたなと。でも、定期的に調子は悪くなるし、どこかなにかが足りないという気持ちが湧いてきます。

 ずっとなんでだろう、何が足りないんだろうと漠然と思っていました。

 最近やっと気が付きました。あー”家”が欲しかったんだと。

 私の地元の友達は、長期の休みや連休の度実家に帰っています。田舎だし、暇じゃないのかな。なんでそんな頻繁に帰るんだろうと疑問に感じてました。

ですが、 母と話していて、気づいたんです。心配と許容をしてくれる”家”が友人にはあるんだと。私もその”家”が欲しかったんだなと気づきました。

 私の父は、家に帰ってきても何か動けといいますし、心配されたという思い出は正直ありません。骨折も事故にもあったことがありますし、不登校になって、うつにもなりました。自分でも胃に穴が空いてしまいそうな危なっかしい娘だなと思います。それでも、心配された覚えがないです。多分、していないわけではないと思います。けれど、それが「大丈夫か?」や「休みな」に繋がらないだけで。

 まだ服薬は続けています。正直、精神医学や薬物療法に対する知識ない父は多分”甘え”だと思っているのでしょう。根性論や甘えという考えが強い人で、これはもう持ち合わせた性格なのだからしかたがないです。

なので、私の実家は、”頑張っている自分”しか受け入れられない家になってしまっています。

 その反動で、私は、純粋に自分が受け入れられて、心配をしてくれる”家”をずっと望んでいたんです。明確で変わらない”家”を、そこに行けば癒される空間を。

 自分の一人暮らしの家という安全な家は手に入れたと思います。心配してくれる友人も。でも、贅沢なことにそれが一緒になってくれたら、その”家”に行けばそれらが全て感じられような場所があったらと思ってしまいます。安全地帯のようなものが喉から手が出るほど欲しいと願ってしまいます。

 頑張りすぎ、無理のし過ぎは駄目だと、身を滅ぼしてしまうとわかっていながらも、どこかで頑張らない私は認められないと思ってしまっています。いい環境手にしながらも、繰り返し倒れてしまいます。

 頑張りすぎだと、別にあなたが何をしようと変わらずいるよと言ってくれるような人がもっと傍にいれば、もうちょっと自分を大切に出来るのでしょうか。

 母と弟はそう言ってくれるんだと思うんです。ということは、私は私の願っている”家”は手にしているということになるはずなんですが、父がいたり、数十メートル先にいる祖父母の家がある時点で、そうではなくなってしまいます。自分が見たいものだけ見てればいいのに、嫌なものばかり目についてしょうがなくなるんです。諦められなくなるんです。認めて欲しいと私を許容してと叫びたくなって、必死に我慢して、ふとした言葉に傷ついて、言い返せない自分に苛立って、悲しくなっていくんです。

 望むものも死ぬほど嫌なものも同時に存在する実家は、混乱してしまって、安息の地ではなくなってしまうんです。

 わがままでしょうか。わがままでもなんでもいいから、許容して心配してくれる頑張らなくていい”家”が欲しいです。

 ですが、それを叶える前に自分が頑張っていない自分を認めなきゃいけないなとも思います。

 

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