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ドラマから見る時代論と違和感/受験論 etc

アメリカの留学先とかを見ていると、中国人が多いんだなぁ、と思った。中国では、外国に留学して、帰国した後に技術を持ってきてくれるかもしれないので、歓迎しているそうだ。日本では、「留学しましょう」という感じはしない。ただ、この狭い中だけを知ったままでいいのか、と思う。


中国や韓国などの国では、受験が大変で、競争社会という雰囲気がある。他のアジアにも、そんな雰囲気が漂っている。日本は、受験といっても、そこまでのものではないな、とドラマを見て思った。


私が見ているものだけかもしれないが、中国のドラマでは、高校生とかがテーマの話が少ない。日本では、高校はよくあるイメージだ。日本原作の恋愛作品を中国や台湾で実写化したときに、何故か高校生設定が、大学生になっていた。


高校生が恋愛するのが、一般的ではないからなのかもしれない。日本の高校生が、おしゃれや流行に敏感と言われるのも、考えてみればそこまで受験が大変じゃないからできることだ。


中国では小さい頃から、習い事させて、子供を有望にしたいらしい。ある子供は週6で習い事のかけもち。日本でもそういう人はいるけれど、多分その熱量は違う。



そんな小さい頃なら楽しく遊ばせたほうが、と思う反面、高校生の楽しみなど、それが長い目で見たときに本当に良いことなのかはわからない。


高校時代をどう過ごすべきか



tiktokを見ながらの三年の高校生活も、勉強漬けの三年も、どちらも三年に変わりがない。そして、かなりの大人になったときに、結果が出るのだ。人生の答え合わせはあまりに遅く、特に高校生のやることはあまりに多い。


高校、大学でほとんど、将来の道が決まる。でも、私は、道がよくわからない。もっと自由になって、例えば週2教師、週2ピアノの先生、週2カフェの運営とかできるようになればいいのに…と思う。


色んなことがやりたい。一つのことを毎日できる人が、凄いと思う。飽きることが弱点だし、一番の弱点は弱い意志だとわかっている。


大学に受かれば、悠々キャンパスライフという感じ。他の国では、入ってからも大変なようだ。中国のような苛烈な受験勉強生活はともかく、こんなのほほんとしていて、他の国の人とビジネスで、押し負けるのでは?なんて思うけれど、のほほんとした、強みがあるのかも知れない。


ドラマの話

中国ドラマを見てから、日本のドラマを見ると、日本人はのほほんとした顔つきだなぁ、と思う。なんというか、敵が来ても気がつかなさそうな平和が顔から滲み出ている。


あと、姿勢が悪いなと思う。よく、日本は着物文化だから、それを受け継いで猫背だ、みたいに聞くけれど、ならなぜ中国人や台湾の方の姿勢が良いのだろう。歩き方も、綺麗だ。


洗練されているな、と思うのは日本人なのだが、姿勢に関しては強く違和感を覚える。ふと思う。チャイボーグなどの中華コスメが、一部流行ったが、日本人の方が、化粧に関心があるのに、どうして中華コスメが流行るのだろう、と。


というか中国や台湾の方はあまり化粧をしない感じで出ている人も多い。髪の毛のおしゃれさも、日本人は凄い。テレビで出てくる女の人の髪型が、毎回違う。それと、カメラの見せ方も上手い。


いつから我々は、自信を失ったのだろうか?


男女問わず、恋愛ドラマでも感じるのだが、中国などのドラマでは、とても自信を感じるし、堂々としている。好きなら、好きと伝えているけれど、日本のものになると、容姿へのコンプレックスとか、好きと言えなくて…みたいな葛藤が描かれている。


これはドラマに限らず、現実でもだ。両思いのまま、お互いに言えば、7話が過ぎました…みたいな展開を海外のもので見たことがない。話としては面白いのかもしれないけれど、この自己肯定感の低さが、良くないなぁと思う。


ただ、中国ドラマの人の人数、例えば清の時代の主要キャストである、兄弟10人プラス女の人が、一画面に全員集合しているなど、人数も服もとてもお金がかかっている。関係ないが、辮髪の人たちが一気に現れるので、顔が覚えられない。


低コスト問題

日本のドラマは、ニッチなコンセプトが多くて、例えば●●飯を食べるだけのドラマなどもあるけれど、それは、予算の問題なのかな、と思ったりもする。恋愛ドラマも、お金をかけずに取ることができる。それが難しいのが、時代物などだ。着物は、安いと目立つだろう。


このご時世になって、さらに予算が厳しいのか、経費削減の涙ぐましい感じが、画面から伝わってくる。ドラマに集中すればいいのに、提供が減ったな、などと考えてしまう。


昔と変わったなぁ、とふと思ったことがある。まず、オープニングとエンディングが入っていたのが、ほとんど入らなくなっている。視聴者が飽きやすいからだろうか。

古く感じる作品が多い

あとは、昔のドラマを見ていると、本当にそこらじゅうでタバコを吸っていることが目立つ。それと、時代が画面だけでわかりやすいな、と思う。服装が違いすぎる。バブルや、ギャルブーム、森ガール…などなど、服装だけで、大体のことがわかる。そして、当時の格好をしている人が皆無と言って良いほど、いなくなった。



年齢をサバ読んで付き合っていた、みたいな話を最近みたけれど、これからはそれがしやすいかも知れない。というか、最近は●●ブームみたいな、みんながおんなじ服を着て、おんなじものや人にハマるものがない。


そして、白黒写真や、テレビの時代から、パソコンが出てきて、携帯からスマホ…という流れだが、これからは、そういう区切りは浅くなる気がする。


ゼロからの携帯や、テレビと比べて、スマホから、無人運転になっても、スマホの衝撃を上回らない感じがある。すでに、ペッパーくんもいるし、ロボットが増えても、同様だ。


これからは●●世代というように区切れるのかも、謎だ。昭和の名曲の後に、平成を流すと、違いは明らかだが、令和と平成の違いは弱い感じだ。もちろん、令和はまだ始まったばかりだけれど。


画質が荒いと、想像以上に昔という感じがするけれど、この10年くらいからはそこまでの画質の違いがない。数年前のドラマを見ても、画質が良いと普通に思えるけれど、20年も昔だと、画質を見ただけで、古く思える。


髪型や服装が違うだけではなく、女の人が「●●わねぇ」「●●よ」と、今よりも、女性的な言葉遣いだなぁ、と思った。


ただ、数年前のドラマも私は古く感じた。キャストが、今のキャストではないのだ。その時代に出ていたなぁ、という役者の方が決まっていて、そういえば見ないな、という人が映っているのだ。特に、若い人の恋愛ものは、当時の旬な人が出ている。ただ、今見てもなぁ、という感じで、ドラマって難しい。


時代という壁

時代を超えるのが難しいとも言えるし、そんなに頻繁に人が入れ替わるのは変だなぁとも思う。ある程度の年齢になると出なくなるし、そこからさらに若い人が出てくる。古いものはすぐ淘汰される。


毎年毎年、スターや逸材が生まれるとは思えないのだけれど、すぐに新しいものに目がいく。アイドルとかを見ていると、みんな若い人が好きなんだな、と思うけれど、その割には、若い人に優しくない環境だ。平均年齢が高い国だから、若い人のフレッシュなパワーを見て、若い気持ちになりたいのかもしれない。


正直、日本とか、アメリカのような、そういう国の概念がそもそもなくなれば、●●人だからという、差別もなくなるような気がする。国という概念も薄れるのだろう、と思ったけれど、このご時世になり、さらに国というものが強くなった気がする。











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