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シール一つで、習慣化が楽しくなった/noteは、なぜ継続できないのか熟考してみた件

些細なことで、習慣が継続出来ている。苦手だった運動も。湯船に入る習慣も。全ては、健康のためである。ただ、noteはまだ出来ていないが…

習慣付けには色々な方法がある。私は何度となく取り組んでみたけれど、容易に挫折した。例えば、朝一番に白湯を飲むことなど。シンプルなのに、意外と忘れる。でも、最近はようやく軌道に乗ってきた感がある。

その秘訣が、これである。

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シールを大量に用意して、無料のサイト(印刷ok)からハビットトラッカーを印刷した。

最初は、有名な日付の書いてあるマスキングテープを買おうかと思ったけれど、それだとランニングコストが高くつくのがネックだった。

元々はは無地のノートに、線を引いてハビットトラッカーを作っていたのだが、枠の中を綺麗に塗り潰していないためか、見にくかった。また、いちいち表を作るのが手間に思い、これは続かないと確信した。


習慣化アプリもいくつかダウンロードしてみたけれど、途中から有料になったりと、利便性が悪く感じた。

ハビットトラッカー帳も気になったが、私はたくさんの項目を書きたいので、すぐ使い切ってしまいそうで、私には見合わなかった。

一番安く続けるのは、シールではなく、ペンで塗りつぶすことだろう。しかし、綺麗に枠を塗りつぶすのは手間だと思う。


受験の時もこれをやったら良かったなぁ、と思ったりもした。余談だが、それとは別に、リマインドで忘れることを防止したりもする。


シールを先に貼ってしまうという方法もある。貼ると、やらなきゃなと思えるのだ。


シールは意外と安い。枚数が少ないと残量ばかり気にして、ケチケチしてしまうので、たくさん買った。8000シール(もちろん枚ではない)ある。これで、後には引けなくなった。


やったことからシールを貼るのだが、わかりやすいし、貼るのは単純な動作だから、さほどの手間でもない。シールを貼るのが面倒な時は、チェックを入れておき、後日シールを貼っている。シールは見やすくて良い。


大したことじゃないけれど、カラフルになるのが楽しい。ここに書いてある項目は結構続けられているのだが、どうにも達成できていないのが、noteを書くこと。ハビットトラッカーにも項目として入れているのに…


最近は、あまりにnoteを書くの空欄が目立つので、そろそろ、どげんかせんと…という気持ちが強くなっていた。


noteを継続するのは、なぜ難しいのか?


さて、noteを続けられない理由を考えてみた。いつでも書けるようにホーム画面に置いているのだが…そもそもネット検索で誰かが書いた気になるnoteの記事が出てきた時にも、サイトをクリックする勇気が出ない。

原因



① 手が疲れる


日記は毎日書けるのだが、スマホで字を打つのが面倒な人間のようだ。そういえばLINEも、スタンプくらいしか押していない。その反面、動画ばかり見ている。スマホを持ちながら操作しているので、どうにも手が疲れている。


→スマホで文章を打つときは、手の痛みが気にならない。ドーパミンが出ているからだろう。むしろ書き終わったあとに、痛みがあるはずだ。少なくとも打っている間は痛くないのだから、とりあえず打ち始めよう。


②通知のアイコンが苦手


どうしても、通知の赤いアイコンに数字が書いてあるのが、すぐに目につく。私は、インスタのいいねされました、とかも見たくない。でも、インスタは仕事のためにやることがあるのだ。というか、完全に仕事用。もちろん「いいね」をしてくださるのは嬉しいのだが。見る行為が苦手だ。かといってずっと通知がついているのも、なんだか落ち着かない。


③カフェに行かなくなったから


電車などの移動時間に書いていたのだが、家だと他にやることが多い。ただ、スマホでドラマなんかを見たり、音楽を聴いたりしているだけで、どうして夕方になっているのだろう。カフェでは特に、400円払ったし何かしなきゃ、と思って記事を書くことができるのだ。周りに人がいるから、少し焦りながら書くため、集中力も増す。

→結局どこでもやれる人が強い。ここでやる…みたいなのを作ると良いと言うけど、それが難しい瞬間も来る。ならば、臨機応変に動こう。

④意思が削がれていく、現代ゆえか


ドラマなどを見たり、本を読んだり…インプットが好きみたいだ。人間何かに力を入れると、どこかが疎かになる。今は食生活を気にしていて、これからはマルチタスクをしすぎている自分が気になるので、それを改善したいと考えている。


ただ、私は一気に色々と変えてしまいたい人間なのだが、これが疲れの原因になっているようだ。新しいことの中に、どうにかnoteを書く時間を食い込ませたいところだが…マルチタスク人間だが、動画を見ながら記事が書けないと最近悟った。書くときは、それしかできないことが、非効率のように思えてしまったりする。そんなに急いで何がしたいのか、よくわからないけど。


⑤モチベーションが弱い


強い意志、例えば「どうしても伝えたい!この人の魅力を!!!」みたいな、何かに沼っている人ような、マインドがない。意識しないと、自分の気持ちを自分で抱えたまま、終わってしまう。


そんなばかりの人生も、面白みがないので、ちぃとは喋らな、いかんのだ。でも、書くにしろ喋るにしろ、気力がいる。運動(リングフィット)は一人で出来るからいいけど、文章には相手がいるわけで、こりゃ面倒と感じてしまう。

⑥この記事を…?という躊躇い


→妙な期待を自分に乗せない。大抵、物凄く面白くはないかもしれないが、とんでもない駄文ということもない。何より、自分の文章を自分で判断することは難しい。


それではどうするか…

とりあえず、サイトを開く。スモールステップが良いのは有名だ。私の場合、開いたら何かしら書く。毎日更新しなくてもいいから、とりあえず一文でも書く。一回書くと長くなりがちなので、面倒に思えてしまうのだが、分割すればいいし、毎日開くけど、毎日投稿はしないというスタイルも良いだろう。


以前書いた記事が下書きにいくつかあるのだが、古びているように思えて、出すことに抵抗がある。ストックは良いけど、ある程度鮮度っていうものがあるみたいだ。


あとは、1分だけ開くなどと、タイムアタックをするのも良いだろう。私は、タイムアタックが好きだ。これは、人による方法とも思う。

逆に、苦手な運動が続いている理由を考えてみた


①色々考えない


今日は疲れているから、とか、無理しなくても大丈夫だよ、と言うよりも、「とりあえずやろ」という感じ。先を見ないことと、劇的に痩せるなどの目的にフォーカスし過ぎない。その行為を楽しんでいる。

②謎ルールがあるから


テレビで良く見る活発な、とある人がテレビに映った途端に運動することにしている。謎ルールなのだが、この人が不意にテレビに出ているたびに、「あ、やらなきゃ」と思える。


こういう人を作るのも良いのかもしれない。これは例えば英語が流暢な友人に会うたびに、英語を、やる気になるみたいな感じかもしれない。例えば同窓会の後とかは、やる気になる。先日、母校のパンフレットが届いた時も、「うぉー」とよくわからぬ刺激を受けた。架空の刺激になる人を作れば良いということだ。

③痩せるため以外のメリットがあるから


例えばメンタルが安定したり、なんかスッキリする。これはnoteの場合は、なんだろうか?

私の場合は、「ねぇ私の話を、聞いて聞いて!」という気分には、ならないのだが。自己顕示欲を満たすため、というのはちょっと当てはまらない。たまにブログを見ていると、そういう人に出会うことはある。


普段誰かに話さない代わりに、発信できる唯一の場所という利点がある。本を読んでいてわかったのだが、やはり発信はしたほうがいいらしい。SNSなどで、気楽に意見を言おう、と。

どこまで書いて良いのか問題


noteは良いとしても、どうしてもTwitterなどで呟くことが、よーわからん。一日中、呟くこと何かな?とか考えていそうだ。余談だが、ここに書くときも私は、本名でも書いているか?を基準に書いている。


ネットでは何が起こるかわからない。例えば、誹謗中傷を平気で書いている人がいるけれど、あれは本名でも書けるのだろうか?何が起こるかわからない世の中、本名がバレても大丈夫なことを、責任を持って書いている。


念には念を入れたいので、noteに掲載した後に、毎回、母に見てもらっている(笑)もちろん、自発的にこちらから提案した。不適切でない場合以外は、直すことはないが。母に見せるのは気恥ずかしいけれど、そういうものだと割り切っている。


知り合いには見られたくない文章をブログで上げている人も多いみたいだ。私は、何らかの理由で知り合いにバレても平気なものを…という意味でも、母に見せている。家族との生々しい喧嘩を書いている人を見ると、大丈夫かな、とヒヤリとする。


私は以前から、常に流出を考えているので、LINEでも変なこと(?)は書かないようにしている。

オンオフがない人もいる


余談だが、以前知り合いのおじさんのTwitterを見たら、自分の子供ののほほんとした雰囲気の写真をアップしているのに、様々なバリエーションの風俗をいくつもフォローしていた。


使い方がわかっていないのだろうか。やっぱりSNSは、使う人を選ぶみたいだ。なんだか、怖くなってその人とは距離を置いたけれど。こういうことに限らず、私たちは無意識に素を出していて、それに気がついていないだけなのかもしれない。


ならば、徳を磨くみたいに、素の自分を少しでも高めないと、底が知れるだろう。SNSでの呟きを見ていると思うけど、何でも言えば良いとも思わない。世の中には、言わないほうがいいことだってたくさんある。ちょっとくらい神秘的な人の方が魅力を感じる。


それでも書いた方が良いことがある


いくらSNSみたいに自己開示が嫌だとしても、誰とも話さないのは不健全だ。ならば、自己顕示欲うんぬんと、考えないで書く方がいい。


あとは、読書ならば「この本の感想をnoteに書こう」と思っただけで、しっかりと覚えようとする気持ちが増す。あやふやな知識を広めたらヤバいからだ。


日常会話では、そんなに込み入った話をする機会がない。人を選ぶ。例えば哲学とか政治の話とか、思考法とか、読んだ本とか。趣味が噛み合わないのだ。ただ、ネット(note)なら、書くことができる。身の回りにはいないような、普段巡り会えない人と仲良くなれるということもある。私は、まだないが。


皆さんの、noteを書くモチベーションは何でしょうか?

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