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気が済むまでやらないからいつまでももやもやしてしまう

最近、大切にしているのは、なにごとも「気が済むまでやる」ということだ。

ここ最近めっきり外出の機会も減り、ひたすら修行僧みたいな生活になっているのだが、そんな暮らしの中で色々と発見があったのでそのことを書いてみたい。



起きてからまず最初にやることは、もやもやを全て綺麗サッパリ吐き出すことだ。これは徹底的に、何時間でもやる。一日で終わらなければ次の日も続きを考える。

他のことをする時間がなくなってもやる。もやもやが残っていると、仕事をしていても雑念として頭に思い浮かんでくる。それで気が散ったり、別のことをしたりしてしまう。選択を間違う。だからとにかくもやもやを徹底的に言語化することに妥協しない。

もやもやを処理する方法は人によって様々だろう。それが絵だったり音楽だったりする人もいるだろう。自分の場合は言葉を使うのが性にあっているようなのでそれを使っているにすぎない。

まずは散歩をしながらひたすらしゃべる。しゃべりながら思考を言語化する。交通量の多い幹線道路沿いをマスクをして散歩していれば、しゃべっていてもほとんど気づかれることはない。

散歩中に言語化した内容を、家にもどったら今度はタイピングによって文字起こしする。

それを清書して、公開中のNotionに書く。

今回はさらにそれを清書して、noteに書いた。

ここまでやりたくなるのはめずらしいけど、とにかく気が済むまで言語化し続ける。


「自分にはそんなことをしている暇がない」と思われるかもしれない。

しかし、ならばいつになったらそのもやもやと向き合えるのだろうか。


もやもやに大きいも小さいもない。もやもやは人生の課題そのものだ。

もやもやは土日にまとまった時間をとってまとめて効率的に処理できるようなものではない。もやもやこれまで先送りしてきた人生の全てである。

本来であれば今すぐ全てを中断してでも向き合うべきことなのだ。だからいつまでも頭にこびりついているのだ。

だから一日の最初に、使える時間を全て使って考え尽くすのである。


「そんなの、一生かかっても終わる気がしない」と思うかもしれない。

ならば一生考え続ければいいのである。それほどのテーマをあなたは与えられているということだ。それほどに有意義な生き方がほかにあろうか。


しかし残念ながら、「終わる気がしない」という気分はたいてい、幻想である。考え尽くしたことがないから、考えなきゃいけないことがいっぱいあるような気がするのだ。

本腰を入れて向き合えば、もやもやなんて意外とすぐに底をついてしまう。本気でやれば意外とすぐに「気が済む」のである。中途半端に終わらせるから、いつまでももやもやが尽きない気がしてしまうのだ。

この「気が済む」という体験を積み重ねることはとても大切だ。



次に取り掛かるのは家事だ。ここでいう家事には掃除洗濯はもちろん、部屋の片付け、身だしなみを整えるといった行為も含む。

頭の中が片付いたら、身の回りを整えることに時間をつかう。

家事を適当に終わらせてはいけない。家事の適当さはソウルジェム(※)を濁す。

家事はどれくらいやるか。これも「気の済むまで」である。当然、忙しさにかまけて散らかり放題の部屋だとしたら、気が済むまでには何日も何ヶ月もかかるかもしれない。だったら何ヶ月もかければよい。片付いたと思うまで、勉強だの運動だの、他のことは一切する必要はない。


「私は不完全な部屋に住んでいる」と思っていないだろうか。私は本来もっとちゃんとした場所に住むべき人間だと。今の場所は仮住まいなのだと思っていないだろうか。その思いが家事の適当さを招き、家事の適当さがこの仮住まい感を増長する。

今の自分がどんな場所に住んでいようと、縁あって身を置いているその場所を、今の自分ができる最善を尽くして整えなければならない。

しかし「自分はどうしても家事がきらいだ」という人がいるかもしれない。家事がきらい、というのは魂の判断ではない。善悪の判断だ。家事という無駄なことをする時間があったら他のことをしたいということなのだろう。この善悪の判断はいずれ手放すべきものだ。

しかし実際問題、家事をやりたくないという感覚が自分の中にあるのだから仕方がない。ならば効率化しよう。やらなくていいことをやらずに済むようにするのはいいことだ。ブラーバや食洗機を導入しよう。

しかしどこまで効率化しても、自分がやるべき家事がゼロになることはない。ブラーバや食洗機のスイッチを押すのは私なのだ。だから家事そのものを憎んではならない。

そもそも家事すなわち自分の身の回りを整える行為は、生きる行為そのものであり、神聖な行為である。好き嫌いを超越した営みだ。そういった行為をきらいになってはいけない。

今いる場所を尊べないのであれば、どこにいっても人生は(仮)のままだ。この(仮)を外さなければならない。今すぐに。

だからまずは家事にたっぷり時間をかけなければならない。気が済むまで皿を洗い、洗濯をするのだ。部屋を片付けるのだ。

雑誌にのるようなおしゃれな部屋にしなきゃいけないとか、いらないものは徹底的に捨てなきゃいけないとか考えてはいけない。これもまた善悪の判断である。

他の人がみてきれいかどうかなんてどうでもいい。自分の気が済むかどうかだけが大切なことだ。

ちなみに自分の部屋には今ダンボールが山積みだ。ソファにも物が山積みになっている。しかし、今の自分にとって、それは気にならない。必要だからそこにあるのだ。だからこれで私の部屋は十分に整っているのである。



さて。これでようやく、メンテナンス完了である。今日の仕事にとりかかろう。

最初の数日はほぼこれだけで一日が終わった。今まで放置していたもやもや、生活空間の乱れが多ければ多いほど、気が済むまでには時間がかかるだろう。

しかし、いちど徹底的に気が済むまで取り掛かってしまえば、あとは日々、多少のメンテナンス程度の時間で済むようになる。

いちどその域に達してしまえば、つねにもやもやのない、スッキリした頭で、気持ちよく整った生活環境で、今の自分が向き合うべきことに取り組むことができるようになる。

それに加えて、考えること、整えることは、本気で没頭することによって、自分にとっての譲れないライン、やりすぎなラインというのもだんだん見えてくる。

すると整えすぎることも減ってくる。やりすぎなことはやらずに済むようになってくる。

そうなってくれば、ますます時間があまりはじめる。

なんのもやもやもなく、すっかり整った自分の空間で、あなたはどんなことを考えるのだろうか。何をしたいと思うのだろうか。


※ソウルジェムとは


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