仕事や創作の痛みから逃げないことにした
僕はいま文章の書き方を教わっているのだが、あるとき講師の倉園さんが創作をサウナにたとえていらして、そのお話がとても興味深かった。
サウナが心地いいのは入った直後の数分と、出た直後の数分だけで、ほとんどの時間は異常な暑さに耐えるだけの苦行だ。そんなところに僕らはわざわざ時間を使って出向き、お金を払い、密室に足を踏み入れ、じっと座って「退屈だ」「もうやめたい」という思いと戦い続ける。
クリエイターにとっての創作活動はこのサウナの苦行に似ている。自分の創っているものを退屈に感じ、もうやめたいと何度も思う。締め切りを放り出して温泉に行きたくなる。
「でもそこでぐっと踏みとどまる。席を立たずに腕を組み、目を瞑ってじっと待つ。すると書くべきことが降りてくるのだ」
と倉園さんは言う。
創作に限らず、仕事にはあらゆる苦痛がつきまとう。僕はできる限りこの苦痛を避けたいと思って生きてきた。そもそも「好きな仕事をする」ということは、「苦痛な仕事はしない」ということだと思っていた。
そうやって苦痛を避けるように仕事を選んでいたら、たしかにいやな仕事は減っていった。でも同時に、仕事がどんどんつまらなくなっていった。
「苦痛を避けていれば楽しいことだけが残る」と思っていたが、どうやらそうではないらしいとようやく気づいた。
でも、満員電車とか、えらい人の顔色をうかがったりだとか、そういうのがいやで自由な働き方を選んだのに、結局、ある程度の苦痛は受け入れないとだめだってことなんだろうか?
僕はできることなら、あらゆる苦痛から開放されたいのだが……。
でもよく考えてみると、ゲームにだって痛みはある。というかゲームも実はおもしろくない時間の方が多い。プレイヤーは何度も負けるし失敗させられる。いつもやりたいことができないし、欲しいものは手に入らない。
にも関わらずゲームは楽しい。というよりゲームのストレスは、ゲームの楽しさの一部だ。ストレスのないゲームなんて成立しないんじゃないだろうか。
つまり、何かを楽しむために避けて通れない種類の苦痛もあるということだ。そういう痛みを避けすぎると、その先にあるはずだった楽しさをも失ってしまう。
無痛を目指すこともできる。しかしそれは同時に、苦痛の先にあったはずの楽しさや充実感もあきらめなくてはいけないということだ。
もちろん避けるべき苦痛もある。満員電車や顔色伺いや寝不足になるほどの忙しさなんかがそうだ。そういうのを我慢し続けると鬱になったり、好きだったことが嫌いになったりしてしまう。
ならば、「避けるべき苦痛」と「乗り越えるべき苦痛」は、どうやって見分けたらいいのだろうか。
ほんとうだったらこういう違いは直感でわかることなんだと思う。それが僕みたいなタイプは頭で考えすぎているせいで、直感の声が聞こえなくなっているのだ。だからここでさらにあれこれ理屈をこねすぎると、なおさら直感がはたらかなくなるおそれもある。
それでもひとつだけ言えそうなことは、
「苦しみのなかに同時に心地よさもたしかに感じている」
そういう類の苦痛だったら受け入れてよさそうだ。サウナも創作もそこが共通している。
ふむ、ということは逆に「快楽のなかに苦痛がある」のはやめたほうがいいのかもね……過度な飲酒とか、多忙中毒とか……(あ、また考えすぎてしまっている)。
僕は「痛みに絶え過ぎると、それを嫌いになってしまう」と思っていた。痛みは自分が間違った方向に進んでいると教えてくれるシグナルだと思っていた。
たしかに痛みにはそういう面もある。でもいくら苦しみを味わっても文章を書くことはなぜかやめられない。結局やめるもやめないも自分では選べないのが表現活動なのだろう。
だから痛みも甘んじて受け入れよう。残念ながら、僕らがほしいものは苦痛の先にしかない。この痛みのところで引き返していたんでは、いつまでたってもそこには辿りつけない。
そろそろ避け続けてきた苦痛と向き合う準備ができたのかもしれない。10月は、痛みやストレスや不快感に、いつもよりまっすぐ向き合ってみようと思う。
……と、大げさに苦痛だ痛みだストレスだと書いてきたが、ここでいう苦痛というのは「アイデアが思い浮かばない」とかその程度のことを言っている。
机にじっと座ってアイデアを待つとか、集中が切れそうになってもスマホをさわらないとか、やりたくない仕事を先延ばさずにやるとか、そういう痛みから逃げずにやっていこうね、というだけの話だ。
サウナを楽しもうというだけの話だ。
CM
僕が倉園さんから教えてもらった創作との向き合い方を、多くの方に知ってもらいたくて「執筆教室」をつくりました。
いまは第3期(2022年11月~)を募集中です。
4期以降をいまもやってるかどうかは上記LPをご確認ください。たぶんやってます。
やってなかったら「やってほしい!」とお声がけください。
読みたい本がたくさんあります。