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自粛下の「欲望不全」との向き合い方

先日このようなツイートをみかけた。


このツイートに対して

「わかりみ」
「しんどい」

といった多くの共感がよせられていた。こちらにまとめられている。


「家にずっといると欲望がなくなる」というのは、会社をやめて家で仕事をするようになってから自分も実感していた。

でも人に会わない生活を6年くらい続けた現在、「余計な欲望がとれてめっちゃ楽になったな」と思うようになっている。



いま世界的に「欲望がなくなっていく」状況にあるけれど、これは多くの人が自分の中にある欲望を見直す、唯一無二のチャンスだと自分は思っている。


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欲望で動くのが得意な人と、そうでない人がいると思う。

欲望で動くのが得意な人は、やりたいと感じたときにはもう動いている。かれらは「やってみたいことがあってね……」という話はあまりしない。「今こういうことをやっててね……」と、いつも現在進行系で話す。

欲望で動くのが苦手な人は、やりたいと感じると同時に「恥をかくんじゃないか」「すべてが無駄になるんじゃないか」ということが気になって、動くよりまず思考が始まる。

欲望で動くのが苦手な人は、欲望を抑えつけるのがうまい。昔色々あって身に付けざるを得なかったスキルなのかもしれない。


しかし現代は、欲望を抑え込んでいても、CM、広告、SNSが「欲しいもの=欲望」をたくさん運んできてくれる。欲望の対象はたっぷりあるから、わざわざ抑え込んでいるような欲望についてあえてじっくり考える暇がない。

このように、消費行動を喚起するために外部からやってくる欲望を消費の欲望とよぶことにする。


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一人でいる時間が長くなると、消費の欲望が枯渇していく。

しかし自分は「我慢しているうちに消えていく」というのとは、少し異なる感じをもっている。

CMで新しい商品を見る。「ふーん。こんな商品がでたのか」という知識を得る。でもそれだけでは消費の欲望は起動しない。

会社や学校で、新商品を実際に使っている人をみる。「これめちゃくちゃいいよ!」とすすめてくる。周りの人もそれに興味津津。そういう光景を見て、はじめて「自分もほしいかもしれない」と感じはじめる。

商品の知識
x
それを使っている身近な人

というコンボによって消費の欲望は起動する。

SNSはこれをいっぺんにできるから強い。「この商品めっちゃいい!」というツイートが何万RTもされていて、それがフォロワーのRTで流れてくれば、

商品の知識
x
それを使っている身近な人

のコンボが一発で決まる。自分もこれで何度もAmazonをポチった。


自粛が続いているなかでも、SNSやテレビでは外出を伴う欲望(映画イベントおしゃれ外食etc)を刺激する情報が溢れている。

にもかかわらず消費の欲望が起動しないのは、人と会う機会が減り、SNSも自粛ムードで、「身近な誰かがそれを楽しんでいる」というスイッチが入りづらくなったからなのだろう。


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消費の欲望が減ってくると、モチベーション、やる気、生きる活力のようなものが失われていくような不安に襲われる。

しかし、そもそもこの「欲望不全」は、自粛がはじまる前からずっと自分の中で起こっていたことだ。

我々はそれを、外側からどんどんやってくる消費の欲望とスマホに時間と注意を奪われ続けることによって、向き合わずに済ませていただけなのだ。

消費の欲望が減り、暇と退屈を得たことで我々は、「欲望不全」つまり、欲望を抑圧し続けてきたという事実と、ついに向き合わなくてはいけなくなったのだ。


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欲望不全に不安や焦りを感じたときに、オススメしたいライフハックがある。

退屈だと感じたとき(あるいはスマホをさわりたいと思ったとき)、まず目をつむる。これは無意識に退屈を紛らわすクセの発動を防止するためだ。端的にいうなら無意識にスマホをさわらないようにするためだ。

そして息を胸いっぱいに吸って、ゆっくり吐く。このとき腕や首に手を当ててみると、脈拍がゆっくりになっていくのがわかる。人間は息を吐くときに落ち着く。深呼吸はゆっくり吐くべし。感情をなんとかしたいときにいつも役立つから覚えておいてほしい。

そのままゆっくり呼吸をしながら、何かをしたくなるのをじっと待つ。外部からの情報を遮断して、自分の中にある欲望が浮上してくるのを待つのである。

そして浮き上がってきた欲望こそが、あなたが長年抑圧してきた「本当に向き合うべき欲望」なのだ─────


……ときれいに結びたいところだが、残念ながらたいていの場合、浮上してきた欲望は「めんどくさい」という感覚を引き連れてくる。

「たしかにやってみたいと思ってたけど、色々用意がめんどう」「完成するのか?めちゃくちゃ時間かかりそう」「お金もかかりそう」

などなど、色々と「やりたくない理由」が思い浮かぶ。

というかそもそも、やりたいことではなく最初から「やらなくちゃいけないこと」として思い浮かぶことも多い。

しかしここで「これは『やりたいこと』なのか『やらなくちゃいけないこと』なのかどっちなのか?」ということを考えてはいけない。どっちも欲望であることには変わりない。

欲望は想像である。実現されていない妄想である。想像の正体を想像するみたいな思考は時間の無駄である。この時点ですでに罠にはまっている。

欲望を抑えるために取得した自動発動スキル『抑圧サプレッション』が今まさに発動してしまっているわけである。

抑圧サプレッションは詠唱時間が長くなるほど「めんどくさい」が肥大化し、重力が増していく。だからなる早で止める必要がある。

抑圧サプレッションを止めるには、とにかくその欲望を満たすために何かしらのアクションを起こす。準備だけでもいい。調べるだけでもいい。とにかく1アクション実行すれば抑圧サプレッションは停止する。しかもその欲望に1アクション分の経験値が加算される。

「〇〇やってみるかー」と口にだすだけでもいい。声帯を震わせるだけでも1アクションにカウントされる。頭の中だけで終わらせなければ経験値は稼げる。抑圧に負け「めんどくさ、やめた。スマホみよ」と判断したらクエスト失敗だ。

欲望にスキルポイントが加算されることで欲望の強度が増していく。欲望の強度が増せば抑圧がかかりづらくなるので、少しずつ実行がカンタンになっていき、いつしかやめたくてもやめられないくらいに大きく育つこともまれにある。

このように、沈殿していた欲望は少しずつ自分で育てていくべきものだ。ソシャゲのようにひとつのステージをクリアしたら次のステージが用意されていて、自動的に欲望がふくらんでいくなんてことはない。


そもそも、欲望とはちゃんとがっかりしたり飽きたりするべきものだ。いつまでも抱えておくべきものではない。やりたかったらやってみて、つまらなかったらさっさとやめる。またやりたくなったらやる。

しかし消費の欲望に慣れきってしまっていると、このがっかりに耐えられない。消費の欲望は、お金さえ払えばそこそこの満足を返してくれる。なんなら次の欲望も用意してくれる。あなたのお金と時間が欲しいから。

欲望なんていうのは、思っているより小さくて些細で、がっかりしたりめんどくさかったりするのがむしろ当たり前なのだと捉え直してみれば、自分の中には以外とたくさんの欲望がぽこぽことわいていることに気づけるかもしれない。


消費の欲望が鳴りを潜めるという、資本主義始まって以来の奇跡の時代を我々は生きている。

もしかしたらこれから資本主義も大きく変わっていくのかもしれない。そうなれば、人間の欲望の形も変わっていくのだろう。

自分と向き合う千載一遇のチャンスとして、この時代をわりとおもしろがっている。


CM

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