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フリースクールの立ち上げまで①

どうも、はる先生です。
フリースクールを立ち上げたばかりの初心者経営者です。

本稿ではフリースクールを始めるまでの第一歩として、なぜ教師を辞めたのか、その辺りを思い出しながら書いてみますね、少し長くなりますがもしよろしければお付き合いください。

※ここから病気についてのエピソードが始まります。苦手な方はご注意ください。

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教師を辞めるに至った最大の理由は、父親の病気による”介護”でした。

父はもともとヘビーがつくと言ってもいいほどの愛煙家でした。私が物心着く頃には、片手は常にタバコをにぎっていると言っても過言ではなかったと思います。それなのに家族の誰より病気に強く、私が思い出す限り健康な父の記憶しかありません。数年前に還暦を迎え、気づけば大分年をとってしまったものの、割と元気に過ごしていました。

そんな父の状況が一転したのが昨年の春頃で、ある時左足に激痛を伴うようになりました。もちろん整形外科ですぐに診てもらい、足に負荷をかけないようにと、しばらくの間松葉杖をつく生活になりました。

これまでずっと健康体だった父しか知らない私たちは驚いたものの、本人はそんな家族の心配もどこ吹く風で、元気なのは相変わらず、最近は専らアイコスがお気に入りのようで、相変わらずパカパカ吸いながら大好きな「ヒロシのぼっちキャンプ」の動画を楽しそうに見ていました。

そんなこんなでスタートした松葉杖生活でしたが、本人も家族もまさかすぐに足の状態もよくなるだろうと、そこまで気にしておりませんでした。

しかし、そんな私達の予想は大きく裏切られ、1年経っても父の足の状態は全く良くなりませんでした。むしろ、その頃には痛みが悪化し、夜寝る際にも激痛で寝られず痛み止めを飲んで気を紛らわすようになっていました。

いよいよ、「これはおかしい…」と思い始め、地元の市立病院でより精密な検査をしてもらうことになりました。

…結果は”肺がん”の疑い、それもかなり進行している可能性があるということでした。足の激痛の原因は骨への転移ではないかということでした。

青天の霹靂というのでしょうか、全く予想もしていない結果に本人も家族も悲しみとか焦りとかよりも、呆然と言った感じでしたね(苦笑)。

その後は正確に病状を把握するために、がん専門の医療機関を受診することとなりました。自宅からは1時間半ほどかかる遠方にあるものの、一刻も早い受診ということで話はとんとん拍子で進み、一日かけて検査をしました。

診断としては、やはり肺ガン。ステージⅣで何も処置をしなければ、余命は半年程にもなるかもしれないということでした。足の激痛は肺がんが、肝臓、リンパ、骨と徐々に転移していき左足の骨と接する骨盤の骨がとけてしまったからだそうです。

頭ではわかっていても理解できないというのは、こういうことなんだとその時つくづく痛感しました。流石にショックでした。

それでも医師の方から言われた言葉、

「でも今はいくらでも治療法があるから。完治はまずしないけれど、延命を続けて、それが10年、15年と続いたらそれはもう完治と一緒でしょ?」

少し救われたような気がしました。

すぐに緊急入院が決まり、ひとまず放射線治療をいち早くスタートする運びとなりました。そして今後の治療方針としては、体に合う抗がん剤を探しながら、長期的な延命を目指すというようなお話でした。

当然治療のためには通院をしたり、病気がはっきりした以上日々の食事・生活にも人の手が必要になります。家族で何度も話をしましたが、通院のために長距離を送迎できる、食事を作ったり手助けができる、仕事を辞めてもどうにかなる(願望)、と条件が揃っていたこともあり、私が辞めることになりました。

それから、現在まで治療は続いていますが、この間も色々なことがありました。世の中の仕事と介護を両立されいらっしゃる方々はすごいなと、改めて頭の下がる思いでした。その辺りのエピソードは、また機会があれば投稿しますね。

ちなみに、父の治療自体は現在良い方に進んでいる状態です。ご心配してくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。今日も最近お気に入りの「孤独のグルメ」の動画を楽しそうに見ておりますので、ご安心ください。

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ここまで教師を辞めた経緯を書きましたが、そうなんです、この時点ではまだフリースクールの”ふ”の字も出てきません。立ち上げの話が進展するのは、また別のお話で。

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