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【映画感想文】「痛みを知る」とは「他者を知る」こと─『イノセンツ』

文責=1世
おすすめ度 ★★★☆☆

団地に住む子どもたちに超能力が発現する。
だがそれは特別なこととしては描かれない。ただ、この子たちの成長過程の一つとして、身長が伸びるように、乳歯が抜けるように、超能力はその一つでしかない。

『イノセンツ』はそんな超能力キッズたちを描いたスリラー映画だ。
設定だけ聞くと、超能力を通して思春期男子の荒ぶる胸の内を描いた『クロニクル』(2012)みたいなものを連想するが、思っていたよりジャンルはスリラー。それもイヤ〜なスリラーだ。超能力を通してこの作品が描こうとするのは、無垢(イノセント)な子どもたちの無自覚な”残酷さ”、言葉を選ばずいうと”子どもの野生さ”にこそある。

まず予告編を見ると日本人の漫画好きなら誰しも大友克洋の漫画、中でも『童夢』を連想してしまうだろう。「団地を舞台にした子どもたちの超能力バトル」で『童夢』の影響がないなんてありえないわけで(実際、監督のエスキル・フォストはそれを公言してはばからない)、筆者はじめ多くの日本人観客はそういう大友克洋的な超能力バトルを求めて映画館へ行ったはずだ。

その点でいえば、後半にある超能力バトルは大友克洋的超能力表現としては大満足!超能力はあくまで不可視。一般人の肉眼で捉えられるのは、その超能力の圧がかかったポイントのリアクションのみ。これがなんとも大友克洋っぽい…!
マトリックス』や『クロニクル』など多くの日本文化好き監督たちが映像化しようと試みてきた『童夢』っぽい超能力表現の最終成果がこの『イノセンツ』と言ってもいい。そのくらい出来がいい。
(とはいえ終盤の展開などはあまりに『童夢』そのままなので、リスペクトとパクリの危うい境界にいる気もするが…)

だが『童夢』っぽいものを期待して見に行って映像的には満足したものの、ストーリーの印象はいい意味で予想と違う。
この映画を単語で表現するならば、”陰湿”“残酷”とか。
全編を通してとにかく痛い…。目を背けたくなる痛い描写が連続する。

しかしこの「痛み」こそ、この作品の主題がある。

主人公となるイーダは冒頭から痛みのわからない子どもとして描かれる。もちろん自分の身に降りかかる痛みはわかるのだが「他人も自分と同じように痛い」という想像力はまだ育っていない。他者の気持ちは思い測れないし、そんなこと考えたこともない。そんなイーダの心情は自閉症の姉アナの存在が加速させる。彼女は言葉を発することもできなければ、感情が表に出ることもない。身体をつねったり、もっと痛いイジメをしてもそれが表に出てこない。まだ幼いイーダの世界では他人が痛みを感じるなんて思ってもみない

しかし当然のことながら、アナにだって感情はあるし痛いのだ。
子どもたちは超能力を使った遊びによって、自分たちが簡単に誰かを傷つけることができる力を持ったことに気づく。そして当然それを行使するようになる。だが、それを使えば使うほど自分の中へ相手の痛みが流れ込んでくる。そこでやっと「他者も自分と同じように痛みを感じるんだ」と知る。

この作品が描くのは「人の痛みを知る」ということによって、人間は「他者」というものを初めて意識するということだ。そして、そうして「他者」を知ったときに初めて、子どもは野生動物に近い状態から人間へと成長する。この映画における超能力はそんな普遍的な成長を描くための道具でしかない。

そういえば物心ついて間もない頃、この映画の子どもたちほど過激ではないにしても、虫やトカゲなんかに対して残酷な遊びをしていた嫌な記憶が蘇ってきた…。きっとそんな後ろめたさを抱えるのは自分だけじゃないはずだ。

『イノセンツ』はそんな子どもならではの残虐な記憶を呼び起こし、それを直視しろと仕向けてくる。できればそんな記憶は知らんぷりして、何食わぬ大人顔で生活していたいさ。でもだからこそ、映画を見ている間は「この子たちの成長を見届けなければ」という義務感でスクリーンを見つめていた。そういう人も自分だけじゃないはずだ。



イノセンツ

De uskyldige
2021年/ノルウェー・デンマーク・フィンランド・スウェーデン/117分

監督:エスキル・フォクト
出演:ラーケル・レノーム・フレットゥム、アルバ・ブリンスモ・ラームスタ、ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム、サム・アシュラフ


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