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私ごときがオタクを名乗っても良いのだろうか

「推し」「推し活」という文化が浸透し、もはや推しがいない人を探す方が難しいとされる世の中でSNSを見渡せば、多くの人がグッズを買ったりコラボカフェに出向いたりしている。
中には痛バや祭壇を作ったり、多くの缶バッジやアクリルスタンド、さらには専用のスタジオを借りて「本人不在の誕生日」をしたりする人までいる(これまじですごい!!)。

それはさておき何故私がタイトルのように感じているのかというと、私はほとんど推し活というものをしないからだ。
例えば推しのグッズで衣類が販売された時、私は「この値段だったら他の服屋さんで二着買えそうだな」と思って買わなかったり、イベントの参加費が発生する場合「参加せずに本とかコスメ買おうかな」と思ったりする。

もちろん推しのことは他の人と同じくらい、もしくはそれ以上大好きと言える自信はあるし、暇さえあれば推しの動画を見漁ったりファンアートにいいねを付けまくったりしている。

おそらく私と他のオタクとの決定的な違いは、自分の生活と推しが乖離しているところだと思う。
日常生活においての中心は私であって推しじゃない。推しは大好きだけど自分の構成要素の大半を占めるものではない。そのような考えがあるから私は必死になってお金を貯めてグッズを買い占めたりイベントを全通したりする意欲が湧かないのだと思う。

……それか自分の人生を捧げられるような本当の推しにまだ出会えていないのか(今の推しに対して失礼なのであまり考えたくはないが)

何度も言うが私は推しが大好きだし、推しは生きがいであり人生を豊かにしてくれる人である。しかし周りのオタクのような活動がしたくても出来ない。

私は正真正銘のオタクだと胸を張って言えるようになりたかった。
夢中になって推しを愛し、推しに人生を捧げるような生活が出来るような人でありたかった。

こんな私がオタクを名乗っても良いのだろうか。

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