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韓国/ソウル在住【ライフデザイナー】との出会い(1)

まず、note最初の記事として、【僕はどこの国の人なのか】では、僕の生い立ちや、今に至るまでのストーリー。そして1人の世界のみかたとして感じている事を書いてみた。


記事の反響についてもあえてわかりやすく分けると日本/韓国では違うように思った。

ざっくり反応を分けると、同情/心配/共感などがある。

今まで日韓を行き来しながら感じたのは、

僕が経験した在日韓国人の世界について、
どんな生活をしていて
どんな食生活で
どんな教育を受けていて
どんな立ち位置になっているのか
って事を日本に住んでいる方のほうがよく知っている。そして、韓国では在日の日本での生活について触れる事が少ないので、びっくりされる事の方が多い。


そんな中で、記事に対して印象的だったのは、日本では同情や心配が含まれたメッセージや意見が少なからずあった。(全体的に見ると少数)
そして、韓国での反応で言うと、同情や心配などのメッセージや意見がひとつもなかったのだ。むしろ面白がっている。

たくさんの捉え方や、その人のフィルターを通して出てきた意見や反応は本当にありがたいし、それについてまた考えさせてくれる。

今回はたまたまかもしれないが、もしも日韓の反応の違いに対して、理由があるとすればなんなんだろうかとぼんやり考えている。


普段、韓国にいる友達と翻訳を共にやったりする事もあるのだが、直訳できる表現などは存在しないと感じていて、表現がもつ背景が1番近い言葉をいつも選択するように努力している。

それでも翻訳するという事に対して、越えられない壁があるのかもしれないと思ってしまう事もある。

ただ、理由はそれだけではないはずだ。もう少し、じっくり考えてみようと思った。

***

これからも、僕が想っている事や、今まで日韓の活動を通して出会ってきた方々、そして、まだ出会っていないがお話を聞いてみたい方々が
オンラインでもたくさんの関係性を繋いでいけるきっかけを作りたくて、noteでの発信を続けていきたいと思っている。

そして、今まさに、韓国/ソウル在住アーティスト【harumin/ファル】さんにも、コラムをお願いしているのだが、ファルさんという人のストーリーをもっと共有していきたい。そして、僕自身もファルさんの事をもっとじっくり知っていきたいと想ったからだ。

ファルさんとの出会い

ファルさんとの出会いは2009年。約12年近くも前である。
当時僕が20歳の頃だった。

家族も友達もいないまま、初めて韓国を訪れた僕は、所持金1万円しか持っていなかった。
なんとか仕事の情報を集めようと初日だけ2500円を払いゲストハウスに泊まることを決めた。(翌日からは野宿しようと決めていた)

当時、朝鮮学校で習っただけの朝鮮語でゲストハウスのスタッフにしつこい程に話しかけていた。


すると、翌朝。。。


スタッフが僕の部屋まで来て

スタッフ:仕事みつけたよ!1階のチキン屋でスタッフ募集してるらしいからすぐにでも仕事出来るよ!

僕:ありがとうございます!

ありがとうございますとは言ったものの、正直、チキン屋で働くなら野宿する方がぜんぜんいいと心の中で思っていた。(すいません。。。)

あれだけ、必死に仕事探してる事を相談して、仕事先まで見つけてくれたスタッフに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そして、どう断ろうかをチェックアウト時間の11時まで、ずっと悩んでいた。。


そして、僕は嘘をついてしまった。。


本当にありがとうございます。今、友達から連絡があって他の仕事も紹介してくれているので少し考えてみますと。(友達はいないし、携帯なんてもってないし、残り7500円しか持ってない事は、怪しまれそうなので隠していた)

その後、ゲストハウスを出て仕事を探しに、ホンデというエリアに向かった。(ホンデという街がある事は、以前からうっすら耳にしていた)

お金がなくて仕事を探そうとは思っていたが、求人募集の張り紙なんか気にせずなんかおもしろそうだと思うお店に入っては、仕事を探してる事を伝えながらホンデエリアをぐるぐる周っていた。 おそらく10店舗くらいは入ったと思う。(熱量だけはあったと思っているが、身だしなみ大事。。)


すべて断られた。。


途方にくれ街を歩いていると、ヘルメットをせず2人乗りでバイクを乗っていた陽気なお兄さんに話しかけられた。(途方にくれている空気が漂っていたのだろう)

断られ続けている事もあったし、道端で出会った陽気なお兄さんに何か期待をできる状況でもなかったが、一応説明をした。

そしたらなんと、Clubのマネージャーで今スタッフを募集しているからきてみてない?と言われ


ほー行ってみるか。


50ccの原付に3人乗りでClubへ向かったのだ。

細い路地を抜け、地下へ続く扉を開けると、そこはもう僕がイメージしていた韓国とは別世界の時間が流れていた。


言ってみれば、ソウルのoutsider達の完全なアジトだったのだ。


よし、ここだ!と思い、働かせてくださいとお願いした。
家はないので、このClub内の6畳程の怪しい一室で、出会ったマネージャーと2人で暮らす事になった。

1日3食のご飯は、仕事中の賄いで済ませ、お風呂は、クラブで音楽をかけながら厨房の水道にホースを繋ぎホールのど真ん中まで引っ張ってきて水浴びをしていた。

そうして、道端で偶然出会った人がそこのマネージャーだったというご縁で、奇跡的に働かせてもらっていたソウルのホンデという(美大や、クラブ街があるエリア)エリアにあった、【500】というクラブで初めてファルさんに出会ったのだ。

500というクラブ(今はオーナーさんが変わりfreebirdというクラブになっている)は僕が20歳の時にたくさんの刺激をもらった場所。

猫がいるインドカレー屋(ソウル) (1)

記憶に残るものはたくさんあるが、その中でも衝撃だったのは、地下に250人程が入るクラブの壁全面を、2年かけて仲間内で土壁に仕上げていたのだ!(賃貸なのにどうすんだその後?と思ったら、案の定作り込み過ぎて、新しい借り手を探すのにすごく苦労していたけど。。)

あっ! 話がそれていきそうだ。。

ちょっと僕の珍道中の話が行き過ぎてしまったので、、、

次回は、ちゃんとファルさんとの出会いについて書こうと思います。。苦笑



活動を通して関わる素敵な方々も対話のゲストとしてお呼びしたり、オンラインでのインタビューや関係する様々な文化活動の紹介なども記事にしていく予定です。 取材や情報発信を続けていけるよう、よろしければサポートよろしくお願いいたします。