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短編『奇跡のたくらみ』

「クリーンレディ」ってなんだろう?

臼井順子(うすいじゅんこ)の目が求人広告に吸い寄せられた。

その単語が妙に気になった。とくに「レディ」という言葉のもつ響きが心地よい。ふと、銀座のクラブでドレスを着ていたころの自分を思い出した。

さっそく広告主の門を叩いてみることにした。

「何々管理」という会社だ。

秋物のカシミアのセーターに茶のプリーツスカートという地味な装いの彼女の姿を目にするなり、人事部長だという面接の中年男性の顔がパッと輝いた。

いやいやよく来てくれた、いま人手が足りなくてね、さっそくですまないがすぐに現場に入ってほしい…とのこと。彼女の四十歳という年齢にも一切触れられなかった。

やった、と内心で手を打った。

部長さんの運転する営業車で案内されたのは、都心にあるガラス張りのモダンな外観のオフィスビルだった。ここが「クリーンレディ」が活躍する現場なのだという。

少し緊張したものの、胸が高鳴った。なんだか目の前で新たな人生の扉が開けたように感じられた。部長さんのあとについて、ビルの地下階へと下りていった。

両手にゴム手袋をつけた老女が奥から姿を現した。ヨレヨレの青い制服を着ている。

「はい」と手渡されたのは、掃除の用具だった。

戸惑っていると、部長さんは「じゃあ頑張ってね」と言い残し、早々とその場を去っていった。呆然としながらその後姿を見送っていると、老女からロッカールームで青い制服に着替えるよう、急かされた。

その日、順子は先輩の清掃員に倣い、一所懸命に掃除の仕事をした。

大理石のロビーやリノリウムの階段の上をモップ掛けし、業務用の掃除機でカーペットの細かなゴミを吸い取る。また、雑巾でガラスや洗面台を拭き、各階のオフィスや共用部のゴミを集めて回った。

実は、それまで汗を流して働いた経験がほとんどなかった。先輩の老女に倣いながら、清掃の仕事って毎日こんなことをやるのか、なんて大変なのだろうと思った。でも、頑張って続けることで困難を乗り越えてみようというポジティブな気持ちも、どこかに生じ始めた。だが、ホウキと塵取りを持ってビルの周辺を掃いて回った時だった。

外貼りのガラスに、ぶかぶかした青い制服を着込んだ中年の女の姿が映った。

(え? これがあたし…?)

ガラスと対峙したまま、その場から動けなくなった。やがて、そこからくるりと目を背けると、またタバコの吸殻などを拾い集めるために地面に目を落とした。その時、無意識のうちにこう呟いていた。

「こんなの、あたしじゃない」と。

夕方、仕事が終わった。すでに決意していた。帰り際、仕事を懇切丁寧に教えてくれた老女にむかって恐る恐る切り出した。

「すみませんが、あたし、どうもこの仕事に向いていないようなので…」慌ててかぶりを振った。「むろん、今日の賃金はいりませんから…」

こうして、清掃員の仕事を丁重に辞退した。

ところがである。翌日になると早くも後悔が襲ってきた。順子は自分を責めた。

(せっかく就けた仕事だったのに! 会社の人たちも大層、喜んでくれていたのに! 感謝して続けていればよかったのに!)

もう少し我慢してみるべきだったと、とても後悔した。

実際、働いたという充実感があった。働いている間の、また働き終わったあとの、あの汗は本当に気持ちがよく、えがたい体験だった。額に汗する仕事って素晴らしいと思った。

だが、もっと楽をして稼ぎたいという気持ちもあった。この期に及んで、まだホステス時代の残滓のような性根が心の底にこびりついていたのだ。

自分はやはり駄目な女だと思った。そして、改めて「クリーンレディ」が「掃除のおばさん」であることも知らないほど己が世間知らずなのだということを痛感した。

 臼井順子は、東京は足立区の、とある地域で生まれ育った。

高校二年までは母と祖母の三人暮らしだった。住まいは都営アパートの二DK。小学校の給食費や修学旅行費の捻出にも苦労するような、典型的な片親の貧困家庭だった。

母の春代はギャンブル好きのよくない男と結婚した。順子を産んだあと、しばらくして離婚した。順子が物心付いた時には、祖母の臼井姓に戻っていた。父親の顔は全然、覚えていないし、思い出したくもないし、その後に会ったこともない。

どうやら、貧困は世代間で受け継がれるものらしい。生活の困窮は、祖母の菊の代から始まっていた。戦時中、菊は溶接職人だった夫を空襲で亡くした。以来、料亭で女中をやりながら、春代とその弟・和義を必死で育て上げた。

つまり、臼井家というのは、代々貧しいのが伝統らしいのだ。

ただ、とても月並みな言い方ではあるが、順子にとっては、貧しいながらも幸せな家庭だった。母も祖母も大好きだった。

しかし、時は残酷である。高校二年の時、祖母の菊が亡くなった。そして母の春代もまた、今から五年前、彼女が三五歳のときに癌で亡くなった。享年、六十である。

今や彼女にとって唯一、身内と呼べるのは、母の弟の和義叔父さんだけだった。

ところが、彼がまたくせ者だった。昔から放浪者として悪名高く、実の姉である母の葬式にすら姿を現さなかった。海外での放浪から時々ふらりと帰ってきては珍しいお土産を持参する叔父さんが大好きだっただけに、順子はこのことに関してずっと裏切られたような気持ちを抱いている。

順子は高校を卒業して以来、ほとんど水商売の経験しかなかった。それは一生をただ真面目一本やりに過ごし、女としての自分をひたすらすり減らしていた母や祖母の姿を間近で見続けたことが関係しているのもかもしれない。彼女たちの人生に対する、無意識の反発であり、抗議だったのかもしれない。ともあれ、額に汗したことは一度もなかった。

母の強い反対を押し切ってまで夜の世界へと飛びこんだ当初の動機が、一刻も早くその母を楽にさせてあげたいという想いであるのは確かだった。だが、意外にも、清水の舞台を飛び降りる気持ちで入ったはずの世界で、順子は己の信じる「成功」を手っ取り早く掴みとることができた。そして、いったん簡単に現金収入と贅沢な暮らしがえられる道に入ると、誰よりも彼女自身がその世界へとのめりこんでいった。銀座の夜とはそれほどまでに魅惑的であり、女の魔性を掻きたててやまなかった。

思えば、二十代のころは華やな日々だった。いつも男たちが若い順子に群がっていた。わがままをきいてもらい、たくさん貢いでもらい、それでいて寄り添う彼らをことごとく袖にした。それでも彼女の歓心を買おうとする男たちは引きも切らなかった。

そのころの順子は、高価な宝石やブランド品で身をかため、同世代の要領の悪さと質素な暮らしを小馬鹿にし、稼いだお金を派手に使う毎日を過ごした。一時は高級マンションに囲われ、実業家の愛人生活をしていたこともある。順子は、ただ贅沢をして今を楽しく、面白おかしく生きることが人生だと錯覚していた。

だが、三十路をすぎてしばらくしたころだった。クラブの中で自分がすでに腫れ物扱いになっていることに薄々、感づきはじめた。だから、せめて「お局様」にならぬよう、努めて目下と対等に接するようにした。しかし、それはそれでどこか同情され、陰口を叩かれる対象にもなるらしかった。

そろそろ潮時だと実感しはじめたが、さりとて生涯の伴侶も見つからないし、この世界のぬるま湯的な居心地さから脱する踏ん切りもつかなかった。夜の世界でとことんまでやっていく気概もなく、またこの世界での成功を目指して自ら資金を貯め、あるいはパトロンを確保して己の城を構えようという野心もなかった。やっていたことといえば、ただひたすたら現実から目を反らし、ひと時の享楽に逃避することだけだった。

漠然と「三十五歳」になったら引退しようとは考えていたが、実際にその時が訪れると、やはり問題の解決をズルズルと先送りするのだった。

気がついてみれば、世間から取り残されていた。なにかと資金面で面倒をみてくれそうな人は、すでに順子の周りから姿を消していた。そしてなによりも、自らの希望とは違い、それなりの結婚相手を見つけることに失敗した。

自分に「女としての商品価値がなくなった」ことを知ったのは、いつ頃だったろう?

実に嫌な言葉だが、順子にとって、少なくとも一般論ではなく己個人に限っていえば、この表現はずばり核心を突いているとしか思えないのだった。どう考えを巡らせても、自分はこれといった職能もスキルも、才能も特技も持ち合わせていなかった。

売り物といえば容姿だけだった。だから、その容姿が衰えたとき、自分には何も残っていないことに気づいた。同世代の女性たちを見渡せば、それなりの仕事をえて暮らし、それなりの家庭を築き上げ、それなりの幸せを手中にしている。

いつの間にか、順子は人生の敗北者になっていた。

今や齢四十。そんな彼女の周囲には、華やかさも、お金も、男性も、何も残されてはいなかった。

 順子は今、鏡の中の己と対峙していた。

肌の張りがなく、目の下のたるみと目じりの小皺が前よりもいっそう目立った気がしてならない。肩まで届く髪も、かつてはキューティクルで輝いていたが、今ではパサパサし、白髪も目立ってきた。何よりも瞳から生気が失せてしまっているのが気にかかった。

ホステス時代は毎日、仕事前に髪のセットに通ったものだが、今では節約上の理由からすっかり美容院からも足が遠のき、服装のヴァリエーションも少なくなった。鏡台の上に散乱しているスキンケアやメークアップ商品もドラッグストアで買った安物ばかりだ。ネイルやエステサロンも論外という経済事情なので、化粧気が本当に減ってしまった。

本当に自分だろうか、とも思う。はっきりしているのは、こんな自分を気にかけてくれる人は誰もいないということだった。

ふと亡き母のことを思い出した。

(そういえば、お母さんは私の将来をしきりに心配してくれていたっけ。いつか、こんな風になるって…。忠告をよくきいておくべきだったわ。あたしは、お母さんが心配していたとおりの惨めな人生を送る人間になってしまった。お母さん、ごめんなさい…)

酸素マスクを付け、病床から手を伸ばしていた母の姿がしばらく瞼から離れなかった。彼女が顔を歪め、一筋の涙を流していたのは、己の苦しみからではなかった。娘の将来を案じ、心配でたまらなかったのだ。

そう思うと、自分を責めずにはいられなかった。せめてもの救いは、今の惨めな姿を母に見せずにすむことだった。

母は最期にこう言った。

「あなたにとってこれからとても辛い時期が来ると思うけど、頑張って乗り越えるのよ」

まるで娘の未来を予見しているかのような言葉だった。まったく、ドンピシャリじゃないの。お母さんってやっぱり凄いわと、今さらのように感心した。

ただ、不思議なことに、母はこうも付け加えるのだった。それは謎めいた言葉だった。

「でも、あなたが本当の自分に立ち返りさえすれば、きっと道が開けると思うわ…」

本当の自分? いったいどういう意味なのだろう? その時は聞き流してしまったが、今思い返すと、なんだか不思議な言葉だった。

もっとも、昨今の思考は、そういったポジティブな方向へむかうことは稀で、すぐにネガティブなほうへと傾くのだった。

たとえば、「いったい自分はどこで何を間違えたのだろうか?」というふうに。それまで何百回となく繰り返してきた自問だった。順子は今またそれを繰り返した。

すると、心の中で徐々に怒りの炎がくすぶり、またしてもひどい後悔に苛まれ始めた。うまい話に乗らなきゃよかった、あんなことしなきゃよかった、あのときの自分はどうかしていたのだ…と。

詐欺の被害者の考えることは、いつも同じである。

思い出すのも悔しい。できるものなら、ハンカチを引きちぎり、鏡を叩き割り、思う存分、ヒステリーを発散したくなる。

順子が思うに、自分の決定的な転落のきっかけは、詐欺にあって大金を巻き上げられたことである。もっとも、実際ははるかそれ以前から問題が始まっていたのだが、今の自分が惨めなのはせめて他人のせいなのだと、彼女は思いたがった。

他人、そう、すべては「あの男」のせいである。

外見の良し悪しが至上価値であるがゆえに、順子の自尊心は加齢とともに徐々に崩壊をはじめ、今から三年前の三十七のときには、すでに抜き差しならない状況に陥っていた。

心の底で恐れていた。老いる自分を。そんな自分を待ち受ける未来を。そして、なにか得体の知れない外敵の存在を。

恐れの対象は、恐れる者を目ざとく見つけ、自ら近づいてくるという。かくして、漠然とした不安はいつかは現実化する。

ある日、ひとりの男が彼女の勤めるクラブに姿を現した。死神はこの男だった。

年齢は五十代だろうか。チョビ髭を生やし、色の入った眼鏡をかけた男は、ぽっこりお腹のメタボリックな体型をアルマーニのスーツに包んでいた。美味いものをたらふく食っているのか、二重顎で、ワイシャツの首周りがきつそうだった。だが、そういった容貌すらも、その時はいかにも事業の成功者という印象を強くするものだった。

男は連日のようにクラブで豪遊しはじめた。

女たちは男の「利用価値」を見極めることにかけて、独特の嗅覚をもつ。興味をもったホステスたちは、当然のごとく、男に対して「何のお仕事ですか?」と尋ねた。

男が差し出した名刺には、「投資会社X社 代表取締役」とあった。羽振りの良さが男のビジネスの景気に由来することは明らかだった。

その瞬間、女たちは触手を伸ばしはじめた。これは生物的なものだが、夜の女はとくにその能力に長けていた。

「実は、もうすぐ上場する予定のベンチャー企業の株を、大量に保有していてね」

あるとき、チョビ髭メタボ男はグラスを片手にそう切り出した。

いわゆる「未公開株」というやつである。順子も耳にしたことはあったが、それを扱っているビジネスマンを目の当たりにしたのは、初めてだった。

「興味があるのなら、自分で調べてみなさい」

男はその企業のパンフレットをホステスたちに配った。むろん、順子も貰った。

その印刷物に目を通して、俄然、興味を覚えた。といっても、事業内容である情報技術関連の難しい記述は、さっぱり分からなかった。彼女が理解したのは、この企業がなにやら凄い技術を引っさげて、凄い新規事業を立ち上げたらしいということだけだった。

パンフレットに記されているホームページにもアクセスしてみた。垢抜けたスタイリッシュなサイトだった。フロントの画面には「○月○日、いよいよ東証マザーズに上場予定!」とある。記された財務内容も驚くほどいい。サイトのページが語るに、技術も格段に将来性があるらしい。

男の投資会社はその企業に目ざとく先行投資したという。

女たちは色めきたった。たちまちクラブの中は、この話題で持ちきりになった。ママですら目の色を変えていた。

当然のごとく、誰もがしなを作って、男に対して「お願い攻勢」をはじめた。

「ねえねえ、お願い、わたしにも未公開株を少し別けて!」

しかし、男の返事はつれなかった。

「ダメ」

「ねえ、ちょっとだけ…」合掌する。「ちょっとだけでいいから、別けてちょうだい」

「ダーメ」

「んもう、ケチ!」

こんなやり取りが繰り返された。要は、駄目出しの連発である。

「第三者にあげられる分は、あと少ししかないんだ」男は冷笑気味に唇を吊り上げた。「悪いが、君たちに別ける株などないね」

今にして思えば、これが購入意欲を煽る手立てだったのだろう。「貰ってくれ、買ってくれ」と迫られれば忌避したくなるのが人情であれば、「くれてやらない、売ってやらない」と突き放されれば、かえって手に入れたくなるのも、また人情である。

そんな男のさりげない態度や言動が、ますます女たちの欲望の火を赤々と燃え上がらせた。そして媚態攻勢の末、ついに幸運を射止めたひとりの女がいた。

順子である。

当然、有頂天になった。そのベンチャー企業が上場すれば株価が何倍、何十倍にも跳ね上がるという。つまり、自分は一夜にして億万長者になることができるのだ。それだけではない。みんなは断られたのに自分だけは選ばれたという点にも、ひどく自尊心をくすぐられた。どうやら、神様が特別の計らいで引退の花道を用意してくれたらしい。

これで陰口を叩いていた小娘どもを見返し、彼女を疎んでいたママを羨望に悶えさせることができる。まさに、逆転さよなら満塁ホームランである。

順子は勝利感に酔いしれ、優越感の虜になった。

さっそく資金集めに奔走した。事情を知る者は、誰もが喜んで彼女に金を貸した。たちまちのうちに三千万円がかき集まった。上場の暁にはそれが最低でも数億円には化けるのだ。それだけのお金さえあれば、ようやくこの商売から足を洗う踏ん切りをつけることもできる。その後は、分譲マンションを幾つか買うか、あるいはアパートを一棟買いでもして、自分はこの先、その賃料で生涯、悠々自適の暮らしを送るのだ。

脳裏はすでにお花畑の状態だった。夢の世界に浸りきった彼女は、己の幸運を鼻にかける一方、それに預かれずにこれからもあくせくと働き続けねばならない周囲の同僚たちを哀れみ、内心で嘲笑った。順子は自分のことを世界一のラッキーレディだと自負した。

一般に、詐欺の被害者は、あとになってから「なぜこんな詐欺に引っかかってしまったのだろうか?」と、首をかしげることが少なくないという。

順子の場合もそうだった。このときの彼女は欲で目がくらむあまり、毎日のようにカレンダーを眺めては、上場日の到来を今か今かと指折り数えていた。それに、不思議なことに、男には初めて会った時から何か親しみのような感情も覚えていた。

ついに、待ち望んだ上場予定日がやって来た。

だが、何もニュースにならなかった。テレビでも、株式新聞でも報じられなかった。

おそらく、上場日が伸びたのだろう。そう思い、男の名刺に記された電話番号に連絡を入れた。今までもこうやって何度か話をしていた。しかし、繋がらなかった。「この電話番号は現在使われておりません」という、例のメッセージが繰り返されるばかりだった。いつしかホームページも消えた。頭が真っ白になった。

(あれ、変ね。そんな馬鹿な。きっと何かの間違いだわ…)

必死でそう自分に言い聞かせた。だが、無駄だった。現実は容赦なく彼女に襲いかかった。時が経ち、出資者の催促も激しくなるにつれ、やがて認めざるをえなくなった。自分がまんまと騙されたということを。

かくして、「未公開株詐欺」に引っかかった順子は、三千万円の出資金の全額を騙し取られた。この期に及んで、ようやく気づいた。

自分が「選ばれた」のは、詐欺師にとって容赦なく騙せ、生贄にし立てられるという基準に合致していたからだと。

 一転して、順子はどん底に落ちた。

貯金のほとんどない彼女にとって、集めたお金の大半は周囲からの借金だった。その返済のために、所有するマンションを処分しなければならない羽目に陥った。これが相当な痛手となった。なぜなら、それまでも自宅マンションという資産の存在こそが、「なるとかなるさ」という彼女の楽観主義と無計画の、ひとつの根拠ともなっていたからだ。

もっとも、それはもともと自分の物ではなかった。かつて男に貢がせたものだった。これを知ったとき、母は「そんなことをするといつかは罰が当たる」と忠告したが、むろん彼女が耳を貸すはずもなかった。

母は偉大なり。他人から掠め取ったものは、あっさりと己の手からすり抜けていった。

マンションは都心の高級分譲物件だったので、三千五百万円で売れた。なんとか借金を清算したものの、このときのお金の貸し借りが原因で、ママや他のホステスたち、そして常連客たちとの間に修復しがたい溝ができてしまった。ただでさえギクシャクした関係だっただけに、この出来事は決定打となった。

以来、彼女はいい物笑いの種となった。周囲の視線は、明らかに「ザマミロ」と語りかけていた。次第に周囲の残酷な好奇心の対象であることに耐えられなくなった。

ママから首を言い渡されたのと、自分から辞職を決意したのとは、ほぼ同時だった。すでに「馬鹿な女」の噂は銀座中に広まっていた。順子は銀座から追われた。

夜の世界から退場を強いられた彼女の手元に残ったのは、なんだかんだで数百万円だった。これが再出発の資金だった。借金を背負わなくて済んだのが、せめてもの救いだった。

とうてい、贅沢はできなかった。一DKの賃貸マンションで暮らし始めた。新たな職探しにも奔走した。最初は安易な気持ちだった。

だが、次第に焦りはじめた。以前のように高い日当で雇ってくれるところは、どこにもなかった。

やがて、月々の家賃代さえ負担になりはじめた。なんとか、あるスナックで職をえた。だが、それまでに染みついたわがままな性格が災いし、すぐに追い出された。その後もこの種の過ちを何度か繰り返した。仕方なく風俗嬢でもやろうかと思ったが、単なる思い上がりであることを思い知らされた。向こうのほうから丁重に断られたのだ。

もっとも、彼女を雇ってもいいという店は皆無ではなかった。それはネオンきらめく繁華街の裏通りに位置する、ネズミがうろうろしていそうな薄暗い場所にあった。ためしに面接に行ってみて、ぞっとした。店長も、年増の風俗嬢たちも、いや客ですらも、人生の敗残者という臭いをぷんぷんと醸し出していたのだ。その場から慌てて逃げ出した。

順子のプライドはズタズタになった。キャリアなき女にとって、年齢というものがこれほど重くのしかかってくるとは、思いもよらなかった。自分は三十過ぎてもまだ子供だったのだと思い知らされた。時が経つにつれ、どんどんと追い詰められていった。

それまで溜めこんだブランド物のバッグや時計、宝石などを質屋に売って食い繋ぐ日々が続いた。節約術だけは身についた。洋服は一切、買わなくなった。食事は、炊いたお米と、あとはちょっとしたおかずだけで埋め合わせた。百円ショップの常連にもなった。

たちまち三年が過ぎた。その間、住まいはさらに一ランク下がり、シャワー室が付いているだけの六畳一間のアパートの一室に変わった。順子は四十歳になった。

彼女はこの三年間で急速に老けこんだ。周りには、肉親だけでなく気軽に話せる友達すらもいなかった。かつての「友人」「知人」は、みんなお金や色で繋がった人たちだった。だから、彼女が落ちぶれれば、潮が引くように周囲から姿を消した。

もう何も残っていなかった。お金もなければ、愛すらもない。片思いでもいいから恋愛したいと想う男性すらも、彼女の周りにはいなかった。ただ孤独だけが存在していた。

臼井順子にとって、世界とは広漠たる灰色に他ならなかった。

 清掃の仕事を投げ出した後、順子は自宅アパートから比較的近い場所にあるファミリーレストランで、なんとかウエイトレスの職をえた。面接時の説明によると、時給は950円で、勤務期間に応じて徐々に上がるということである。

女四十歳からの再出発だ。

勤めはじめて、正直、周囲から浮いている気がした。主にランチタイムから就業するが、この時間帯のウエイトレスたちは既婚者が多い。とくに三十代以上は全員が結婚していた。だから、話題についていけないと思うことが多かった。それに、単にノイローゼ気味のせいだとは思うが、時々、陰口を叩かれているような気もした。

仕事そのものは単純だった。ホール係として、お客さんが入店すれば禁煙か喫煙かを尋ねて席へと案内し、注文を訊く。そして料理を運び、退店すれば片付けるという、この繰り返しだった。仕事中はたしかに忙しかったが、身体を動かしている間は、惨めな現実を忘れることもできた。それに定職は、生活と気持ちの両方の安定をもたらした。

ただ、何かが違う、という気持ちは常につきまとった。なぜなら、この先もずっとファミリーレストランのウェイトレスをやっている自分というのが、どうしてもイメージできなかったからである。

その職場は自分の本当の居場所ではなかった。

しかし、ならばその居場所って、どこなのだろう?

それは彼女自身にも、まったく分からなかった。それが問題であった。

仕事から帰ってテレビを点けると、盛んに年金の問題をとりあげていた。そういえば、国民年金というものを支払った覚えがない。それどころか、税金も消費税以外は支払った記憶がなかった。銀座時代は現金入りの封筒――そういえばママもこれは店の所得をごまかすためだと言っていた――を貰っていた。所得税の支払いは、今のアルバイトをはじめて給与から天引きされるようになってからだった。

順子は、四十にもなって年金や税金のことすら満足に分からない自分というのが、とてつもなく幼稚に感じられ、情けなくなった。

自宅で悶々としていると、これからどうなるのだろうという将来への不安ばかりが募った。思えば、三年前までの暮らしそれ自体がパーティだったのだ。そしてパーティは終わった。ようやくこれからが本当の「生活」の始まりである。だが、早くもその困難に打ち負かされそうになっていた。

そうなると、長いホステス生活で身についた第二の本能が頭をもたげてくる。すなわち、「男にすがりたい」という抑えがたい欲求である。

気がつけば、探りを入れる感じで、昔の男に電話をかけていた。

「最近どうなの?」

「なんだ、君か」

返ってきたのは冷笑を含んだ無関心だった。まるで石ころ扱い。

相手は「順子」という名前すら呼んでくれない。どうやら一個の人格とすら見なされていないらしい。

順子は怒りと失望を感じた。

だが、めげずに、二人目に探りを入れることにした。相手は独身の小金持ちだ。

今度は、露骨に嫌がられた。それは、ぞっとするような冷たい態度だった。順子もついカッとなって、「なによ!」と電話を叩きつけた。それだけでは怒りが納まらず、その男に直接会って散々、怒鳴ってやることにした。

復讐を決意した順子は、男のマンションの前に張り込んだ。

やがて当人が現れた。毛皮のコートを着た若い愛人が腕に絡んでいた。

突然、怒りが萎え、それが羞恥心と自己嫌悪に置き換わった。改めて己の立場を思い知らされた。これ以上、惨めになりたくなければ、ふたりの前に姿をさらすことだけは避けなければならないと思った。

逃げるようにして、その場から立ち去った。

順子は自分を憎んだ。昔の関係にかこつけて、あわよくば金をたかろうと目論んだ己自身に反吐が出た。きっとその性根を見透かされ、卑しい女だと軽蔑されたに違いない。

ようやく、自分がかつて属していた世界の正体に気づいた。

そこは何もかもが嘘と偽りだったのだ。欲望、擬似恋愛、金、嫉妬、羨望、足の引っ張り合い、虚栄心…絢爛たる表とは裏腹に、人の醜悪な本性が渦巻く地獄界だったのだ。

その夜、彼女の中で何かが崩壊した。順子は深く傷つき、己のすべてを否定した。それまで辛うじて保っていた心のバランスが、ガラガラと音を立てて崩れ去った。

なにもかもが嫌になった。はじめて、心の底から死にたいと思った。

 自宅で酒をあおる日々が続いていた。

ウエイトレスの仕事を終えるなり、深夜まで飲む。そして翌日、目を腫らして、周囲をハラハラさせながら仕事に就く…。毎日がその繰り返しだった。

皮肉なことに、かつての職業柄、お酒には強かった。だから、身体を自動機械モードにすることで、単純作業だけはなんとか務まった。

今や順子にとって、お酒が唯一の友達だった。だから、少なくなると、寂しくなった。その寂しさを紛らわすために、また大量に飲んだ。

そんな悪循環に陥った彼女は、ひたすら自分を否定し、罵りつづけた。

オマエなんて、何の才能もない、キャリアもない駄目駄目人間だ、生きる価値のない人間なんだ、と。

あるときは自分を嘲笑った。

ほうら見ろ、ひたすら楽することばかりを考えて、快楽だけを追求して、楽しいと思うことだけをやってきた罰じゃないか。気づいたら世間から取り残され、みんなから見捨てられていた。何も築き上げてこなかった報いだ、オマエは世界一の大馬鹿者だ、と。

かと思えば、自分を哀れみ、自分のために泣いた。

順子、あなたってなんてかわいそうなの、あなたは正真正銘の一人ぼっち、この世にはあなたを救ってくれる人も、いえ、あなたのことを気にかけてくれる人すらもいない、きっとあなたはマッチ売りの少女すらも凌ぐ世界一かわいそうな女の子ね、と。

だが、ふと鏡を見ると、そこに写っているのは可憐な少女の姿ではなく、皺が目立ち始めた大人の女性。そこで順子はまた自分を呪い、憎悪しはじめ…。

要は、自己否定と自己憐憫の間を行ったり来たりするだけの苦界をさ迷っていた。自己肯定という要素が抜け落ちた無限連鎖の騙し絵の環を、彼女はぐるぐると回っていた。

いつしか、こう思うようになった。自分はもう長くないな…と。

死が忍び寄ると、人はしきりと過去を回想するものらしい。

順子は昔の思い出に浸るようになった。それも銀座時代ではなく、それ以前の、まだ貧しかった、そして無垢だった少女の頃だ。

その思い出の世界の中では、五年前にガンで逝った母も、高校生のときに亡くなった祖母も、生きていた。そして順子に話しかけ、微笑み、彼女の頭を撫でた。

(あの頃は幸せだったなあ…)

その世界には、時々、楽しい記憶とともに叔父の和義も現れた。

母の弟は放浪癖があり、世界中を渡り歩いていて、帰国するたびにお土産と異国の話を持って彼女たちの前に現れた。順子はそれが楽しみで仕方がなかった。

カナダの大自然の中での鹿狩りやグリズリーとの遭遇。ペルーにある空中都市マチュピチュの光景。インドの神秘的な寺院やガンジス川で沐浴する人々の様子。NYに林立する高層ビルやブロードウェイで連日通いつめたという本場ミュージカルの話。エジプトの巨大なピラミッドと神殿、そして荒涼たるサハラ砂漠の様子。サバンナで遭遇した象やヌーの群れ、狩猟生活をする人々との邂逅。北京にある紫禁城と万里の長城の壮麗な様。スマトラ島のジャングルでの野生のオランウータンとの出会い…。

叔父が持ち帰る体験談は、いつも順子の想像を掻き立ててやまなかった。

スマトラ島の話では、展開がオランウータンの密猟者を追い払ったという場面に差し掛かるや、ハラハラドキドキするだけでなく、まるで自分が鬱蒼と茂る密林の中にいるような錯覚すらした。脳裏は見たこともないジャングルを幻視し、昆虫の羽音を幻聴し、湿気までもを体感するのだった。

順子はこんな叔父のリアルな冒険談に、いつも目を輝かせてに聞き入った。

しかも和義という人物は、ある時は長髪のピッピー、ある時は丸坊主の修行僧風、ある時はパリッとしたスーツ姿と、見るたびに異なった風貌をしており、常に順子に新鮮な印象を与えた。

もっとも、いかに変身しようとも、ある点を見ることで必ず和義と判別できるのだった。ひとつには、いかにもアウトドア派の人間らしい、鍛え上げたスポーツ選手のような身体であった。そしてもうひとつには――これが決定的だが――虹彩に顕著な特徴があることだった。叔父の瞳は、薄茶色と白ぶどう色が入り混じった、日本人には珍しい色彩をしていた。本人いわく、海外ではペルシア人と間違えられることもあるとか。

臼井和義は流れ者で、冒険家で、どことなく愉快で、天性の楽天家だった。順子はそんな素敵な叔父が帰国するのをいつも待ちわびていた。

でも、大好きだったその叔父は、母の死の際には姿を現さなかった。彼は臼井家を裏切った。きっと順子を見放したのだ。

それ以来、すっかり嫌いになってしまった。

いや、彼女を見捨てたのは、叔父だけではない。

お婆ちゃん、お婆ちゃん、どうして私たちを置いて天国に行ってしまったの…。

お母さん、お母さん、どうして私を置いて先に逝ってしまったの…。

貧しかったけど、本当の幸せがあったあの頃に戻りたい。独りぼっちじゃなかったあの頃に帰りたい。心の底からそう願った。

過去から現実へと引き戻されるたびに、胸がとても苦しくなった。順子は祈った。

真実の愛がほしい。真実の幸せがほしい。どうか神様、私を救ってください、と。

順子は、また泣いた。

 そんなある日のことである。

その日は仕事がなかった。家に篭っていると、順子は例によって「自分なんか生きている価値はない、早く死んでしまいたい」などと思い詰めた。天気がよかったこともあり、気分転換に外を散歩することにした。だが、歩きはじめても、気がつくとくよくよと悩んでいる自分がいた。しかも、大半は堂々巡りとしか言いようのない考えである。

ぼんやりしていたため、周りが全然、目に入っていなかった。角を曲がったときだった。いきなり何かとぶつかり、我に返った。

「あいたたっ!」

声がした。見ると、お爺さんがしりもちをついていた。

「ああ!」順子は慌ててた。「ごめんなさい! あたしったら!」

大変だ。ぼんやりしていたせいで、ご老体を突き飛ばす格好になってしまったのだ。

すぐに地面に倒れた老人を抱き起こしにかかった。

「お爺さん、大丈夫? 怪我はない?」

そう声をかけながら、ご老体の杖を拾い、肩をかした。

「む、大丈夫…」

老人はなんとか立ち上がった。腰がかなり曲がっている。地面に杖をつくものの、元から脚が悪いのか、老人はうまく歩き出せないでいた。

ますます心配になった。こんな風な結果を招いてしまった己の愚鈍さを罵った。やっぱり自分は何をやっても駄目なのだと、諦めに似た気持ちすら起こった。

「救急車を呼びましょうか?」

「いや、いい、いい…」老人は首を振った。「だ、大丈夫…」

だが、少しも大丈夫そうではない。とてもこの場に放置しておけないと思った。

「お爺ちゃん、おうちはどこ?」

「え?」と、老人は耳に手を当てた。

「おうちはどこですか? 心配だから、とりあえず家まで送っていってあげるね」

老人の顔に、はじめて笑みが点った。嬉しそうに皺を寄せ、しきりと頷いた。

訊くと、住まいは順子のアパートからやや離れた場所にある一軒家だった。

順子は老人の身体を気遣いながら、一緒に歩き始めた。

なんとか家までたどり着くと、中からお婆さんが出てきた。その人も腰が曲がり、顔にもあまり生気がなかった。

順子は一瞬、「まあ、かわいそう」と同情した。

「まあまあ、いったい、どうしたんですか?」お婆さんが訊いた。

順子はいきさつを説明した。お婆さんは「それはまあ」と返事し、それから「きっとお爺さんのほうも悪いんですよ」と、やや咎めるふうに旦那を振り返った。

慌ててかぶりを振ったが、お爺さんのほうはというと、しきりと同意の頷きをくり返し、「このかたがねえ、倒れているところを助けてくれたんだ」と言い張った。

少し話が変わっていた。しかも、お婆さんまで、「まあ、そうでしたの!」と驚き、納得してしまった。そしてこう付け加えた。

「狭いところですけど、どうぞお上がりくださいな」

ふたりの老人が笑みを浮かべていた。目には期待するような光も灯っている。

そんなにニコニコした顔を近づけられては、順子としても家の中にお邪魔しないわけにはいかなかった。

居間のコタツで、お茶をいただきながら自己紹介した。家の中は、三人のほかには、一匹の年老いた猫がコタツで丸くなっているだけだった。

少し老夫婦の話し相手になってあげようと思った。

いや、逆だったのかもしれない。本当は自分のほうが、話し相手がほしかったのかもしれない。

お爺ちゃんの名前は、早川三郎。お婆ちゃんはウメ。ふたりとも年齢は七十五。訊けば、夫妻に子供はいないのだという。

「まあ、それじゃ寂しいでしょうに…」

「仕方ないんですよ」ウメがお茶をすすった。「神様がそう決めたことでしょうから」

「ところで、順子さんのほうは、どうなんですか?」

お爺さんからその方面へ話を振られてしまった。順子から夫妻のプライベートなことを尋ねたせいで、彼女も自分のことを説明しなければならない羽目になってしまった。

順子は話した。母や祖母のことを。そして今の自分が独りぼっちであることも。

話していて、亡くなったふたりのことを急に思い出し、涙がこぼれそうになった。思えば、自分が本当に愛していた人は、貧しいながらも一生懸命に育ててくれた母と祖母だけだったのだ。母は病床にあってもなお、亡くなる最後のときまで、娘の彼女のことを心配していた。自分はそんな母の気持ちに、どれだけ応えてやれただろうか。

結局、順子は泣いてしまった。夫妻はまるで実の娘に接するように、そんな彼女を慰めてくれた。温かく包みこむような優しい微笑みを見て、何かが心の琴線に触れた。

そういえば、あのころのアパートではいつもこんな光景が繰り広げられていたんだなと、順子は懐かしんだ。

久しぶりに人と触れあったためか、心が癒され、満たされた。

「ところで…」

やや無遠慮に部屋を見回した。実は、入ったときから気になっていたことがあった。それは家の中が妙に雑然としているというか、散らかっていることである。

失礼にならぬよう、それとなく尋ねた。夫妻が答えるには、床の物を拾ったり、それを棚のうえに上げたりする動作が結構、大変ということだった。十分、察せられた。

「介護のお世話には、なっていないの?」

「それが、ないのよ…」と、ウメお婆さんが、なんとなく申し訳なさそうに言った。

「じゃあ、あたしがやるわね」

順子は立ち上がり、腕をまくった。

だが、一度片付けはじめると、きりがなくなった。夫妻の要望を聴き入れながら、こまめに動いた。物を片付けるだけでなく、あちこち掃除までした。

その最中だった。棚の中である写真立てを見つけた。なぜかガラスの引き戸の向こうに裏返しにして立てかけてある。

写真は若い頃の早川夫妻を写したものだった。三十代前半くらいと思われるが、意外なのはふたりの格好だ。着物姿ではあるが、ウメは江戸の町娘風で、三郎は町人風の衣装だ。明らかにカツラを被っている。背景もどこかの舞台のようだ。

興味を持った順子は尋ねてみた。

「大正座の劇団にいたんですよ」ウメが言った。

「まあ、お婆ちゃんは女優だったの!」

「女優といっても、大部屋ですよっ」ウメが照れくさそうにかぶりを降った。「順子さん、楽屋というところはね、主演クラスが控える個室と、その他大勢が一緒くたにされる大部屋とに別れているのよ。端役専門の私はいつもみんなと一緒のところ」

「その写真はウメが引退する直前に撮ったものでしてね」三郎爺さんも懐かしそうな目をした。生気が蘇ったようで、声もどこか生き生きしている。「ボクはその後もしばらく俳優を続けていましたが、しばらくして裏方の美術制作に移って、定年まで務めましてな」

「そうだったんですか…」順子もふと青春時代の一コマを思い出した。「あたしも中学校の学芸会で経験したことがあるけど、お芝居って、セリフを覚えたり、たくさんの観客の前で演技したりと、本当に大変ですね」

「演技というのはね、順子さん」三郎が我が意を得たりという顔をした。「大勢のお客さんのために、つまり自分のためでなくて相手のためにやるんだと本気で思った時に、はじめてその役に成り切った、自然で熱のこもった本物のそれができるんだよ」

「へぇ…」と感心したが、急に思い当たることがあって己が恥ずかしくなった。

自分は長年、ホステスでご飯を食べていたが、本当にお客さんのために働いたことが一度でもあっただろうか。そういう独りよがりな姿勢だったから、彼女は今、かつて客だった男性からまったく相手にされないのではないか。彼らの態度は、単にかつての己のエゴむき出しの対人姿勢の反映なのではないか。ホステスだって、本当にお客さんを癒し、喜ばせるためにやるなら、素晴らしい仕事と言えるのではないか。そういう意味で、自分は本当にプロのホステスだったと胸を張って言えるのか。

こういったことにもう少し早く気付くべきだったと後悔した。

「あの頃は本当に楽しくてねえ」ウメの目に光るものがあった。

「そうそう、大部屋でみんなと一緒に過ごした日々はね」

「でも…」順子は少し不思議に思った。「お爺ちゃんもお婆ちゃんも、そんなに素晴らしい思い出の写真を、どうして裏返しにして立てかけているの?」

まるで隠しているみたいだった。三郎とウメは答えに窮し、困ったように互いの顔を見合わせた。

何か理由があるのだと思い、順子はそれ以上、詮索しなかった。

雑談しながらあれこれと世話を焼いているうちに、とうとう夕食の時間がきてしまった。

ウメお婆さんの手つきがなんとなく危なげなので、つい「あたしも手伝うわ」と口を挟んでしまった。おいしそうな夕飯ができあがった。

「順子さんも、どうぞおあがりくださいな」

「お言葉に甘えさせていただくわ」

喜んで好意を受け入れた。結局、他人の家に上がりこんで、一緒に夕飯までいただく展開になってしまった。

「順子さんのおかげで、久しぶりに賑やかな食卓になったよ」

「ありがとう、順子さん」

ご夫妻から丁寧に頭を下げられ、順子は慌ててかぶりを振った。

「いえいえ、お礼を言うのはあたしのほうですよ」

本心だった。単にお腹が満たされただけでは説明のつかない、不思議な喜びと充実感が心に生じていた。こんな風に温かい気持ちになれたのは何年ぶりだろうかと思った。

すでに外は真っ暗だった。残念だが、いつまでもお邪魔しているわけにはいかなかった。

帰り際、玄関口で三郎お爺さんとウメお婆さんが「順子さん」と、口をそろえた。

「もしよろしければ、またきてもらえませんか?」

「喜んで」とその時に返事した順子は、それからというもの、早川家に足繁く通うようになった。最初はミカンやおまんじゅうなどの差し入れを持っていったが、すぐに夫妻が必要とするものを持っていく――つまり買い物代行――ようになり、そのことがまた通う理由になった。

それに人助けをすれば、なんとなく自分も救われるような予感があった。

そして、それは当たっていた。

老夫婦は話し相手を求めていた。順子が玄関先に現れると、さも待ち遠しかったというように目を輝かせた。気のせいか、夫妻の飼い猫までが喜んでいるように思えた。

むろん、話し相手が見つかったことを喜んでいたのは、彼女もまた同じだった。お茶を飲みながら夫妻と何気ない会話をするひと時は、とても心癒される、かけがいのない体験であった。

それによって救われていたのは、他ならぬ彼女自身だった。

むろん、順子はその合間に、事実上、介護に相当することをやった。食事の支度から洗濯、掃除などの家事はもとより、一緒に散歩したり、買い物に出かけたり、部屋に花を生けたりといったことまでした。

夫妻から頼まれたことなら、どんな細かな用事であれ快く引き受け、嬉々としてこなした。なぜなら、順子にとって何より嬉しかったのが、それによって相手が喜んでくれることだったからである。

また、自分が他人から必要とされている状況それ自体が大きな喜びであった。もはや、三郎お爺ちゃんとウメお婆ちゃんのいる空間は、単に心温まる空間というだけでなく、自己の存在理由が確認できる「居場所」ですらあった。

順子にとって稀有なことは、それが外での人間関係としては、初めて損得勘定抜きのものだったということである。

なぜなら、互いに与え、与えられる関係は、かつて母・祖母との間にしか存在したことのないものだったからだ。そういう意味で、早川夫妻は親しい話し相手であると同時に、もはや家族同然の存在でもあった。

実際、夫妻の世話をしていると、時として脳裏に少女時代の幸福な思い出が蘇ってくるのだった。お爺ちゃんやお婆ちゃんの肩を叩いていると、狭いアパートの一室で祖母と一緒にすごした頃の、あの純真だった少女の自分に戻れるのだった。

そんなとき、順子は懐かしさのあまり、思わず微笑むのだった。

「そういえば、あのころが一番、幸せだったなあ」と。

介護を通じて昔の幸せだったころの思い出にも浸れるので、それは順子にとって二重の喜びと化した。

彼女は週に数日のペースで、早川夫妻と時間を過ごした。

やがて、夫妻の生活状態が目に見えてよくなっていった。何よりも精神状態という、目に見えない部分が改善されていった。

いや、それは誰よりも順子自身に当てはまることだった。彼女の瞳には、以前と同じ街の風景が何か清らかで、美しく映り始めた。時おり、家々の植木鉢に咲き乱れる草花に感激し、木々にとまる鳥たちの鳴き声に聞き惚れた。

心からはいつしか憎しみが消えていた。

時を同じくして、順子を取り囲む状況も少しずつ好転した。

彼女は未だウエイトレスの仕事を続けていたが、そこはアルバイトの入れ替わりが激しかった。しばらく我慢していると、いつの間にか先輩格になった。

その間、時給も千円と少しまで上がった。働ける時間や日数も長くなった。彼女は一日平均、6時間働いた。日当は6千円強だ。ただし昼食補助が付くので、その分がとても助かった。稼動は月平均で22日。皆勤手当て等が付いて、月給は14万円を超えるまでになった。

節約すれば、なんとか赤字を出さずに食べていける額だった。

次第に生活が安定し、酒量も目に見えて減り始めた。順子はようやく、仕事とプライベートの両面での充実を実感し始めた。

あるとき、順子のあまりの献身ぶりを気に病んだウメお婆ちゃんが、彼女にお金を手渡そうとした。

「お金は駄目よ」笑みを浮かべ、首を横に振った。「それに、よくは知らないけど、ホームヘルパーの資格もない人間がお金をもらったりしたら、きっと罪になるわ」

「ありがとう」夫妻は口をそろえた。

「いいえ、お礼を言わなければならないのは、本当に私のほうよ」

老いたふたりは涙をこらえていた。そして互いの顔を見合わせた。

「まるで娘ができたみたいだね、ウメ」

「本当ねえ。順子さんがうちの娘だったら、どんなに素晴らしいことか…」

自分でも身体が震えるのが分かった。涙を拭って、こう言った。

「ええ。私はおふたりの娘ですとも…」

その日の夜、布団に入ったときだった。唐突に母・春代の言葉を思い出した。

「神様が人の姿を纏ったもの――それが人間なのよ」

たしか、母は生前そう言っていた。その言葉の意味がなんとなく分かりかけてきた。そんな母の人間観は、無意識のうちに自分にも影響を与えていたような気がする。

(そうだ、お母さんは難しい哲学も宗教も知らなかったけど、人間が本当は何かということを誰よりもよく知っていたんだわ…)

順子はそう思い、ひとり納得した。

 出会い頭にぶつかる――そんな稀有なきっかけで知り合って以来、順子は早川夫妻と家族同然の付き合いをするようになり、それが人生に大きな喜びをもたらしていた。

だが、夫妻のこの先のことを考えると、悩まないわけではなかった。

いずれ、どこかの正式な介護が必要ではないか――そう考えていた矢先のことだった。

順子はその日も早川夫妻のもとを訪れた。すると、ひとりの背広姿の男が玄関先で腰かけ、夫妻と話をしていた。

驚愕のあまり、その場に固まってしまった。

スポーツマンのような引き締まった体格と、何よりも日本人には珍しい薄茶色と白ぶどう色の入り混じった明るい瞳…。

間違いない、見間違うはずがない!

「お、叔父さん?」

「やあ、これは!」和義は目を見開き、白い歯を見せた。「順ちゃんじゃないか!」

よりにもよって、よそ様の家の玄関先で、唯一の身内と再会とは! まったく神の悪戯としか思えないような偶然だと、ただただ唖然とした。

母の弟・臼井和義は、髪はほとんどが銀色になっているものの、相変わらずよく日焼けしており、見たところ健康そのものといった風貌だった。たしか母より七つ年下だから、今年で五十八歳のはずである。まったく、六十前とは思えない若々しさだ。

最後に会ったのは、たしか七、八年くらい前だったような気がする。懐かしさとともに胸裏にいろいろ複雑な想いがいっぺんに蘇ってきた。非難がましい想いがこみ上げた。

「叔父さん、いったいどうしたの? お母さんが亡くなったときに顔も見せずに!」

「ごめん。北極に近い街に住んでいて、ちょうど音信不通のときだったもので…」

相変わらずの放浪癖だと、呆れた。

「いつ日本に戻ってきたの?」

「数年前さ。以来、ドタバタとしていてね、顔を出せなくてごめん」

「戻ってきてから、お墓参りはちゃんとすませたの?」

「もちろんさ。僕だって、それほど非常識じゃないよ」

だが、順子の咎めるような目つきは一向に変化しない。さらに数分ほど叔父をこき下ろしつづけたあと、つっけんどんな調子でこう言い放った。

「ところで、このお家に何の御用?」

「営業だよ」

「営業ですって?」天を仰ぎかねない勢いで目を剥いた。「もしかして、お年寄りを騙して高額の商品でも売りつけるつもり? それとも、この家は修理が必要だとか何とか言いくるめて、高額の改修工事の契約を結ばせて…」

「おいおい、僕をいったい何だと思っているんだい?」和義は苦笑いした。「こちらの早川さんご夫妻が要介護状態だという話を小耳に挟んだので、当社で提供している居宅サービスをお勧めしているところなのさ」

「ええっ、介護!?」

「そうさ…」和義が名刺を差し出した。

東京都指定介護サービス事業所「アルプスウェルフェア」代表取締役、とある。

「まあ、叔父さんが社長なの!」

「一応はね」

驚きは、だが、すぐに疑いに変わった。他の人が代表だと、このカタカナの名前も格好よく感じられるのだが、叔父だとなんとなく怪しいといか、胡散臭く感じられる。

「バックパッカーよろしく世界中をうろうろしている人が、よりによって介護サービス事業だなんて、いったいどういう風の吹き回しなの? 一攫千金のつもり?」

「君はあくまで僕を否定したいらしいねえ」

「そりゃ、だって…」

「まあまあ、おふたりとも!」

それまでニコニコしながらふたりのやり取りを興味深げに見守っていた三郎お爺ちゃんが、身を乗り出して仲裁した。ウメお婆ちゃんも口をそろえた。

「玄関ではなんですので、どうぞ上がってくださいな」

 四人でコタツを囲んだ。

順子と和義は、お茶をいただきつつ、ふたりの関係を説明した。

「まあ、そうだったんですか…」と、ウメお婆ちゃん。

「これもなにかの縁だろう」と、三郎お爺ちゃん。

和義は思い出話のついでに、ちゃっかりとセールスすることも忘れなかった。

「…というわけでして、介護保険制度をご利用いただくことにより、介護サービス利用者のご負担は一割に抑えられるのです。弊社は在宅介護サービスを総合的に手がけているだけでなく、二十四時間年中無休の介護体制もとっておりますので、お客様には安心して長らくお付き合いしていただけると確信しております」

早川夫妻が互いの顔を見合わせた。

「どうだね、ウメ」

「そうねえ…。なんか良さそうだわね…」

ふたりとも明らかに契約を交わす方向に傾いている。和義の営業トークにまんまと言いくるめられた格好だ。

順子はコタツから身を乗り出し、「よく考えたほうがいいわよ」と水を差した。

「むろん、お返事は別に今日でなくても結構ですので」

和義はあくまでニコニコする姿勢を崩さない。

三郎とウメは互いに、「そうだねえ、どうしようかねえ、考えてみようかね…」と逡巡しつづけた。夫妻が迷っている間を見計らって、和義が順子のほうへ向き直った。

「ところで、順ちゃん」と小声で切り出す。

「なによ」

「いま忙しいかい? 仕事はしているの?」

「ええっと、そうねえ、一応は週五日で働いているけども…」

一日六時間労働で、通勤時間も要しないから、決して忙しいというわけではなかった。

少し歯切れの悪い彼女を見て、和義がわが意をえたりという表情をした。

「なら、ちょうどいいや。どう、うちの社員にならない? いま人手が足らないんだ」

「いやよ」

和義はしばし無言で生意気な姪の顔を見つめた。

「一秒も経たないうちに、言下に拒否したね」

「だって、叔父さんが経営者の会社なんて、なんだか危なげだし…」

「君は本当に僕を何だと…」

また不毛な言い争いがはじまった。

「まあまあ」と、早川夫妻が横からとりなした。

三郎が突然、顔を輝かせ、「あっ、そうだ」と手を打った。それから妻の顔を見て、「なあ、おい」とだけ言った。

長年連れ添った夫婦は、それだけでコミュニケーションが成立するものらしい。ウメもまた顔を輝かせ、「そうね、それはいいわね」と頷いた。

何がなんだか、さっぱり分からない。

「順子さん。差し出がましくて本当に申し訳ないが…」

「なあに、お爺ちゃん」

「こうしたらどうでしょう? まず順子さんがこちらさんの社員になってもらって」と、和義のほうを振り返る。「そんでもって、ボクらがこちらさんと契約して、それから順子さんがヘルパーとして、うちに正式に来てくれるというのは、どうかね?」

「ええ、そうですよ、そうですとも」ウメも盛んに同意の頷きをくり返した。「そうしてくださったら、私たちも、今までみたいに順子さんに無報酬で一方的に奉仕してもらう立場でなくなって、とっても気が楽になりますわ」

「で、でも…」

夫妻からの思いがけない解決策の提示に、戸惑った。和義が真剣な目で、彼女のほうをじっと見つめる。

叔父はともかく、夫妻の瞳までが真剣に訴えていた。

「分かったわ…」ため息をついた。そしてとびっきりの笑みを浮かべた。「お爺ちゃんとお婆ちゃんがそう言うのなら…」

 臼井順子はウエイトレスの仕事を辞め、叔父の経営するアルプスウェルフェア社の社員になった。

いざ入社してみると、勉強しなければならないことが山ほどあるのが分かった。

まず訪問介護員(ホームヘルパー)の資格をえるには、都道府県知事の指定する研修課程を修了しなければならない。しかも、入門クラスの三級から主任クラスの一級まであり、当然ながら後者の課程に進むには一定の時間と技術の習得を要する。

むろん、研修よりも、ホームヘルパーとしての実際の仕事のほうが大変だった。

利用者の居宅を訪問し、食事・入浴・排泄等の介護や日常生活上の世話を行うのが主な仕事であるが、尊厳をもった生身の人間相手なので、単に機械的にやればいいというものではなく、個人に応じたきめ細かなサービスと状況判断が要求される。介護員としての実力を養うためには、現場の数も踏まなくてはならない。それに「二四時間・三六五日の介護体制」を掲げる以上、顧客のニーズ次第では、夜勤もこなさなくてはならない。

順子の挑戦が始まった。彼女は早川夫妻だけでなく、他に幾つもの顧客を担当した。

仕事は時として修羅場だった。だが、やりがいがあった。意外と深い世界であることも痛感した。真のプロになるためには、勉強することがたくさんあった。介護サービス事業者としての実務全般だけでなく、介護保険法や同制度、さらには老人福祉全般についても熟知していなければならなかった。

順子は自らのプロとしての専門性を高めるため、忙しい合間を縫って介護福祉士の国家資格取得にも意欲を燃やした。そのためには介護実務経験が三年以上必要で、なおかつ筆記と実技試験にも合格しなければならない。当分はとれそうにないが、それでも試験に必要な「老人福祉論」とか「介護概論」といった必須科目を、必死になって勉強し始めた。それまでの人生を振り返っても、かつてこれほど机にかじりついたことはなかった。しかも、忙しく、体力を使う仕事と平行しての勉学である。

たしかに、難しかった。だが、挑戦は人の心を掻きたてる。順子も例外ではない。心の炎はかつてなく燃え盛った。もはや、くよくよと悩んでいる暇などなかった。現在の熱中が、脳裏から過去の嫌な思い出をきれいさっぱりと追い払った。

気がつけば、すべてが充実していた。まるで新しい地平が開けたようだった。

何かの拍子にふとホステス時代の過去を思い起こした。かつての欲望と執着の日々は、本当に遠い世界へと追いやられていた。思えば、いくら贅沢な暮らしを楽しんでいても、心が本当に落ち着いたことなど一度もなかった。しょせんは、虚栄とまがい物の世界だったのである。銀座を追われてからの三年間にいたっては、精神的にも物質的にも、どん底の生活だった。

だが、今やそういった昔の人間関係はリセットされ、周りに新しい人間関係が生まれていた。それとともに新しい人生もまた始まった。なによりも、介護に奔走する日々の中で、心の中にかつてない平安がもたらされていた。

ようやく順子は、母がよく話していた言葉の意味を、初めて本当に理解した。

「神様が人の姿を纏ったもの――それが人間なのよ」

叔父の和義が経営するアルプスウェルフェア社自体も、急速に業績を伸ばしていた。

順子たち少数精鋭の活躍により、会社の評判は地域でとても良かった。彼女の入社後、さる大手の介護サービス企業が介護報酬の不正請求や事業所指定の不正取得といった問題で信用を失ったことも、事業の追い風となった。顧客が評判のいい同社にどっと流れこんだ。小さかった会社は、新たに大量の人材を雇い入れる必要に迫られた。事務所は大きくなり、支店があちこちに建ち、事業はあれよあれよという間に拡大していった。

順子もたちまち人を使っていく立場になり、いつしかマネージャーとして活躍するようになった。惨めだった昔のことなどすっかり忘れて、利用者宅を回ってケアプランを作成したり、部下を教育・指導したり、新規採用の面接を行ったりと、忙しい日々を送った。

彼女がマルチに活躍する日々がつづいた。

 たちまち数年が過ぎた。

臼井順子は叔父から乞われて専務取締役に就任した。

彼女は、叔父の計らいでそれまで人事部長、営業部長、総務部長を順番に歴任し、今では社長の右腕として会社になくてはならない人物になっていた。

思えば、絶対に何かをやり遂げるのだという強い思いに駆り立てられ、走りつづけた数年間であった。そして介護を通して、「人間はみんな神様だ」と迷いもなく言い切った母の言葉を実感し、彼女の認識の後ろを追いかける日々でもあった。

仕事の終わったある日、順子は叔父から呼び出された。

「順ちゃん。今まで、よく頑張ってきたね。僕はそばで見ていて、本当に感心しぱなっしだったよ」

「いえいえ。まだまだよ」

そう謙遜しつつも、いまでは介護の仕事は天職だと思っていた。大げさでなく、ついに自分は生きる希望を見出したと、胸躍っていた。当然、チャンスをくれた叔父に対しても、感謝の気持ちでいっぱいだった。

「ところで、順ちゃん。実は、頼みがあるんだが…」

「いやよ」

和義は依然として生意気な姪の顔を、やれやれという調子で見つめた。

「まだ何も言っていないじゃないか」

「だって、そんな風に叔父さんが改まったときには、ろくなことがないもん」

「会社をもらってくれないかという頼みでもかい?」

「ええっ!?」

一瞬、何を言っているのかと思った。

「いや、冗談だとは思わないでほしいんだ。五年以上も都会で仕事をしてみたけど、僕はやっぱり定住生活には向いていないと分かったんだ。その証拠に、僕はいま、放浪の旅に出たくて出たくて仕方がないのさ」

叔父は苦笑いすると、さらに説明を続けた。

訊けば、単に経営を任せて引退したいというのではなく、経営権、つまり株式それ自体を引き受けてくれという話である。

「叔父さんって、どうかしているわよ」

「自分でも時々、そう思わないでもない。でも、これは本心からのお願いなんだ」

「でも、あたし、経営権を買い取るだけのお金なんてないわ」

「そんもの、いらないよ!」和義は頭を下げて、ロブスターのように机に伏した。「だから、この通りだ、会社をもらってくれ。な? 頼む…」

オーナー経営者が、繁盛する自分の会社を、どうかタダで手に入れてくれと他者に懇願するという、ありえない光景が展開されていた。

唖然とした。とても正気の沙汰とは思えなかった。叔父は数千万円を投じてこの事業を始めたという。以来、会社は成長し、今では元手の何十倍もの価値になっているだろう。親族とはいえ、それをあっさりと他者に譲り渡すというのである。もともと変わり者だとは思っていたが、こうまで変わっているとは思わなかった。

「で、でも、それじゃあまりに、幸運すぎて…」

「頼む」叔父は伏せたまま、掲げた手の平を拝むように合わせた。「僕はもうこれ以上、東京での暮らしに耐えられそうにないんだ。お願いだ…」

それはたしかに臼井和義の本心だった。己に鞭打って、都会であくせく働くのは本来、彼の性に合わないのだ。第一、和義は内心でこう思っていた。

(だって、この会社はもともと君のものさ。なにしろ、君が出資したお金で興したんだもの。つまり、オーナーは最初から君だったんだよ)

結局、あまりに執拗に懇願されたため、順子も折れざるをえなくなった。ただし、彼女のたっての希望で、株の所有権は半々とし、共同経営者とすることにした。

こうして臼井順子は、アルプスウェルフェア社のオーナー社長に就任した。

 臼井和義は心の底から安堵した。これでようやく肩の荷が下りた、と。

それは病床の姉との約束だった。

春代が亡くなる間際だった。和義は姉に呼びつけられた。

病床の春代は泣いていた。そして言った。このままでは、いずれ娘の順子は破滅するだろう。このことに関しては自分にも大いに責任がある。だが、死期が近い今となっては、何もしてやれない。そのツケを回してすまないが、なんとか力を貸してほしい…。

姉の言うことは、もっともだと和義も思った。

和義も少女のころの順子をよく知っていた。明るく素直な性格で、本当に愛情豊かな子だった。なによりも、幼い子供や老人などの立場の弱い人々に対しては際立った同情心をもつ、心優しい少女であった。それが本当の臼井順子であった。

だが、彼女は母親を早く楽にさせてやりたいと思うあまり、周囲の反対を押し切って一番安易な道を選び、そしてみんなが密かに心配していたとおりの人間になってしまった。手っ取り早くお金をえられ、欲を満たせる世界を知った途端、順子はすぐに堕落してしまった。彼女は自らの贅沢のためにひたすら他人を利用することを覚え、地道に生きることや、またそう生きている人様まで軽蔑するような人間になってしまったのだ。

だが、いったい誰が彼女のことを責められるだろう? 春代はそんな娘のことをいつも内心で心配し、母としての自分を責めつづけていた。だが、根本的には何も解決されず、事態はどんどん悪化していった。順子は明らかに一生を棒に振りかけていた。

このままではいけない。なんとかしなければならない――。

和義と春代は長い間、話し合った。荒療治が必要なことは和義にも分かっていたが、姉が密かに打ち明けた手段を実行することには、さすがに気が引けた。

だが、これしか娘を救う方法はないのだと姉は言い張った。一時的に不幸になっても、娘が自分の本当の才能を生かして真人間として立ち直るためには、これしかないのだと。

和義は抗議した。「それじゃ、僕は姉さんの葬式にも出られないよ」と。なぜなら、仮に姉の葬式に出席すれば、それ以後、姪の順子とは常時連絡が取り合える状態になり、その計画そのものが成立しなくなってしまう可能性があるからだ。

だが、姉は平然と言い放った。「あたしはそこにいないから、気にしないわよ」と。再度、「姉さんが気にしなくても、周りの人たちが僕のことをなんと思うかどうか」と苦言を呈すると、今度は「今さら世間体も何もないでしょうに」と呆れられた。

話しているうちに、姉の言葉は段々と脅しめいてきた。身内としての義務を果たせ、と。和義も、今まで散々、好き勝手に生きてきたことを逆手にとられた。

それでも彼がなお拒んでいると、今度は泣き落としにかかった。これは私の「遺言」なのだ、と。この世から去るにあたって、これだけが唯一の心残りだ、このままでは成仏できそうにもない、どうか死を前にした哀れな女のお願いだ、きいておくれ、と。

化けて出た姉に付き纏われるのも困ると思ったが、結局、春代の脅し、泣き落としが功を奏し、なんとか順子を立ち直らせるという約束をさせられてしまった。

そして、姉の春代は逝った。

約束したあとになって、和義は「しまった!」と後悔した。姉にまんまと騙されたとすら思った。自分が想像以上に重荷を背負ってしまったことに気付いた。

とくに詐欺師の真似事までしなければならなかったのは辛かった。いや、順子の立場からすれば、立派な詐欺であろう。

和義は内心、順子に懺悔した。

順ちゃん、あのときは騙して本当にごめんね。君は最後まで気が付かなかったが、あのチョビ髭の男は、実は変装した僕だったんだ。もちろん、付け髭だけで君の目を欺けるなんて思っちゃいない。僕は君に再会するにあたって、苦しかったけどロバート・デ・ニーロばりの過剰な役作りに倣い、元より十五キロも体重を増やしたんだ。そして何より僕の身体的な特徴である明るい色の虹彩を隠すために、色付きの眼鏡をかけ、黒のカラーコンタクトまで装着した。君を騙すために用意したパンフレットの印刷やホームページの作成も、脚がつかないようにわざわざ外国でしたんだ。どうやら、「詐欺」にあったあとの三年間は、君はどん底にあったようだね。一時は酒に溺れたりもしていたと、あとで君からも聞いた。そんな目にあわせて、僕は本当になんと謝っていいのか分からない…。

その時の順子の気持ちを思うと、和義の胸は張り裂けた。そして心の中でいつも彼女に平謝りした。だが、それを悟られるわけにはいかず、彼としても余計に苦しんだ。

それにしても端から見れば立派な犯罪である。だが、捜査の手が和義のところに及ぶことは、まったくなかった。

実のところ、欲に目のくらんだホステスひとりが大金を騙し取られたという程度の事件では、同時並列的に多数の事件を抱えこんでいる警察は、組織をあげて動かない。同様の事件が頻発し、被害者がたくさん生まれてはじめて警察は重い腰をあげる。今回の「詐欺事件」では被害がたった一件だけで終わってしまった。だから警察は、他の事件の解決を優先しつづけ、この件はファイルに閉じられてそれっきりになったのだ。

和義の計画には、ある協力者の存在も欠かせなかった。早川夫妻である。老夫妻は彼がアルプスウェルフェア社を立ち上げて間もない頃の初期の顧客で、彼自身が介護を担当したこともあった。和義はブロードウェイのミュージカルの大ファンだけあって、元劇団員だった夫妻とは話が弾んだ。互いの会話はいつしかプライベートな領域にも及んだ。ある日、姪の順子のことを話したら、夫妻は顔を見合わせ、手助けを申し出てくれたのだ。

おふたりは、「人助けに協力できるのなら、人生最後の演技も何のその」と、見事なひと芝居を打ってくれた。身体を悪くしていたにもかかわらず、そうまでしてくれた夫妻に対して、和義も頭が上がらなかった。

幸いなことに、あとで夫妻は「何よりも順子さんと出会えて本当によかった。彼女は本当の娘みたいだ」と涙を滲ませ、満足してくれた。

しかし、和義にできることは、ここまでだった。

実際に要介護であるにもかかわらず、介護を受けていない振りをした早川夫妻に対して、順子が自発的にどういう行動をとるのか…。

つまり、結局は彼女の意志と人間性次第でなのある。この計画の肝心なところは、彼女自身が握っているのだ。

他人がいくら舞台をお膳立てしたところで、その上で何を演じるかは、彼女自身の自由な意志にゆだねられている。最終的に順子の行く末を決めるのは当人である。春代や和義の想像とは違い、順子が要介護状態の夫妻に同情できないような人間であれば、話はそれまでだった。そういう意味で、計画は彼女の人格に対する賭けでもあった。

一時は、こんなことを彼に強要した、亡き姉を恨んだこともあった。彼女の懇願を断りきれなかった己の優柔不断さを呪ったこともあった。

だが、結果的に、姉の考えは間違っていなかった。早川夫妻と接した臼井順子は「人助けをしよう」と純粋に思い、何の報酬も求めずに行動したのである。

それを知った時、和義は姉を、そして姪を信じて正解だったと、胸を撫で下ろした。

臼井順子は、今ではそれ以前の何十倍も輝いた人生を送っている。これで彼としても心置きなく、また世界を旅することができるのだった。

和義は思った。

順ちゃん。君には、弱い人々をいたわり、思いやる気持ちが人一倍、強いんだよ。それは何にも変えがたい介護の才能なんだ。そして君自身も忘れていた、そんな君の穢れなき魂を、君の本当の姿を、お母さんだけはちゃんと見抜いていたんだよ…。

「これが僕流の人生さ」と言って、叔父の和義がまた日本を去っていった。

空港で彼を見送った順子は、大空に飛び立つ飛行機の姿を眺めながら、「なんて不思議な人なんだろう」と半ば呆れ半ば感心した。そして、「人生って不思議ね」とも思った。

自分は偶然にも天職をえたと思った。もう迷うことはなかった。生まれて初めて、自分の存在価値を「人のために尽くす」ことに置いた。そうしたら、他の誰よりも自分自身が救われたのだ。思えば、救いは常に手の届くところにあった。ここ数年の経験を通して、そのことを掴み取った。自分が変われば、世界もまた変わるのだ。

考えてみれば、人生まだ半分である。ようやく折り返し点にきたところだ。

これからの四十代、いや、五十代も六十代も、この事業に賭けてみようと決意した。

もはや彼女が恐れるものはなかった。眼前には、無限の可能性を秘めた地平線が開けているように思われた。

それにしても、と順子はふと思った。

和義叔父さんが去り際にもらした言葉は、不思議だったが、奇妙に印象に残った。

「順ちゃん。君のお母さんはね、君のかけがえのない才能を、ちゃーんと見抜いていたんだよ」

(了)

*筆者より。この作品は十年以上前に書いた短編で、描かれている介護福祉制度は当時のものです。現在は少し変わっています。

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