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精神病院ってどんなところ? Part.1

こんばんは。今回のテーマはnoteを始める前からずっと話したかった事でもあります。プロフィールにも載せてありますが、私は精神病院で看護師として勤務しております。自分は数ある病院の中からどうして精神病院を選択したのか、実際にどんなところなのかについて話させて頂きたいと思いますので、少しでも興味やお時間がありましたら是非、お付き合い下さい。

救急病院への憧れ

まずはじめに私は最初から今の精神病院に勤務しているわけではありません。たった1年半でしたが(看護補助者時代を含め3年半)最初は救急病院からのスタート。1分1秒を争う世界。緊急性や重症度の高い患者さんの命を救いたい。身体と精神の両側面から支えたい。もちろんその御家族も。豊富な知識、経験を身につけ、そして還元していきたい。という目標を持って入職しました。

2年間の准看護学科を卒業し、准看護師の資格を取得。3年間の看護学科(夜間定時制)に通いながら日中は病院で准看護師として勤務し、夜間は学校へという生活が始まりました。
そして最初に配属された部署は集中治療室。重症度の高い患者さんはもちろんのこと、それ以外にも手術後や大きな検査後の患者さんなど様々。
1日の流れや仕事を覚えつつ、時間を見つけて患者さんの疾患や症状、治療法、検査データ(血液検査や画像検査)の読み方などを勉強しながら、1つ1つ仕事を覚えては、知識をつけ、着実に経験を積んで、知らないことや分からないことがあればそれをすぐに調べたりと向上心に溢れていたと記憶しています。

しかし、それが長くは続きませんでした。

多忙な毎日、勤労学生の難しさ

そしてありがたいことにたくさんの仕事を任せて頂けることに。患者さんのケアはもちろんのこと、入院時の対応や緊急手術があればその説明、医師からの病状説明に同席、ご家族からの情報収集、オリエンテーション、書類の説明など。「ちゃんと出来るのかな…」と不安でいっぱいでしたが、先輩方のサポートもありなんとか、なんとか。

しかし、これは時間に余裕があればの話です。集中治療室ですので、もちろん入院される方は命の瀬戸際に立たされている患者さんばかりです。一般病棟のある病院なのでいきなり集中治療室に入院となると、患者さんご本人だけではなくご家族も不安になってしまうのは当然のことです。入院患者さんの対応をしていたら、また新たな入院患者さんが、ということはよくあります。そしてすでに入院されている患者さんが急変を起こしたりということが同時に起こることもあります。

そうなると私はもう何もできず。勤労学生であったこともあり、先輩方はなんとか学校に間に合うように気を遣って頂き、時間内に終わらなければ先輩方に残った仕事を任せて学校へ行く。なんてことも少なくなかったです。
身体、精神の疲労や先輩方への申し訳なさを感じ、学校での講義。そしてまた次の日は朝早くから仕事のため病院へ行き、夜はまた学校へ。そこは救急病院の集中治療室です。何も起こらずに1日が終わるなんてことは数えるほどです。

そして私は気づくことに。

ある患者、ご家族との出逢い

日々の業務や学業に追われ、自身の非力さを痛感する毎日。時間があればじっくり患者さんやご家族とお話しをしたり、不安や悩みなどを少しでも解消したかった。いつからか、精神面のサポートが身体面のサポートの二の次になっていました。「忙しかったら出来なかった、無理だった」というのは言い訳に過ぎません。例えその状況下であっても、それができなかった自身の非力さが原因です。

とある日に入院された40代の男性患者さん。入院されたときから意識はなく、主治医より奥さんへ「これから一生目を覚まさないかもしれない。立って話したり、自分でご飯を食べたりも難しいかと」という病状説明。そこに私は同席しませんでしたが、奥さんと患者さんの母親は、特に取り乱すことなく話を聞いていたとのことです。

それから少し経ったあと、私がその患者さんの隣の患者さんのケアに入っているときに奥さんとお子さん2人(1歳もしくは2歳)が面会に来られました。お子さん方に状況を理解することが難しく「パパ起きないの?」と奥さんに聞いている様子でした。「もう少しかな」と答える奥さんの後ろから、患者さんの母親(お子さんから見ると祖母)がやってきて、「ジュース飲もうか」とお子さん2人と一緒に病室から出て行かれました。
私もケアが終わったのでナースステーションに戻ろうと歩き出したそのときです。目の前で奥さんが1人、崩れ落ちて泣いていたのです。私は立つ尽くすばかりで何もできず。どう声をかければいいのか分かりませんでした。すぐに駆けつけてくれた先輩方に別室へ誘導され、少し休まれることに。

看護師失格

その瞬間、私は看護師として何も出来ていないことに気付かされました。1つ1つ仕事を覚えて、多少なりとも知識をつけ、経験をしたことで看護師として成長した気になっていたんだと。患者さんの思いを汲み取って、些細なことからでも不安や悩みを解消したい。といった私が看護師を志したときからの看護観が何も行動に移せていなかった、出来ていなかったのだと。取り乱すことなく病状説明を聞いていた。いざお子さんを連れて、意識のない夫を目の前にして笑顔でいたこと。表面上の情報だけで「大丈夫だろう」と決めつけていた自分が本当に情けないと思いました。忙しいことを理由に患者さんやご家族から逃げていた自分が本当恥ずかしいと。

それから私は1年半後(看護学科2年)に退職しました。仕事と学業の両立が出来なかったこと、身体的に精神的にもしんどかったことなども退職を決めたひとつの理由ですが、一番の理由は綺麗事だと感じられる方もいらっしゃると思いますが、「身体より精神」の看護がしたいと思ったからです。もちろんこれは身体的ケアを軽視している訳ではありません。患者さんのことを誰よりも分かっていて、患者さんと1番近く、支えるのが看護師の一番の役目だと改めて感じたからです。そしてこの看護観が現在の職場を決めるきっかけになるのです。


個人的に一番話したかったテーマだったのでひとつの記事にはまとめられませんでしたね。続きはPart.2でよろしくお願いします。

#私の仕事


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