ただ会いたいから行く。~父のこと③~
#20241008-471
2024年10月8日(火)
父の余命が残り少ないと主治医からいわれたのが、9月下旬。
小学5年生の里子ノコ(娘小5)を養育中のため、時間は限られているが、できる限り実家や父の病院へ足を運んでいる。
痛みがないこともあり、抗がん剤の投与がはじまるまで父は自宅で過ごしている。
がんが骨に遠隔転移したため、目下父の体は血液が作れない。
血小板の減りがはやく、医師によると出血や打撲による内出血が日常で見るものとだいぶ違うらしい。まず出血したら止まらないので、すぐ病院へ来るよういわれている。数日おきに病院に足を運んでは、血小板をはじめ足りない血液成分を輸血している。
数値を見る限り、父の「痛みのない状態」は不可解だと医師はいう。
痛みがないのは幸いなことだが、自宅に帰った父はあっという間に日常生活を戻ってしまった。
今まで通り、朝食、昼食を作り、洗濯物を干し、母とスーパーへ買い物へ行く。
なんせ血が少ないので、いつくらりと目眩がするかわからない。車が大好きな父だが、これを機に運転をやめた。近く愛車を手放すという。
雨でなければ1日おきに、両親は車で河川敷にある広い公園へ通っていた。母は日傘をさしてウォーキング、父は私もしているスロージョギングをするのが日課だった。
「動かないと体がなまっちまう」
そういって、父は今まで通り、コマネズミのようにくるくる動くという。
筋肉が衰えるというのはよくわかる。
動かないとすぐに体力は落ち、持続力がなくなり、息があがる。
父がいうことはもっともなのだが、なにぶん今の父の体は転んだら命に関わる。
骨はもろく、血は止まらない。
朝と晩、母にメールを入れる。
父の様子を尋ね、母の疲れをうかがう。
そして、顔を出せる日と時間帯を伝える。
「そんなに来なくていいわよ」
メールを送信すると、大抵母から電話が掛かってくる。
「あなただって、ノコちゃんのこともあるし、むねいちさんのこともあるでしょ」
「大丈夫、それはなんとかなるから」
私の背後でむーくん(夫)がささやく。
――会いたいから行くんだって。
むーくんに背を押さえるように私はその言葉をなぞる。
「私が会いたいから行くんだし」
「でもねぇ、あなたが倒れたら森谷家はそれこそ大変よ」
確かに私は子どもの頃から体が弱く、体力がない。無理をするとすぐ体調を崩す。
「そーんなしょっちゅう来ることねえ!」
電話の向こうで父が呑気に声を張る。
結婚し、実家を出てから、私はあまり帰省していない。
はじめの5年ばかりは、むーくんとの時間を楽しみつつ、不妊治療に明け暮れた。
不妊治療をやめ、里親になることを決めてからは里親登録に向けて研修、実習と忙しかった。児童相談所から里子を紹介された後は、交流、委託と怒濤の日々。そのうち新型コロナウイルスの流行がはじまり、高齢の両親と気軽に会えなくなった。
私自身、祖父母が遠くに住んでいたので、年1回夏に会うくらいだった。
それも年齢があがるにつれ受験があったり、友だちつきあいや仕事があったり、親は帰省するものの、私と妹は同行しない年が増えた。
祖父母と会うのは、年1回あればいい。
その感覚が抜けないだけでなく、むーくんが暦通りの勤務でないこともあり、頻繁に実家に足を運ぶ習慣がない。
だが、父の余命は1ヶ月あるかないか。
スタスタと歩く父の姿を見ていると、医師の言葉から「現実味」がはがれ落ちる。
期待するわけではないが、もしかしたら年内はもつかもしれない。
いやいや、余命短いがん患者が年単位で生きたという話も聞く。
父との時間をもっと持てばよかったと後悔したくない。
母相手と違い、父とは会ってもそうお喋りに花が咲くわけではない。
「元気かぁ? ダンナもノコも元気かぁ? それならよし」
父はそれさえ確認すれば、あとはマイペース。家事をしたり、新聞を読んだりしてしまう。
それでも、同じ空間にいる時間が少しでもほしい。
そう願ってしまうのだ。