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点を線にし、「なりたい私」につなげていく。

#20240608-409

2024年6月8日(土)
 人生100年時代というものの、100歳まで心身ともに元気でいられる自信は……正直ない。
 折り返し地点の50歳を過ぎたばかりなのに、体のあちこちにガタがきている。
 元来、運動音痴で体を動かすことに苦手意識が強かったが、続けている習慣がある。

  • 朝ヨガ:ゆるめのヨガだが、ほぼ毎朝している。

  • ゆるジョグ:雨でない限り、予定のない午前に20分約3km走る。息があがらないゆっくりとしたスピードだが、ウォーキングとは違う。「スロージョギング」とも呼ばれている。

 人にいえば、「向上心がある」だの「余裕のあるライフスタイル」だのいわれそうだが、やらずにはいられないのだ。やらないと、体調が悪くなるのだ。
 ヨガもジョグもやり終えた後はスッキリするので、「しなければよかった」と悔やむことはないが、それでも億劫ではある。
 できるだけ、考えないよう、頭を空っぽにして機械的に準備をする。
 ヨガはあえて有料のオンライン・ヨガを利用している。さぼりそうになると、ケチん坊な私が発動し「お金を払っているんだから」と尻を叩いてくれる。
 ジョグはまず3分後に出発と決めて、ジョギング・ウエアに着替えてしまう。「せっかく着替えたから」という勢いに乗ってシューズを履き、「せっかく履いたのだから」とそのまま玄関ドアを開ける。手首につけているフィットネストラッカーFitbitの「エクササイズ」にある走る姿のアイコンをタッチすれば、計測開始。もう走りだすしかない。

 私は、なにかと人より遅い。
 さまざまな体験に思い、感じることはたくさんあったが、漠然としていた。ぼんやりとしたそれらが積もりに積もり、意識し、言語化できるようになるまでだいぶ時間がかかった。
 30歳過ぎて、ようやく話せるようになった気がする。
 40歳過ぎて、1人の人間になったような気がする。
 50歳過ぎて、あぁ、私は何になるのだろう。
 今――そこなのだ。

 元来、丈夫とはほど遠い体は、年を重ねるごとに衰えてきた。目はどんどん見開き、もっともっとと世のことを貪欲に求めているのに、体がついていかない。悔しくて、体を維持するために私はヨガをし、走る。
 「なりたい私」になる前にバテたくない
 親になることもなりたかったことの1つだが、こんなに体力気力を奪うものだとは思わなかった。里子のノコ(娘小5)は現在10歳、小学5年生だ。あと少なくとも10年は、手も心も掛かる。
 目標に向かってなりふり構わず突き進むことはできないが、視点を変えれば、この10年は助走期間にできる
 体を整え、ノコと向き合い、そして「なりたい私」を探す。
 50年のあいだ、心かれたものを点として放置せず、つなげていく。振り返れば、たくさんの点を打ったものだ。つなげ方も何通りもある。
 まとまった「生みだす」時間を作るのは、子育てをしていると難しいが、「待つ」時間は細切れにある。ノコの習い事の待機時間からノコの髪を乾かすために洗面所で待っているのにノコ当人がなかなかやって来ない数分まで、長短さまざまだがゼロではない。
 ぼんやり待つのは、もったいない。
 イライラして待つのは、さらにもったいない。
 資料の取り寄せ、応募の結果待ち。ノコがいなければ気をもむところ、毎日があっという間なので息を吸って吐いたらその日になるほどだ。
 ひとつずつ、点を線にして、挑戦する。
 叶わなくとも落ち込む間もなく、また挑戦する。
 10年後の「なりたい自分」を目指して、私はゆっくり助走する。

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