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クリエイターのみなさん、「社会人」と「珍獣」どっちの扱いがいいですか? という問いかけ

amphibianです。
今回は内容の9割が推測と問いかけという下劣記事です。
きをつけろ。

狂えばカリスマか!?
吠えれば天才か!?
死んだら神様か!?
何もしなけりゃ生き仏か!?

筋肉少女帯「モーレツア太郎」 https://www.uta-net.com/song/95909/

皆さんのものづくりは理知ですか、狂気ですか。
皆さんの武器はりちですか、凶器きょうきですか。

野球選手とかサッカー選手とか宇宙飛行士とか声優とかYOUTUBERとか、なりたい職業上位のめまぐるしい遷移にかかわらず、日本人のライフモデルのステレオタイプのマジョリティ(横文字3 COMBO)って、フリーターでもノマドでもなく「社会人」ですよねまだ。
社会と関わって、人と人とのやりとりで価値を生み出していくやつです。

翻って、クリエイターって仕事、少なからず反社会的なイメージないですか?
反社組織って意味ではなく、面倒な人付き合いや諸々の手続き、さまざまな社会のしがらみから逃れて、ただ自分のつくる「もの」に向き合ってればOK的な、ある種の特権階級みたいなイメージ、おもちでなかったですか?
社会性をかなぐり捨てて、やりたい放題モノづくりやって、バカ高い価値を作り出して大儲けしている成功者。
そういうものに私はなりたいと志して、クリエイターになりませんでしたか?


ここではクリエイターに対して、「社会性・一般社会とのかかわりをいかに重視するか」という1つの軸の両端を考えてみます。
右の端が「社会人」。
左の端が「珍獣」です。



※最初はこれ珍獣じゃなくて狂人って書こうとしたが、今回の文脈だとかなりアウトな感じがしてやめた。

聞いてみたかったのです。
他のクリエイターさんに。
あなたはどのへんにいますか?
ホントはどのへんにいたいですか?


そもそも、おのれの珍獣性をいっさい切り捨てた完全無欠の「社会人」は、モノづくりの現場にあんまいない気がします。
情熱やら怨恨やら混沌やらの祝福なく、純粋に仕様の羅列によってモノがつくれるとしたら、それはもはや「創作」とは違っている気がしますし。
いたとして、早々に運営側・クリエイターを使う側にいってしまいそうです。

かといって、完全な「珍獣」でやっていけてるクリエイターも、ほんのすこししかいないと思います。
社会性をかなぐり捨てると、他人の力を借りてものづくりすることはできません。自分の能力とエネルギーのみで、価値のあるものを作り上げたうえ、それをガッツリお金に変えられるのは、よほど便利な凶器を兼ね備えた「珍獣」だけだと思います。
そのうえ、通りすがりの他人に「見て見て! 珍獣だよ!」と指さされることを甘受するハメになります。侮蔑、嘲笑、憐憫、嫌悪をあからさまに向けられることだってあるでしょう。

社会は人間たちが効率的に生き残るために作り上げた枠組みです。
そこにおいて「珍獣」は「お荷物」です。
だから皆に飼育の負担をかける代わりに、「珍しい見世物」というポジションを甘受するハメになります。

  • こういう見方を肯定していいとは全然おもってないです。
    多様でない社会は成長に限界があります。社会の足腰強化にともなって、それまで活躍できてなかった層が活躍できるようになってこそ、更なる発展を迎えられるのです。現時点で活躍のためのコストが高い人・そのためにうまく活躍できてない人は、未来の救世主だとも言えます。「お荷物」みたいに見下す態度は絶対のぞましくないです。

    それはそれとして活躍コストが個人間で違うのは嫌だけど事実だし、負担の偏りが不満や自己嫌悪を呼んでトラブル生みがちなのも確かで、結局は個人のうまい立ち回りが求められてしまう現実はうんこ。

だったら社会性を保ちましょうと。
他者の技術、労力、視点、意見、情熱の恩恵をうけ、段違いのモノづくりをやりましょうと。
しかしそれはそれで茨の道ではないですか。
クリエイターにとっての社会性とは要するに、自分の創作領域にどれだけ他人を踏み入らせるかに他ならなくないですか。
独自性の高い創作領域を脳内に持ってるひとは共有するだけで一苦労だし、意見のちょっとした相違すらとんでもないストレスになります。
なんでこれが通じないんだよ。なんでこれがNGなんだよ。なんでこれでOKが出るんだよ。ぜったい生じる摩擦ですよね。
話が通じることを正気と呼ぶならば、これは紛れもない狂気です。

ゆえにどうしようもなく「珍獣」になりたくなる瞬間がありませんか。

仕事中なんかあるごとに奇声あげてのたうちまわりたくなり、
自分のかわいさや、おかしさや、異常さによって有無を言わせず他者を圧倒し、唯一無二の生存ニッチを得て、生涯おもしろおかしく暮らしたいという欲望があふれ、
そのへんが叶うなら生涯珍獣動物園でうんこ垂れ流すのも悪くないとさえ思いつめ、
そのあたりで急に尊厳が反動つきでぶん戻ってきて、自分の「珍獣」成分に死にたくなり、
やめろ! おれを「珍獣を見るまなざし」でみるな!
非クリエイターのひとびと!
「わー珍獣だ、なんか芸やって!」とか
「うわっ珍獣だ! ここは社会だぞ! 珍獣園に帰れ!」とか
「やめろ! 珍獣さんはただただ珍獣として俺たちを楽しませてくれればいいんだ!」とか
何言われてもうるせえ!!!

ってなったりしませんか。
amphibianはなるんだけど。


くるしいよ


だからどうしてほしいとか、どうしますとか、そういう話じゃないです。
ただ聞いてみたい。

あなたは「社会人」と「珍獣」どっちがいい?


以上です。
いきのころうぜ。