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母になっていくはなし13(妊娠41週、ついに出産!)

2021年末、およそ一年間の不妊治療を卒業し
2022年8月、娘を出産しました。
不妊治療の門を叩いた日から
妊娠9週、母子手帳発行まで書いた不妊治療のマガジンはこちら↓


妊娠してからというもの
noteでたくさんの先輩方の妊娠・出産・育児記事を拝見したことで
準備をしたり、見通しを立てたりできているので
誰かの役にたったらいいなという思いと
自分の記録を兼ねて、妊娠10週からは
こちらのマガジンで綴っています↓

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2022年、8月。
炎天下の中、夫婦でエクステリアをDIYしながら
陣痛を待っていた前回

そして、ついに!!!!
41週0日、我が家に新しい命が誕生しました!!
今回はその様子を綴っていきます。
いつもより長文ですが、何卒お付き合いください。


◆8/5(40週6日目)

母子ともに異常なし
私の子宮口はまだ開かず
お産までもう少しかかるかもなあ
という15回目の妊婦検診を終え、帰宅。
この日も少しエクステリアの作業をして
夕食をとった後に
そのままリビングで3時間ほど
寝落ちしてしまいました。


◆8/6(41週0日目) 深夜
陣痛が始まり、病院へ

夜、リビング寝落ちから目が覚めて
寝室に移動。
眠りについてしばらくすると
陣痛が始まり、再び目が覚めました。
また前駆陣痛かな,,,と思いつつ
アプリで陣痛の間隔をはかり始めました。

時刻は2:40くらい。
いつもより鋭い痛みになってきて
遠のく様子はありません。
間隔もあっというまに短くなり
1時間後には、5分を切ることも出てきて
「これは、このまま病院かも…!」
と思い始めます。
(病院からは、移動距離も加味して
7、8分間隔になったら電話するように言われていました)

鋭い痛みは生理痛のレベルを超え
横になっているのもキツくなってきて
布団の上で四つん這いのような姿勢になっていました。
また、猛烈な便意をもよおすようになり
トイレに行ったり来たり。
ここでだんなさんを起こし
いよいよかも、と伝えます。

しばらくすると、すこし痛みが和らいで
間隔も空くようになりました。
とりあえず、この隙に一度
病院に電話することに。
状況を伝えると、もう少し様子を見ることになりました。

電話後、また横になっていると
鋭い痛みが再発。
間隔は、5分を切ったり切らなかったり。
いよいよ耐えられなくなってきたので
もう一度病院に電話。
この時点で4:30くらい。
外は明るくなってきていました。
通話中も痛みがあり、その様子が伝わったのか
病院に来てみましょう、と言ってもらえて
ついに移動することに!
病院までは車で30分。
身支度時間を考え
6:00くらいには着く旨を伝えました。

だんなさんも本格的に起床し
二人で着替えて身支度開始。
痛みに耐えながら
スーツケースに入れていなかった
デイリーなもの(化粧品や携帯、充電器、母子手帳など)を準備し
登録していた妊婦タクシーに電話。
わたわたしていたので、陣痛間隔は測っていませんでした。
(youtubeで見た出産レポ動画のみなさん、化粧してたのまじすごい。
そんな余裕、ない!!)
5:20くらいにタクシーが到着。
車内でも痛みに耐えながら
親しい友人と実家に、ラインで連絡を入れました。
「今日中に生まれるかな。結局、前駆陣痛で帰されるかな」
そんなことを考えていました。


◆8/6(41週0日目)朝
事態急変!

6:00前に病院に到着。
この日はお産ラッシュだったようで
院内では、赤ちゃんの泣き声と
妊婦さんのシャウトが飛び交い
助産師さんが、ものすごくバタバタしていました。

夫婦で個室に通され、指示された着替えを済ませ
とにかくベッドで痛みと戦う私。
助産師さんが、赤ちゃんのモニター(NST)を私のお腹に装着。
NSTは、あかちゃんの心拍音と子宮の収縮(陣痛)が数値と波形で印字される機械で
あかちゃんの状態を知ることができます。

ずっと赤ちゃんの心拍を聞きたがっていただんなさんに
やっと、生の音を聞かせられる...!と思いました。

が。
ここで事態が急変し始めます。
モニターを見ていた主人がぽつりと
「…赤ちゃん、元気ない?」
といいます。
たしかに、言われてみれば
妊婦健診の時は120〜150くらいだった心拍の数字が
陣痛が起こると80くらいに下がってる…
でも、これがどのくらいやばいのか
私たちにはわかりません。

助産師さんにその場で内診してもらうと
子宮口はまだ開いていない、とのこと。
「ああ、やっぱり分娩も時間かかるんだな…」
と思いきや
先ほどの心拍が印字された用紙を見て
「ちょっとこれは、先生に見てもらおうか…」
と助産師さん。
それまで、忙しい状況でも穏やかに接してくれていた助産師さんに
緊張感が生まれたのを感じました。

バタバタと個室を出入りする助産師さん
痛みに耐えながら、事態を理解しようとする私
元気がない赤子のモニターを見つめるだんなさん。

どのくらい時間が経ったのかわからないけれど
しばらくすると院長先生が個室に現れて
「赤ちゃんが苦しんでいるので、緊急帝王切開します」
と伝えられ
ほぼ同時に助産師さんがものすごいスピードで
わたしの左手に点滴を段取り始めました。

緊急帝王切開?
ああ、自然分娩できないんだ。
最高潮の陣痛が、どんなもんか体験したかったなー。
また腰周りを切るのかあー。
(股関節の手術と不妊治療の手術、合わせて5回目)
てかどのくらいやばいんだ?
赤ちゃんの命に関わるのか?
と、いろんな思考が巡ったのですが
わたしの口からは
「赤ちゃんが元気に出てくるなら、なんでもいいです」
という言葉が自然と出ていました。
今思えば、この瞬間
母へのステップがひとつ進んだ気がします。

だんなさんに
「立ち会いできないかもね、ごめんね」
と伝えたら
「田中ちゃん(赤子)の命が最優先だ」
と言ってくれました。

「本当は手術だから、サインとか必要なんだけど
手術後でいいかな?ほんとごめんね」
と助産師さん。
もちろんそんなものは後でOK。
家から履いてきた、むくみ対策の着圧ソックスも
そのまま手術に向かうことになりました。

「一分一秒を争う状況ですか?」
と聞いてみると
「うーん、あかちゃん苦しんでるからね、早く出してあげようね」
と優しく(オブラートにくるんだ?)返事が返ってきました。
結局、どのくらい緊急なのかはわからなかったけど
とにかく、その助産師さんの緊張感が印象的でした。


◆8/6(41週0日目)朝
いよいよ、その時!

ここからは陣痛との戦いで
意識が朦朧とする中での、記憶です。

夫婦で手術室に移動することになり
NSTを外す時
「出てくるまで頑張ってね、赤ちゃん!!」
と、助産師さんがお腹に声をかけてくれました。
その振る舞いから
ああ、やっぱり結構やばい状況なのだなと感じました。

車椅子に乗る私に
「生まれた時に撮影するから、よかったら携帯預かっていい?」
と助産師さん。
スマホを渡し、手術室について、だんなさんとはお別れ。
別れ際、めずらしくわたしの頭部をよしよしして
「がんばってこい!」と言われました。

数年前の股関節の大手術を彷彿とさせる、手術室の中。
無印良品で流れているような音楽も、聞こえてきたような。

頭にシャンプーハットのようなものをかぶり
自力であがるには少し高い、そして幅が狭い手術台にあがります。
「〇〇さん(多分助産師さんの名前)が急遽来てくれることになったから!」と
ただでさえお産ラッシュデーで忙しいなか
さらに帝王切開まで始まる助産師さんたちの会話が聞こえていました。
わたしの処置には3、4人の助産師さんがついてくださり
服を脱がされ、点滴のほか、口や指にあらゆる器具が
ものすごいスピードでついていきます。

わたしの顔の近くにいる助産師さんから
背中から麻酔を入れる旨、説明があり
狭い手術台の上で、横向きの体勢に。
背中を丸める姿勢をとるよう言われたのですが
お腹が大きいわ
陣痛は痛いわ
いろんな管が繋がってるわで
これがなかなか難しい。
助産師さんたちのきびきびした仕事から
早くばしっと決めたいのに、と焦っていた気がします。
やっと体勢が整い、背骨あたりに麻酔が入りました。
多分注射だと思うのですが、これがめっちゃ痛かった,,,!!!

仰向けに戻り、だんだんと足が痺れてきました。
わたしの眼下には青いシートが立てられ
ただただ天井を見つめる私。
「これ痛いですか?」
とお腹の前あたりに立つ先生に聞かれるも
なにも感じない。
「では、手術を始めますね」
痛みはないけど、何かお腹が普段とは違う接触をされている
下腹部に、不思議な感覚がありました。

きっと、青いシートの向こう側で
わたしのお腹はえらいことになっているんだろう,,,
赤ちゃんは大丈夫かな。
どうか無事に出てきてね。
くるしい思いさせて、ごめんね。

そればかり考えていました。

先生と助産師さんが何か会話をしながら
わたしの手術を進めてくれて
不思議な感覚がしばらく続きました。

どうやら、臍の緒の一部が強く圧迫されていたようで
赤ちゃんに酸素が届きにくい状況だったようです。
(この時、先生がお腹の状況を見て説明してくれたのですが
意識半分だったのと、声が聞こえにくくてうろ覚え。)

「もう少しだよ、お母さん頑張って!」
「すこしお腹を押しますね」
と助産師さん。
わたしのお腹上部を全力で押しながら
突然、その瞬間がやってきました。

「赤ちゃん産まれますよー!」
「産まれましたよー!!」
「お母さんよくがんばりましたー!!!」

ああ、コウノトリで何度も見たやつだ…
何も見えないけど
何も感じないけど
でも、なぜか目から涙がでました。

しばらく赤子の泣き声が聞こえず
眼下は視界が遮られているので
赤ちゃんがどんな状況なのかわからない。
その時間はものすごく不安で、とても長く感じました。

「今、赤ちゃんの手足が冷たいので
助産師があっためていますよ、ちょっと待っててね」
わたしの不安に気づいた助産師さんが、そう伝えてくれました。

しばらくすると
遠くのほうで赤子の泣き声が聞こえ
めちゃくちゃ安心しました。
そして、助産師さんがわたしの顔の横に
あかちゃんを置いてくれました。
ああ、よかった。
生きてた。
手足、ほんとに冷たいや。
ごめんね、ありがとう。

朦朧とする意識の中で
いろんな感情がどどどーっと出てきました。
その様子を、助産師さんが撮影してくれたのがこちら。


8月6日 午前7時36分。
病院に到着してから
わずか90分で、我が子は生まれました。
妊娠41週0日。
分娩もゆっくりちゃんかと思いきや
めちゃくちゃスピード出産でした。
お産って、本当に読めないものですね。

朝、お腹から出たがってくれてありがとう。
病院に行くと判断した私、えらい。
目まぐるしい状況の中で冷静でいてくれただんなさん、ありがとう。

これも助産師さんが撮っておいてくれた写真


◆8/6(41週0日目)朝
分娩直後

赤ちゃんを助産師さんに託し
安心と同時に襲ってくる吐き気に耐えながら
わたしの手術は後半戦へ。

手術が終わり、助産師さんが数名がかりで私を手術台からベッドに移し
(これいつも思うけど、ほんとすごい)
手術室を出て、入り口で待ってくれていただんなさんと再会。
一緒にすぐ横の回復室に行きました。
わたしはここから一晩、この部屋で過ごします。

しばらくすると
赤ちゃんも連れてきてもらえました。
ちょっと遅れて、希望していたカンガルーケア。
身動きとれない私の胸に
助産師さんが赤ちゃんをのせてくれて
初めておっぱいを吸わせました。

でも、管だらけのわたしは
なんかうまく抱けた感覚がなく
赤ちゃん、早く抱きたいなあ
なんて思っていたら
隣でだんなさんが赤子を抱いている!!
ず、ずるい!

さらに、胎盤と臍の緒も見せてもらいました。
(これも希望してた)
臍の緒は、先生が言っていた通り
たしかに8センチくらい、ぺちゃんこになっていた部分がありました。
胎盤はとても大きくて
この袋に赤ちゃんが入ってたのよ〜と膜も広げて見せてもらえました。
本当に臓器が出てくるのね...
わたしの胎盤さん、ほんとにお疲れ様でした。

一通りのイベントを終えて
段々とわたしもウトウト。
だんなさんに、しばし隣にいてもらったあと
個室から必要最低限のものを持ってきてもらい
この日はお別れ。
明日は最初に通された個室に戻り
通常面会(コロナ対策で最長1時間)になるそうです。
ここから痛みと闘う数日間の幕開けです...!


<つづく>




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