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ネットゲームでのトラブルって…先生が解決するの?-責任の所在について-

---------------------(結論)----------------------

(1)家庭でのネットゲーム使用制限に関しては親に責任があり、学校は啓発に留まる。

(2)(現に目の前に悲しい思いをしている子どもがいるという意味で)ネットゲームによって生じた子どもたちのトラブル解決の一端を教師が担う責務がある。

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(1)家庭でのネットゲームの制限に関しては親に責任があり、学校は保護者・児童への啓発に留まる。


 香川県では今年1月、「ネット・ゲーム依存症対策条例」(仮称)の素案を公開した。この条例はまだ制定まで至っていない(?)が、ゲーム依存が社会的に問題になりつつあることを世間に改めて知らしめることとなった。そのような条例がなければ、保護者に対して「制限を設けるように」という文言は使うことができない。学校ができることは、あくまで現状を知らせて、このような状況が続くとどうなるのかという啓発に留まる。

(2)(現に目の前に悲しい思いをしている子どもがいるという意味で)ネットゲームによって生じた子どもたちのトラブル解決の一端を教師が担う責務がある。


 教師の仕事は、対人職の極みといえる。感情労働とも言われ、生身の「人」を扱う仕事である。学校で起こる様々なトラブルを通して子どもたちの成長をサポートする。子どもたちの悲しみ、悩みに寄り添う。よって、それがたとえネットで生じたものであっても悲しみの感情が子どもたちにあれば寄り添い、解決に導くのが我々の仕事である。その意味において、教員がその一端を担うことに異論はないだろう。

 しかし、先生方がつかえる時間は限られている。何かに時間を割けば、その他につかえる時間は減る。したがって、より子どもたちの成長に関わることに時間をつかうことが、教師という職業の労働生産性をあげることとなる。

 現状はどうか。保護者は、親の監督下において、対象年齢が15歳以上にも関わらず、「便利だから」という理由で子どもにオンラインゲームをさせる。外遊びが単にオンラインに移ったと考えるが、実際子どもはゲームで得られる快楽に依存し、〈ゲーム障害〉と言われるような状況となる。コミュニケーションツールとして「いいこと」のように思う親もいるようだが、コミュニケーション能力も未熟なまま行うのでプレイするため、トラブルが起き「オンラインのコミュニケーションが、オフラインのコミュニケーション(学校)」に持ち込まれる。

 そして、そのトラブルを学校の教師がじっくり話を聞き、ハブとなることで問題を解決に導こうとするが、オンラインであるため状況が十分に把握できず、聞き取りに時間がかかる。また、時系列でとらえるのも難しかったり、その状況を再現したりすることも困難である。さらに、トラブルの原因が過去のオンライン上のトラブルに起因することも多く、その過去の事案について聞き取る必要があるため、指導に慎重にならざるを得ない。

 恐らく教員の方々の本心は、一切のオンライン上のトラブルには関わりたくないと気持ちだろう。自分たちの仕事ではないとさえ思う部分もあるに違いない。労力と時間を無駄であるとも。さらに全てを十分に聞き取ることができず指導してしまうリスクもある。

 しかし、目の前にいるのは実際に悲しい思いをしている子どもたちである。悲しい思いをしている子どもがいれば、話を聞き、最大限のサポートをする。完全なる二律背反の状況。親の責務とは何か。学校は何でも屋ではない。啓発という悠長な生易しいものではない状況なのかもしれない。
 
 これは個人で対応する問題ではなく、学校、市、県、国全体として対応しなければならない。現に、中国と韓国では国家レベルで未成年のゲーム使用時間の制限をしている(中国は「通知」)。

 おそらく小中高に限らず全国の多くの教員が「授業をさせてほしい」と心の内で嘆きながら、親が「便利」だからという理由で与えたネットゲームでの人間関係で苦しむどもたちに寄り添い、問題を解決していることと思う。

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