しあわせを、ねがってねがってやまない気持ちはたぶん愛に似たかたち。
縁側。休日。コーヒーの香り。
マグカップから視線をあげると、青空が広がっている。
田んぼも、高層ビルもなく、でこぼこにならぶ屋根と、合間をぬって走る車。
隣りにいる母親も、同じ景色を見ていたのでしょうか。
「ほんと、いいながめだよね」
と、つぶやくので、
「わたしも今おんなじこと考えてた」
と笑って返します。
ときどき、縁側でコーヒーを飲みながらおしゃべりします。
話題は、とりとめのないこと。
でも家の中よりも、ちょっとあいまいな話になる。
最近考えたこと、そうして気づいたこと。
よくnoteに書くような、エッセイみたいな話がぽろっとでてきます。
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昔から、母親はよく考えたことを話してくれました。
日常での気づき、最近考えたこと、などです。
わたしは、わからないなりにも話を聞くのが好きでした。
話の内容よりも、
ふたりきりのときにだけ話してくれる、そんな特別感が好きだったのかもしれません。
わたしがぐるぐると考えるようになってからは、おたがいに考えたことを話すようになりました。
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考えたこと、気づいたことだけでなく、なやみごとを聞いてくれるのも、母親です。
わたしは何かに迷っているとき、よく母親に聞いてもらいます。
ふしぎなことに、母親に話すと、考えていることが整理されるのです。
話の途中でアドバイスをはさまず、フラットな関係でただ聞いてくれるからだと思います。
思っていることをひとつずつ聞いてもらう。
すると、埋もれていた答えがだんだん見えてきて、最後には確信に変わります。
部屋をはじから片づけていたら、探しものがでてくる感覚でしょうか。
大学での部活を辞めると言ったときも、
休部して考えなおして、やっぱり続けると宣言したときも。
ただただ、わたしの話を聞いてくれました。
そうして、「いいと思うよ」といつでも背中を押してくれました。
母親はいつだって心強すぎる味方です。
今まで、母親からたくさんの言葉を、時間を、もらってきました。
だからこそ、これからは自分が楽しむために、たくさん時間を使ってほしい。
そんなことを思います。
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縁側では、のんびりとした時間が流れていました。
すずめの鳴き声と、電車の走る音。
わたしも母親も、まちの音をぼんやり聞いていました。
「わたしはさ、おかあが楽しく幸せであってほしいんよ」
初めて、そんなことを口にしました。
今までは学生で、来年からは社会人。
わたし自身は変わらないけれど、やっぱり境界線にいるような気がする。
そんな心に、浮かんだねがいごと。
楽しく幸せに過ごしてほしい。
そう、母親に伝えました。
返事は、「それは私もおんなじよ」でした。
わたしが、母親に幸せであってほしいと願うように、
母親もわたしの幸せを思ってくれている。
そのことに、初めて気がつきました。
当たり前のことじゃないのに、近すぎて、見えていなかったんだと思います。
もしも、思いとか気持ちとか、あいまいなものにもかたちがあるのなら、
わたし達のねがいごとは、たぶん同じかたちをしている。
そのことに、いま気づけてよかったです。
これからも、同じかたちでありますように。
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見出し画像は、清世さんに描いていただきました!!!
本当にありがとうございます…!!!
この記事だけでなく、ほかの記事からもわたしと母親の関係をくみ取って、すてきな絵にしてくれました。
なんか、こんなに幸せでいいのかなってくらいうれしいです。
清世さん、ありがとうございます!!
たいしたものはお返しできませんが、全力でお礼します!! 読んでくださり、ありがとうございます!