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はぐれたのが、私でよかった。

忘れられない先生。

この言葉を見たとき、真っ先に思い出したのは中学のW先生だ。技術・家庭科の先生で、優しい目元と、目尻の笑いじわをよく覚えている。

話し方が関西寄りで、
「先生関西弁だねー」って私達が言うと、
「ちゃうちゃう、大学の寮で同じ部屋だったやつからうつっただけやねん」
とやっぱり関西風のイントネーションで答える。

いつかの授業で、「なんのために生きるのか」という話をしてくれた。
先生自身は「最期に笑って死ぬため」だと言った。


中学生の私に、いくつもの琴線に触れる話をしてくれたW先生。

そんなW先生とは、鮮明に心に残っている思い出がある。
修学旅行の思い出だ。



私達の学校は、修学旅行で東京に行く。
1日目は国会議事堂を見学し、その後ディズニーランドでめいっぱい楽しむ。

今思い出しても楽しい記憶がたくさん。
アトラクションの待ち時間で、「カタカナ語を言ったら負けゲーム」を開催し、

「じゃあ今からね。スタート!」
「「はい負けー!」」

と大笑いした覚えがある。


そして、2日目は班ごとに自由行動。
5人班で行きたいところを出し合い、事前に計画をたてて観光する。

携帯電話を持っていくのは禁止。(なんと当時はガラケー!)
電車の乗り換えをしおりに書き込み、その通りに回っていく。

順調に観光も終わり、あとは集合場所の最寄り駅に向かうだけ。
最寄り駅へ向かう電車に乗る時、ちょっとしたアクシデントが起こった。

「この電車だよねー」

と皆で乗り込んだ電車。
ところが、車内の案内を見ると、どうやら行きたい駅に向かわない。

「え、これ違うじゃん!!」

慌てる声と、発車のアナウンスが重なる。
扉に近い子から、大急ぎでホームに降りる中、


私は1人、電車に取り残された。


あ、と思って。閉まる扉に反射で手を突っ込むも、扉は開こうとしない。
諦めて扉に挟まる手を引っ込め、ホームの友達が遠のくのを見送った。

とりあえず、さっきの駅に戻ろう。

一人ぼっちの私は、そのことだけを考えていた。
不安に負けないように心をぎゅっと強ばらせる。
落ち着いているふりをする。

ひとまず次の駅で降り、反対方向の電車に乗って、皆とはぐれた駅に戻った。

皆はまだいるのだろうか、集合場所に行っちゃっただろうか。

ホームを歩き、班の皆を探していたその時、


W先生が、私を見つけてくれた。


見上げると、よかったよかったと優しく笑う先生。
その姿を見た途端、心の緊張が一気にほぐれて、泣きそうになってしまった。

安堵と強がりが絶妙なバランスで混ざりあって、

「はぐれたのが、私でよかったです」

そんな言葉が転がり出た。

あの時の気持ちは今でも覚えているし、未だに言葉にできない。

W先生に、ちゃんと見つけてもらえる私がはぐれてよかった。

今の私には、こんな言葉にするのが精いっぱいだ。
いつか言葉にできるだろうか。それとも、しなくてもいいのだろうか。



集合場所まで向かう電車で、W先生に「将来は何がしたい?」と聞かれた。
英語の勉強が好きだった私は、「英語の仕事がしたい」と答える。

「英語で、どんなことをしたいの?」

そう聞かれた時、私は返事に困ってしまった。
今でも、私はやりたいことが分からないままだ。

 

今、W先生は新しくできた学校の校長先生をしているらしい。

地域の小中学校を合併した小中一貫校。
新しい取り組みだけど、W先生が校長先生ならいい学校になるだろうなと思う。

どうにか連絡をとって、会いに行きたい。
残念ながら中学の時から身長は伸びていないけれど、
「大きなったなあ」と関西風のイントネーションで言われたい。

そんな、私の忘れられない先生。


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