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気分がおちこんだら読むnote。

どうしようもないほどに落ち込んだ気分は、文字通りどうしようもない。手に負えない。

ただ、落ち込んだ気分を忘れることならできると知りました。


先週は雨のせいもあるのか、気持ちが不安定な日が続いていました。
物悲しくなったり、極端に落ち込んでしまったり。
1週間分の楽しい感情と悲しい感情を比べると、悲しい感情の方が多かったように感じます。

そういう状態は、これまでにもちょくちょくありました。
うまくは言えないけれど、まっくらな穴の底に落ちてしまって、はいあがる気力なんてなくて、ただ横たわっていたい気分。
そんな気分になりがちな期間がたまにあります。


落ち込んでいる期間はちょっとつらい。
けれど救いなのは、いつまでも穴の底にいなくていいということ。
そのうち脱出できると知っていること。

どんなにまっくらでも、何かの拍子にすっと光が差し込む。
ぱちんと、スイッチが入る感覚が身体の中で起きて、途端に大丈夫を確信する。

そこからは早い。
もう大丈夫と直感したら、のっしのっしと穴から這い上がり、平気な顔でまた日常に戻る。

こんな感じを繰り返しています。
穴の深さも、大丈夫になるまでの時間もばらばらだけど、たいていこんなパターン。

だから、気分が落ちている時は、気分が上がるときまで待っています。

無理に上げようとしても上がらないから、
落ち込んだ気分を引きずりながら過ごすのです。


こんな風に、落ち込んだ気分を、真正面から受け止めるのが正解だと思っていました。

でも、もしかしたら違うかもしれない。

私は、悲しい気持ちばかり見ているのかもしれない。
そうして、自分でどんどん悲しみにはまっているのかもしれない。

そう気づかせてくれたのは、心から安心できる人と過ごした時間でした。


たった半日の話。

心から安心できる人のそばで、
ペットの愛おしい行動ばかりが集まったYouTubeを見て、
肉汁たっぷりで食べにくいけどおいしいハンバーガーを食べて。

それはあまりにもしあわせな時間で、
落ち込んでばかりいた気持ちをすっかり忘れられる時間でした。


自分の状態を知るのが大事だと、よく聞きます。
でも、落ち込んでいる自分の心模様を観察しだすと、ますます悲しい気持ちで手一杯になってしまう。

でも悲しさから少し目をそらせば、
案外他のもの、たとえば楽しいこととか、しあわせとか、そういうやさしいものに気づく。

そう思うと、私に必要なのは、私の気持ちが弱っているのを知ったうえで、明るい方へ手を引いてくれる人なのかもしれません。

一緒に面白い動画を見たり、おいしいものを食べたり、この先行ってみたい場所を話したり。
明るい感情を共有して、悲しい感情の割合を少しでも小さくしてくれる人。

落ち込んでしまう期間だから、悲しくても仕方ない。
ただやり過ごすしかできないと思っていた私にとって、ちょっとした救いのような気づきでした。


きっとまた、どうしようもなく気分が落ち込む日も来ると思う。
それは、しかたない。

だけど、そんなときこそ、

心から安心できるような、

かなしいことなんて、考えている暇のない場所へ。



よその家をたずねるのです。人に会いにいくのです。
一日じゅう、おしゃべりをして、ゆかいにさわいで、いそがしく、うちから出たりはいったりして、
うすきみのわるいことなんて、考えているひまのない人たちに、会いにいくのです。

「ムーミン谷の十一月」より





たいしたものはお返しできませんが、全力でお礼します!! 読んでくださり、ありがとうございます!