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【小説】恋愛first strike

【恋愛first strike】
お題:『(そんな不意打ち、ずるくないですか)』
https://shindanmaker.com/392860

 もうすぐ彼女の誕生日だ。
 彼女、という呼び方は便宜上のもので、正確には僕の片想い相手、だけれど。僕の片想いはとりあえず置いておいて、いつも頑張っている彼女にプレゼントをあげたいと思っていた。
 彼女は僕の職場へ新卒で配属された新人だった。半年間の外部研修を経て、僕達のチームへやってきた。元々成績優秀、外部研修でも他の新人と比べてかなり良い結果を残していたという。おまけに、とても可愛い。最後のは余計だが、才色兼備とはよく言ったものだと思った。そんな彼女だが、己の能力を鼻に掛けず、また驕る事もしない真面目な性格だったので、他の先輩からも評判が良かった。僕も、彼女と直接やり取りするまでは「良く出来る期待の新人」くらいにしか思っていなかった。
 それがある日。
「あれ、まだ残っているの?」
 消灯時間をとっくに過ぎたオフィスに彼女の姿を認めて、僕は思わず声を掛けた。他の社員の姿はなく、別室で作業していた僕と彼女二人きりのようだった。
「あ、はい。そろそろ帰ります」
 残業している事を咎められたと思ったのか、慌てて書類をまとめようとする彼女を制す。彼女のデスクの上には沢山の書類が散乱していて、ディスプレイの光に照らされたそれには、いくつかマーカーで線が引かれていた。
「これ、マニュアル?」
「はい、そうです。エンドユーザー向けの資料ですが、自分も目を通しておきたくて」
「でもこれ、もう研修で散々叩き込まれたやつじゃ?」
 すると、彼女は少し穏やかに目を細めてマニュアルを手に取った。
「確かに、内容は理解しています。ただ、私が担当しているエンドユーザーは一人一人捉え方が違うので。ああ、内容の理解度ではなく」
「うん」
「一度ご説明差し上げるのが慣例ですから、その際にどう説明したら齟齬なくお伝え出来るのか、ポイントと押さえたくて」
「それを一人一人にやっていたら大変じゃない? それに、齟齬が生まれるようなマニュアルを見直すべきだと思うけど」
 つい彼女のやろうとしている事に対して否定から入ってしまって、僕は口を押さえた。賢い彼女の事なので、何の考えも無しにやっている訳ではないと、先にそう思うべきだった。ばつが悪くなって彼女を見遣ると、彼女は嫌な顔一つせず、むしろ真面目な顔で首肯するではないか。
「先輩の仰る通りです。残業してまでやるべき事なのかも、自分ではまだ判断に迷っています。ですが、これらのフィードバックを受けてマニュアルがブラッシュアップされれば、よりエンドユーザーの満足度は上がると思います。新人の私がやるべきではないかも知れませんが」
「いや、そんな事」僕はかぶりを振った。「僕らは何度もこれを見ているから、気付きの機会が減っているのは確かなんだ。いい事だと思うよ」
 すると、彼女はパッと顔を明るくして嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
 そうやって笑う彼女の顔を見て、僕は恋に落ちたのだと思った。
 自分でもそんな事あるか? と自問自答するが、何度考えてもそれがきっかけだったと思ったし、何でもそつなくこなすと勝手に思っていた彼女が、実は裏で色々考えて努力していた、なんて。ありきたりと言われたらそれまでな、けれど陥りやすいギャップによる胸の高鳴りを、どうにも抑えられなかった。
 そうして、時折彼女と最終退社を何度か争いながら——彼女の事が好きになっていた。
 そんな彼女にいきなりプレゼントをあげたら引かれるだろうか。彼女の誕生日は、その残業の日々の中で偶然知った。知ったからには何もしないのも、という気持ちが二割、労いの気持ちが五割、残りが単純な好意。なので、引かれたらそれはそれで結構悲しい。ので。
「あのさ」
 彼女が残業をしているのを見掛けて、僕は声を掛けた。彼女は顔を上げて、疲れているだろうに明るい声で「何でしょうか」と答える。
「今度、ゆ、友人に」緊張で噛んでしまったが、構わず続ける。「誕生日プレゼントを、しようと思って」
「素敵ですね、どんなものを?」
「ええと」それとなく彼女の隣の空いている席に座る。
「まだ決めていなくて。君だったらどんなものが嬉しい?」
 何だこれ。わざとらしすぎる。あまりのバレバレっぷりに我ながら呆れつつ、しかし彼女が真剣な面持ちで考えている様子だったので、とりあえず黙って待ってみる。暫し考えた後、彼女は何かを思い出すように目を細めた。
「親しい間柄の方から頂くのなら何だって嬉しいですし、そうですね。今までで一番嬉しかったのは、両親が私の生まれ年のワインをくれた時でしょうか。大切に育ててくれた事と、その年代物のワインを比べて嬉しくなりました」
「生まれ年の、か」
 記念になるようなものが嬉しい、って事だろうか。他にも何かあれば、そう聞き掛けた時。
「先輩は誕生日プレゼント、何がいいですか?」
「はぁ?!」
 思わず声を上げる。彼女が一瞬困ったような顔をしたので、慌ててかぶりを振る。
「ちが、そうじゃなくて、嫌じゃなくて! むしろ嬉しいんだけど、何で」
「先輩にはいつもお世話になっていますから、そのお礼です。先輩も誕生日近かったですよね?」
 頷く。頷くが、これじゃあ彼女に先を越されてしまう。
(そんな不意打ち、ずるくない?)
 彼女から聞き出そうとしたのに、逆に自分の方が気を遣われてしまうなんて。答えあぐねている間に、彼女は荷物をまとめてデスクの引き出しへしまった。
「明日までに考えておいて下さいね」
 そう言って立ち上がり、ニッコリと微笑む彼女。
「最終退社、よろしくお願いします」
 失礼します、と最後に付け加えて、彼女はオフィスを後にした。残された俺は、そんな彼女の後ろ姿を見送ってから、ゆるゆると頭を抱えた。
「多分、バレてるわ」
 誰もいないオフィス内で独りごちる。自分の見え透いた嘘はもう仕方ないとして、ええと。誕生日プレゼント。どうしよう、不意打ち過ぎて何も考えられない。
 とりあえず、明日までに考えよう。そう思い直し、俺は立ち上がった。
 この先の事は、今はちょっと考えられなかった。

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