無料で百合を読もうとする乞食の戯言讃歌【踊り場にスカートが鳴る 1/2】

百合が読みたい。
私は四六時中そう思っている。

しかし、百合を読むには金と時間が要る。

我々は良い作品に会遇するために、出来るだけ多くの作品を読み漁さらねばならない。

依然金と時間が必要である。

そこで我々は如何にすべきか。

名答しよう。
作品に優先順位をつけるべきである。

まず様々な作品に浅く触れてみて、その中で自分の琴線に触れた作品に時間と金を十分に充てる。
そうするための場が、我々には設けられているではないか。

そう、「試し読み」ページに違いない。

私は試し読みを最も健全かつ効果的に利用せんと決意した。

試しまくらん、読みまくらん。

「無料で百合を読もうとする乞食の戯言讃歌」は、そういった意図で始まったという訳である。

『踊り場にスカートが鳴る』という作品を、私だけが記念すべき初回で取り上げようと思う。

この作品に関する事前情報は一つとして持ち合わせていない。
完全なるミリしらである。

『百合姫』の作品紹介ページを物色し、その美しい表紙と正統派百合感あふれるタイトルに惹かれたのだ。

以下は、1、2話を読んだ感想文である。


既読の方々は引き続き、未読の方々は今から『一迅プラス』から試し読みページで一度目を通してからお読みいただきたい。https://ichijin-plus.com/comics/2417154326588



では、早速。



「たとえば私は見ての通り 男役でしょ」
「似合わないことをするのはもう諦めた "合う役"をしていたほうが傷つかずに済むのを知ったから」


嗚呼、辛い。

いずれも主人公・の台詞であるが、なんと暴力的な慎ましさであろうか。

(1、2話時点で)ストーリーは彼女の「パートナーとしてダンスをしたい」という心情と「自分は自分の役割りに就かねばならない」という心情の葛藤を中心として展開されていく。

社交ダンスで「男役」を担う主人公がペアの「女役」である紫苑から解散を切り出され、新たなペアとして「男役」に固執する鳥羽見と出会い、再び自身の「やりたいこととすべきこと」に向き合っていく。

この物語の主人公の葛藤は、決して特別なものではない。

我々は生活の中で、彼女と同じように様々な葛藤と妥協を繰り返しているのではなかろうか。

『友人といまいち馬が合わないが、独りにはなりたくない』

『希望の業務ではないが、金を稼がなくてはならない』

我々はちょっとした違和感を甘受して、より悪い未来から遠ざかろうと足掻いている。
一般的な防御反応である。

どうして彼女ばかりを「悲劇的」な人物として認識できようか。

彼女はまさに多くの読者の写しであるに違いない。


「世の中には好きな自分を表現している人がたくさんいて 自分もそういう人が好き」

「でもどうして自分のことになると 受け入れられないんだろうなあ……」


これもまた、創作に特有の「夢」を語るシーンではない。
彼女ほど純粋な青春群像を背景にせずとも、我々は生きる中で同じような願望を抱いては、水面にはじける水泡のように霧消させている。

馬鹿げた考えは辞めよう、と。

そこに目をつむれば楽しいことはいくらでもある、と。



陽光を反射させる、柔らかく艶やかな髪。
律された拍子に乗せる乙女たちの社交ダンス。


格調高くハイソに描かれた世界観が映し出すのは、意外にも我々のよく知る「現実」である。

(感想は2に続く)


https://note.com/fresnel_lens/n/n9a6bd5cb0c6e

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