見出し画像

偶然と必然。

 大学5年生の時に、広島から東京に出てきて、3年になろうとしている。
右も左もわからない東京でがむしゃらに働いていたように思う。当時は、就活の最中だったし、大企業に入ることを選ばなかったことの反動で、「自分の志を失わずに力をつけたい」という気持ちを強く持っていたように思う。
 1年目は現場でイベントを運営すること、Web制作のディレクション、メディアの運営、営業などいろんなことを好き勝手やらせてもらっていた。自分の未熟さに向き合いながら、頑張っていたように思う。暮らしも吉祥寺のシェアハウスから、六本木のオフィスに通った。オフィスが自由が丘に変わってからは、学芸大学のシェアハウスに暮らしていた。
 2年目は一からテレアポしていた笑 誰もいないオフィスで毎日電話していた。何度会社を辞めようと思ったことやら。ただその当時カメラメーカーのイベント運営を任され、一流の代理店の方と仕事するのがすごく勉強になっていたし、クライアントやユーザーから喜んでもらえることがやりがいだったと思う。その後も社長とほぼ二人で全案件の運営をしていた。今思うとよくやっていたなと思う。
 3年目はコロナの打撃がすごかった。2月くらいからイベントが中止になり始め、本当に仕事がなかった。リモートワークで、ひたすらアポリストを作って営業メールを送付。なんて楽しくないんだろうと思った。そんな頃、おもむろに本を読んでいて「熱海の奇跡」という本に読み入った。どうやら、社会人塾に通われていたみたいで、興味を持って5月頃その塾に応募してみた。
 7月ごろから少しずつ案件が動き出し、また国からの補助金申請が一気に始まり、急に忙しくなった。コロナで失われたやりがいを仕事で得たいと必死に営業をやった。でも案件が決まってもそんな会社から見返りがある訳でもなく、自分もそんなに楽しくなくて、、、、、。あれ、、何のために、誰のために仕事をしてるんだっけなど考え始めてると、仕事がどんどんストレスになって、気がつけば仕事のときに吐き気が止まらない状態になっていた。そこから1週間休んだ。この頃は最悪の気分だったな。
 でも今思うと、それをきっかけに会社を第一に考えなくなった。なんか自分のやりがいとか生きがいって会社で満たせないと思ったし、満たす場所でもないんだなとやっと気づいた。それまで仕事のやりがいが自分の成長に繋がっている実感があったが、営業の数字をあげるだけの毎日に何もやりがいを感じず、モチベーションが下がり、成長も止まる。そんな悪循環に陥ったと思う。だから逆に会社は会社として割り切り、「会社以外の場所で自分のやりがいを満たしていこう」と思うようになった。それが塾だった。
多様な社会人が集まり、真剣に自分の心を開く体験が、何か忘れかけていた感覚が呼び覚まされてきた気がした。
 そしてその中で、本当に自分がやりたいことは、「自分の故郷愛媛と、当事者でもある東京の若手会社員をつなぎ、地域資源を未来に発展させていくと同時に、若者を元気にしていくこと」だと強く思ってきた。
 だから、東京で来年以降働く選択肢は捨て、愛媛に拠点を移すことにした。もともと26歳までには自分で会社を作りたいと考えていて、ちょうど後半年になった。昔から持っていたそのビジョンに予想し得ないコロナ、体調不良、社会人塾への入塾が見事に繋がってきていて、偶然なのか必然なのか、不思議な感じがする。正直本当に本当にこれまで苦しかったけど、自分が向かうべき方向性にちゃんと向かっているようなので、必要な苦しみだったとして前向きに受け入れていこうと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?