闘病記(26)そうだ!相談員さんに相談してみよう。
電話口に待ち人が出てくれるまでの間、どんなふうに時間を使っているだろうか?メモ用紙から終わったタスクを消していったり、意味もなくボールペンの後の部分をノックしてみたり。なんにせよ、ゆったりと過ごしているとは言えなさそうだ。自分の場合も、発病する前、仕事をしていた頃はそうだった。意味なくテーブルの上で指をせわしなく動かし、爪の先で音を立てていた。今でも、「イライラ」とまではいかなくとも、ゆったりとは言い難い気持ちで時間をやり過ごしている。
しかし、自分には1箇所だけあるのだ。「電話をかけ始めてからかけ終えるまで、ゆっくりとやさしい時間が流れる場所」が。(本当は、誰にも教えたくないのだ。)その場所とは、お世話になっているリハビリテーション病院の相談室(支援室)。
ここは、どなたが電話に出て下さっても気持ちの良い対応をしてくれる。中でも、自分の担当相談員であるSさんは、
「大変お待たせいたしました。お電話〇〇にお変わりいたしました。」
の声を聞くと、なんとなく体中がα波に包まれたような気持ちになり、優しい気分になれる。待っている間の時間も、少しワクワク、そわそわしてしまうのだ。今日は、そんなチャーミングな声と話し方を持つ相談員Sさんのお話。
初めてお会いしたのは、救命救急病棟からリハビリ病院へと転院した日のことだった。最初に、担当主治医が紹介され、担当看護師、担当介護士が紹介された。そして「相談員の〇〇です。」と名乗っていただいたのだが自分の頭の中は「??一体、何の相談をするんだろうか?病気の事は主治医に、入院生活の事は介護士や看護師に相談するとして、相談員さんに相談する内容ってなんだろう?」とぼんやり考えていた。早朝に起きての移動で頭が疲れていたのかもしれない。最初の印象は、「何をする人だろうか?」といったものだった。
転院してからしばらくの間、食べることも眠ることもできず、突然発熱に悩まされ、リハビリをしているにもかかわらず低下していく利き腕の機能に絶望し、辛いだけの日々が続いた。そんな中、Sさんは時折自分の病室を訪れ、
「ご体調はいかがですか?」
とは、優しく声をかけてくれた。
「大丈夫ですよ。」
と、元気で前向きな入院患者を装って話し始めるのだが、知らず知らずのうちに、あまり口にできないストレスや不安、ときには不満等についてもSさんに話してしまっていた。それはとても不思議な時間だった。話しているうちに、散らかっていた頭の中がすっきりと整理され、それまで言葉にしたことがなかった思いが、わかりやすい言葉となってなめらかに口をついて出た。そのたび、自分の中では「あぁ、自分はこんなことを考えていたのか。」と言う気づきがあり、その気づきが、時としてわけのわからない漠然とした不安から救ってくれた。
転院からしばらくして生活が落ち着き始めた頃、自分は「お金」のことが急に心配になり始めた。当時受給していた傷病手当がいつまで続くか分からなかったし、その金額がどのようになるのかも知らなかった。もし障害年金を受け取ることができたとしてそれがどの程度の額になるのかも知らなかった。Sさんに相談したところ、
「お金の事はとても大切なことですもんね。」
と、非常にわかりやすシミュレーションをしてきてくれた。その資料は、約2年間にわたるもので目が見えづらい自分のことも考慮しとても見やすく作ってくれていた。その他にも、障害者手帳の事、他県での入院の事、様々な支援を受ける際の注意事項等、相談した内容は多岐にわたる。「何を相談する人だろうか。??」どころではなく、自分の入院生活に欠かすことのできない人となっていた。Sさんの持つ声そのもののやさしさにも助けられたように思う。
退院をした現在でも、相談に乗ってもらうことが多い。自分の父などはわからないことがあると、「あー、無理だ。これはSさんに相談だな。」と、スマートフォンをいじり始める。
「案外、声が聞きたいだけなんじゃないの?」と思うことがあるのだがまだ言わないでいる。
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