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作品が溶け込み、誰かの「一部」になる

INTERVIEW by RYOTARO OKAZAKI,MOMOKA YAMAGUCHI
TEXT by MOMOKA YAMAGUCHI

※フリーペーパーSTAR*15号掲載記事より

 武 才(タケ タエ)さんは、岡山や倉敷を中心に活動する銅版画家だ。作品中に漂う記号たちーキャンパス中をうねる線、子供の靴下や手、窓ーによって見る人の記憶は触発され、心が揺さぶられていく。

 彼女にはこの世界がどのように映っているのか。制作をとおして、空気感とは何か、アートが与える社会への影響について聞く。

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Q:銅版画家を目指した経緯について教えて下さい

 私と銅版画との出会いは大学生のときでした。高校生のときは本当に無気力で、勉強もしたくなければ学校にも行きたくもない、かといって何かやりたいこともないーー絵を描くことは子供の頃から好きでしたが、絵が仕事になることを知らず、進路選択のときに「絵が好きなら、絵を描く人になれば良い」と先生に勧められ、そのとき初めて絵の仕事や芸術大学の存在を知りました。高校時代は油絵を描いていたのですが、併願受験で合格した版画専攻のある大学へ進学することをきっかけに、版画に興味を持ちました。

Q:油絵と版画では制作する面でどのような違いがありましたか

 油絵と版画の違いは、本人の考えがどこまで作品に映し出せるのか、やり直しができるかどうかだと思っています。

 油絵は線の強弱が自分の手の動きによって作られ、色も自由に重ねられ、自分の思いのままに作品を描くことができますが、銅版画は腐食液で銅板を腐らせ版を作ります。そのため液と周囲の温度や紙の状態によって思いもよらない形になり、やり直しもあまりできません。

 油絵では体験したことがない、自分の考えとは離れたところで起こる偶然性と不可逆性、腐食液のリスクを伴いながら絵を作る過程に惹かれていき今に至ります。

Q:作品を作るうえでのテーマや意識されていることはありますか

「誰かに向けて」作るというより、作ることで自分の心の整理や消化をしています。子供の頃から不安で眠れなくなることがあったのですが、気持ちを絵にすることで落ち着くようになったため、当時は寝る前に必ず絵を描いていました。昔と同じように今でも心に問いかけながら作品を作っています。

 例えば大学生の頃から作品に「手」が出てくるようになるのですが、これは東京にいた時、大きな地震によって起きた福島の原発事故がきっかけでした。事故について知るのと同じ時期にチェルノブイリの事故と奇形児の存在について知り、さらに調べていくと、とある少数民族の慣習が目に止まりました。村では子供が生まれた時、母親は子供を育てるか、森の中に捨てるか選ぶことができるのだそうです。母親が赤ちゃんの運命を握っている。神秘的でもあり恐怖でもありました。

 この漠然とした感情と命という衝撃的な情報の整理をしたい、今の自分は何を思うかー綯い交ぜとなった感情すべてが私の自然体であり、その心を銅版が「手」という形に映し出したのです。

Q:自分ではない自分がいるような、意識と心のずれは感じたことがありますか。

 制作するとき、むしろ意識を一回引き離し下書きをせず自然な手の流れで描いているので、出来上がった自分の心を一歩引いて見たときに初めて自分の精神状態を知ることがあります。ただし腐食液や版、紙など自分では操れない要素が制作のなかにはさまれるので、刷り上がりが分からないからこそ逆に安心して描くことができるのだと思います。

 また、制作で昔使った古い銅版を使うときは当時を思い出しながら今の自分と昔の自分とを繫ぎ留めているような気がします。

Q:アーティストと呼ばれることや、アートがもつ社会への影響についてどのように思われますか

 自分の場合、銅版画家であるという意識で描いておらず、自分の心を整理する手段として描いているのでアーティストや表現者と言われると身構えてしまいますね。ですが作らないと自分の存在を見てもらえないという思いもあり、一個人が進んでやっているということを誰かに気づいてもらう、その誰かの心に私の作品が引っかかり関われたら良いと思っています。また、私にとって作品を買ってもらうということはその人の生活の一部になれるということで、これからの時間を一緒に過ごせるということにやりがいを感じています。

 また、作品展示をすることも重要だと思っています。作っている間は無意識、刷り上がりを見ても自分では心の不安定さを感じてしまう時もあるのですが、作品を誰かに見てもらうことで救われるように感じます。例えば、母と子をテーマにした絵を描いたとき、私は生きることへの疑問や不安を描いたのですが、見ていた方は親子の愛情だね、神秘的なものを感じるよと仰ってくれたんです。

 私にとっては負の感情から生まれたものをその人は前向きに見てくれた。前向きな考え方生き方があるからこそそう見えたんだと思います。その生き方に触れられたことがすごく嬉しかったです。

 絵を買う需要は昔より低くなっていますが、アートの存在がもっと人々の生活の身近なものになってほしいなと思います。部屋の隅にでも良いので何処かに飾っていただいて、日常に自分の絵が溶け込み誰かの一部になれたら良いですね。

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 物事の裏で無限に広がる問は、濃い霧となり私たちを包みこむ。だからこそ表現をとおして今に杭をうち、思考をありのままに出して「整理する」。受け入れ難いネガティブな部分も刷るという工程を挟むことで俯瞰して見ることができる。
 作者と他者、過去と今が作品を中心に交差する。そこに必然性はなく、出会いをとおし互いの磁場が共振した時はじめて世界の中に誰かを感じとる。【アート】の社会的影響力は個人と個人の交差から始まり、他者と生きるとは他者の思考が自分のひとつとなり、生きるということなのだ。

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PROFILE / TAE TAKE
武 才 (たけ たえ)
2013年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻 卒業。
     兵庫県西宮市 銅版画工房アトリエ凹凸にて制作。
2016年 岡山県に帰郷し、岡山県倉敷市 阿知版画工房にて制作。
グループ展・個展など、岡山や倉敷を中心に活動。
作品取り扱いギャラリー:ビョルン倉敷店。

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