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私の最も未熟で弱くて脆いところ

こんな自分が心底嫌だし、そんな嫌悪感をさらけ出すのは美しくないなぁと思って表現してこなかったけど、
思い切って書きたいなぁという部分を今日は綴ってみます。ちょい長いよ~(笑)


私、自分の人生を生きることに対して真剣に考えない人、自分にとって大事な課題から逃げ続ける人のことが、すっごい嫌いなんです。

あと「これをやんなきゃ前に進めん」って自分で分かってて、自己分析も死ぬほどしてて、でも言うだけで行動に移さん!って人に対しても同じ。


嫌いというか許せないし、嫌悪感がすごい。
全っ然優しくできない。

ものすっごい厳しく接してしまうし、なんで嘘付き続けてるねん?って突き刺したくなるし、
どんだけ優しい言葉を取り繕ったとしても表面的になっちゃって。

もちろんそんな部分は自分の内にもあるので、気が付くともっと嫌気が差す。

頭では「その人には、その人の生き方やペースがある」って思うし、自分が嫌に思ったり怒る筋合いなんてそもそもない、って分かるのにね。だけど、感情は全く違うもの。



こういう感情を抱く原因は、私の中でかなり明確で

母親を許せていない

というのが大きいのです。

(だから、私が嫌に思う人は1ミリも悪くない)


真正面から喧嘩しようとしてくれなかった。

言いたいことを言ってよと何度言っても、モノに八つ当たりするだけだった。

「私は言えないの、苦手だから」と言って、自分の意志や感情を示す努力を怠ってきた。


そんな姿が記憶に染み付いていて、まだまだ全っ然許せていない。

だから今でも、

何なん?お前!

って言いたくなるし、心の中で言ってる。

生き返って目の前に現れても、たぶん私は泣きながら罵倒すると思う。


そんな母親の姿を思いっきし第三者に投影するおかげで、
自分の人生や自分の本音から逃げる女性というのは、ものすんごい嫌悪感が募る。

その度に「この人は母親と別の人生を歩んでる。この人はこの人で一生懸命に生きているし、それもプロセスの一つだし、何も悪くない。ムカついて本当にごめんね・・・」って心の中で謝る。

と同時に、私の母親のように

言いたい事も満足に言わずに病気して死んでいくような人生にはするな!

とも、強く強く思うのよ。

お願いだから、自分の言いたいことは生きているうちに、自分の口でキチンと言ってくれ。

それがどんなに言いづらいことであっても、自分の為に表現してくれ。と。



だけど、私は知ってるんです。

この”許せなさ”が存在することで、私自身の生き方が大きく変わって行ったことを。

母親が身を挺してこんな姿を見せてくれなかったら、

自分の人生を生きることがこんなにも大事で、
自分の感情を表現することがこんなにも心地よいもので、
自分を諦めないことがこんなにも人生を開くってこと、

たぶん、知らないままだったかもしれない。
気付いたとしても、もっとずっと遅かったかもしれない。


だから、

20歳という若さで受け入れざるを得なかった親の死と引き換えに得たものは、すっごくすっごく大きいんだってことも、心のどこかで知ってる。

そして、もう少し年を重ねたどこかのタイミングで、この感情も今よりずっと優しく深く受け入れて糧にすることができる自分がいることも、なぜか知ってる。


そうやって、許せないなぁと感じる部分と、許せなさによって得ている部分と、

両方をゆらゆらと不安定に行き来しながら、私は生きています。
白か黒かなんて、全然ハッキリつけられないよ。

きれいな結論を出すことは、もう辞めてみた。

こんな風に私は乗り越えた!って美談を作ろうとする自分も、もう辞めた。


ブログ書き続けていると、読んで下さる人から「すごく共感した」とか「よく乗り越えてきたね」とか言って頂くんだけど、

今の私も、こんなもんです。ピヨピヨです。笑

許せなさも複雑な気持ちも抱えたまま、
あっていいよって認めたまんま、
そして未熟で脆くて弱い部分もこうして表現しながら、
生きてみてもいいんだって、

私は、自分と大切な人たちに一番伝えたいなぁ。
だから、大好きな卍易風水とも関係ないことも存分に書いてるんよ。



・・・と、本編ここまで書いて気付いたけど、

私の大事な大事な人たちはいつも「こうすべき」「こうあるべき」の正義じゃなく、私をまるっと受け入れてくれるんだ。
あんたがそう言うのは、それだけのことがあるんだよ、って。

超ありがたい。ほんとありがたい。泣けてきた~~。ありがとう!ラブ!

未熟さをさらけ出してみると、勝手に愛に包まれるの巻でした。

(やっと終わり♡笑)

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