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幸福日和 #085「謹しみの中に」

丁寧に作られたものに触れると安心します。

特に食べ物ともなると、
体の中に入っていくものだから余計に。

僕はパンが過ぎで、
海外や国内の地方都市を訪れる度に、
必ずパン屋さんに立ち寄るんです。

パン屋さんには、
その街の営みが垣間見えるのもいい。

朝食のために毎日バケットを買いに来る人もいれば、
仕事の休息にと、おやつ代わりに幾つかの
甘い菓子パンをまとめて買いにくる人も。

手を繋ぎながら、
お店に入ってくる親子を見ると、
そんな光景が微笑ましくもあります。

見ず知らずのひとりの客として、
同じ場所、同じ時間に居合わせられたことに
感動して心も温まる。

僕は、もしかしたらパン以上に、
その周辺の雰囲気が好きなのかもしれない。
そう思うこともありあます。

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色々な土地のパン屋さんを巡って思ったことは、
都会よりも田舎の小さな街にほど、
パン屋さんが多いということ。

学校の前や商店街の一角。
家が立ち並ぶ路地の中に、
ぽつりと小さなお店があったりする。

一つのパンが、
その土地に住む人々の営みを
つないでいるのだと感じる。

いくつものお店に通い詰めた中で
心に残っているお店があるんです。

一斤の食パンに、
小さな焼印で刻まれた「謹製」の文字。

そこのパンがおいしくって、
何度もお店に通っていました。

ほどよい塩加減と
小麦の香りがひきたつ焼き加減。
ふわりとした優しい舌触りに、
ひとりで思わず笑みを浮かべてしてしまう。

ジャムもバターもつけずに、
ただパンそのものを味わえる。
そんな優しい味でした。

幾度かそのパンを求め続けて、
至福の日々を過ごしているうちに思ったことは、
その美味しさの秘密は、
パンの隅に控えめに刻まれた
あの「謹製」の二文字にあるのではないか。

そう感じたんです。

謹製の言葉の意味は、
「心を込めて、つつしんで製造すること」

特別な素材を使っているわけではないけれど、
「作り手の特別な想い」が込められている。

ただ商売としてパンを作っているのではない。
作り手の思いを相手に伝えるために
その手段としてパンを作っているのではないか。
そうも感じたんです。


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この「謹製」という言葉。

いつから、世の中の多くの食べ物から
抜け落ちてしまったのだろう。
そんなことを思ってもみました。

代わりに食べ物の名前についているのは
「ファースト」や「即席」なんて言葉ばかり。

作り手の思いを感じるどころか、
その中に何が入っているのかもわからずに、
口にしているものだってある。

僕は、普段からワインを飲むから、
そのお供にハムやサラミなどの加工肉を好んでいただくけれど、
その加工肉を繋ぎ合わせているものが何かは説明できません。
また、カラフルなお菓子や飲み物が日常を彩ってくれるけれど、
その色が、何による色かは理解していません。

気がつけば、
そうして、よくわからないものばかりを
無造作に自分の体内に入れ続けてきたのだと思うと。

その体内からでた唾液をのみ込みながら、
ぞっとすることもあります。


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謹んでつくられたもの。

そこには、
便利さや華やかさはないけれど、
確かな作り手の優しさや温もりが
秘められています。

そうしたものを
受け取りながら生きてゆきたい。

自分は、この命をつないでゆくために、
あとどれ程のものを口にしてゆくのか。
そうした作り手の思いを、
体内に沁み渡らせてゆくことができるだろうか。


謹んでつくること。

人になげかける一言も、
つづる言葉も。

そうした思いで伝えてゆきたい。

そんなことを考えていたら、
あのパンが恋しくなってきました。

誰か孤島へ送っていただけませんか。

最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。