愛されなくても別に。 読了《読書感想文④》
ネタバレを含みます
愛されなくても別に。を読んでから割とずっと考えてしまった。
普通とか命とか愛とか幸せとか。
考えたにしては、答えは全くと言っていいほど出なかった。
愛ってなんだ?普通って?道徳の授業も寝たりせずやってきたけれど決して答えが分かったことはない。
バイトをして家に8万を入れ続ける 宮田陽彩。
浪費壁のある陽彩の母親。
身体を使ってお金を稼いできた 江永雅。
新興宗教にのめりこむ 木村水宝石
過干渉な木村の母親。
弟と比較されてきたと語る堀口。
陽彩は過干渉な母親がいる水宝石に苛々し、
水宝石は鬱陶しく構ってくる母親に反抗し、
水宝石の母親は水宝石に依存し、
陽彩の母親は陽彩のお金を搾取するも愛していると伝え続け、
江永は身体は使って愛されようとし、
堀口は社会や政治を支離滅裂に語る。
きっと登場人物の中に戦隊もののような”悪い人”というのはいなくて、
ただそれぞれ”弱い”だけなんだと思う。
嫉妬や憎しみや羨ましさなどを正しくゴミ捨て場に出せなかっただけなんだと思う。
でも弱いことは悪いことじゃない。
僕がそう思いたいだけかもしれないが、”強い”だけの人なんていないんじゃないか。
強く見える人はいるけれどその人の心の中までは見えなくて、弱さはあって、反対に弱く見える人の中にも強さはあって、それがパズルのピースみたいにはまるから支え会いってできるんじゃないか。
そもそも”強い””弱い”で話を進めてしまったけれど、人によってその捉え方は違うし、強いから素敵とか弱いから素敵とかそういう話でもない。だってどっちも兼ね備えているんだから。
支え合いって書いていてすごく綺麗ごとな気がしてしまったけれど、
陽彩と江永の関係は僕の理想の支え合いだと思う。
つかずはなれず、お互いの利点が重なるところにあるから強く見返りを要求しない。みたいな。
僕の想像する、というか理想の支え合いは言い換えると利害の一致なのかもしれない。
物語の中で男女のどちらにも恋愛感情を抱けないという陽彩に手をつなぐのは?と差し出された江永の手を握り返した陽彩は江永の手の柔らかさと体温に対して気持ち悪く感じるという場面があり、その中の文章で、
とある。
とてもわかる。
陽彩は体温も感触も無理で、僕は人の体液が無理だ。
愛されなくても別に。を読んだ後、絶え間なくいろいろなことを考えた。
家族って何だろう。愛って何だろう。幸せって何だろう。
命って何だろう。とか。命を大切にするってどういうことだろう。
逆に命を大切にしないってどういうことだろう。とか。
この本を紹介すればいいんだろうとか。
愛だの幸せだの命だの哲学的な考えに対しては冒頭のように答えは全くでなかった。
でもこの本は何の本なのかの答えは僕なりに見つけ出した。
僕はこの本は”今”の本だと考えた。
時代設定はマスクが手放せなくなるころだからそりゃそうなんだけれども。
毒親、セクシャリティ、キラキラネーム、新興宗教、生死、社会、
政治、など一昔前と呼ばれる時にはタブー視や見て見ぬふりされてたことも多かったんじゃないかと思う。
僕自身、一昔前には生きていなかったから実際のところはわからないが
今は平等だとか多様性だとかを語り散らかしている。
それなら、昔はどうとか今はどうとか言ってる場合じゃなくて、今”も”ある問題なんだから今向き合わなきゃいけないんだと思う。
この本は現実を見る窓なんだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?