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本音の渦巻きでつながりたい

こんばんわ、Kaloです。

今日は260日周期のマヤ暦でいうお正月ですが、
東京は曇り空。気温も低くて肌寒いので、家にひきこもって、
先延ばしにしていた確定申告の作業をするのに最適な1日!
って思いながら、な  ぜ  か  。noteを書いていた私です(苦笑)。

とはいえ、まさに新年早々、
初心に戻るような内容になったかも。と思いました。


ことばの焚き火

もう日にちが経ってしまったんですが、先月、昨年の夏に知り合ってイトナミダイセン藝術祭でもひとときを共にしたまみーた、こと大澤真美さんが主催している「ことばの焚き火」という対話の会に参加してきました。

どんな内容かはこちらから

 対話の場では、空気を読むことをせずに、自分の内側の声を大切に出すことをとにかく始めます。

 日常生活では、関係性を重視して、「その場にふさわしい」と自分が思う言葉を発していることも多いので、自分の声を出すのには勇気がいる場合もあります。

 嫌われたらどうしよう」「こんなこと言って、バカだと思われるの嫌だな」「この場の雰囲気、流れを壊しちゃわないかな」

 自分の一言が、関係性を壊したり、つながりを断ち切ったりするのではないか、と心配する感じ。

 でも、あらあら不思議、自分の内側の声をお互いに出しあうと、つながりが断ち切られるどころか、かえって深いつながりを感じるのです。

 自分を出しているのに、「結果的に」人とつながる。

ことばの焚き火プロジェクト 1/24の投稿より引用


この対話の会、とてもいい会です。
以前『SpaceとPlace 〜心地の良い「場」をつくっていくことという記事を書きましたが、その「最良のPlace」だなぁと感じる会でした。

最初にまみーたが「自分の中から湧いてきた言葉を誰かに気を遣ったりすることなく、そのまま出していくとなぜか身体(気)の通りがスッキリすることに気がついた」と話していて、ああ、本当にそうだなぁ。と思いました。




たとえば、投稿を書く時にも、こんなことを書いていいのだろうか?なんて少しでも思って、言葉を選んで書いていると、書き終わったあともなんだかスッキリしない。とか、
こうしたSNSの中でコメントを書く時にも、なんとなく半分くらいは無意識で相手に気を遣っていて、言葉を選んでいるうちに、何を書きたかったんだかわからなくなる。みたいなこととか、

今でこそ瞑想メモなんて、訳のわからないことを好き勝手に書き散らかしている私ですけれど(爆笑)、以前はそんなことがよくあったなぁ。と思うし、今でもたまに、そういうことがあります。

多分、何かのきっかけで自分がブレて、気がちゃんと通らずに、どこかで詰まってしまっている時に、こういう訳のわからないことになるんだなぁ。と思うんです。


そして、自分の内側の言葉を出すことって、実は誰かに対して、や、何かに対して、ではなく、自分に対して、で。
「自分の中にいる自分」の声を確かめる。というようなことなのですよね。




本音を言うコトの大切さ


そういえば、ずいぶん前に書いたのですが、
「自分に嘘をつくのをやめよう」と決意した時がありました。
この時は大きな一つの転機だったなぁ。と、今更ながら思います。

若い時の私は、別に取り立てて人に気を遣ったりしていた性格ではなくて、どちらかといえばわりとワガママに生きていた気がしますが、それでも、たとえば一番身近な存在だった元オットに本音を言えていたか?といえば、まったく言えていなかった。
それどころか、それ以前につきあってきたどの人とも、うまく本音を伝えあうような会話をしていなかったなぁ。と思います。

なぜ本音が言えなかったのか。

たとえば元オットの時には「こんなことを言ったら繊細な彼が傷つくのではないか?」と常に心配していたのです。でも結局それは「相手に嫌われたくない」って思っていたのだと思うし=自分が傷つきたくない。って思っていたのですよね、当時は。
(今は人に傷つけられることなど本質的にはありえない。と思っています)

本当に、そうして本音を言わずに飲み込んだままにしていたり、
相手に合わせてばかりいると、
どんどんどんどん自分がわからなくなっちゃうんですよ。

自分が何者なのか、が、わからなくなる。

特に、「私は何が好きで何が嫌いなのか?」が、わからなくなる。

どんな食物が好きなのか、どんな音楽が好きなのか、どんな絵が好きなのか、どんな椅子が好きなのか、どんな空間が好きなのか。

だから
みんなが良いっていう、あのアーティストの絵はすごいんだ。
とか、
評判の高いあのレストランの味はすごいんだ。
とか、
信頼するあの人が言うから、これ(モノやコト、教え)は間違いないんだ。
とか、
自分でも気づかずにそうなっているんです。

つまり自分の周囲の音で自分の中がいっぱいになっていて、
自分の音が聞こえない。
自分が空洞化しちゃうんです。

確かに音はいっぱい詰まっているかもしれないけれど、
誰かのサンプリングの音をかき集めてきたリミックスばっかりで。
オリジナルじゃないんですよね。



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先に書いた対話の会の時に、そこに参加してくださっていた南研子さんという、ブラジルのアマゾンで7年暮らして、今も行き来している方が話された中で、

アマゾンの集落に行って最初の頃、現地の部族の人たちに囲まれて
「なんでもいいから話してみろ。」と言われたの。
現地の言葉はしゃべれないから、日本語で話をするんだけれど。
誰も日本語を知らないところで日本語で話すのって怖いのよ。
なぜなら、その言葉が全部、自分に返ってきちゃうから。

というのが、とても印象的で。
これは多分、自分の発した言葉が、どこにも吸収されていくことなく
空間を漂うあの感じだなぁ。と思いました。
行き場のない言葉が宙に浮いて、結局自分に戻ってくる。
その怖さって、なんだかすごくわかります。

でもこれ、実は言語が違う相手だけではなく、
すべての言葉は自分に返ってくるよなぁって思いました。

本音を言わずに自分の言葉ではない言葉を発していると
それは実は相手に言っているようで、自分に一番返ってきていて。

気を遣って言葉を選んでいくたびに、
本心とは違う言葉を放つたびに
どんどん言葉のエネルギーが捻じ曲がってしまい、
その捻じ曲がったエネルギーを自分が常に浴びてしまうんですよね。

そういえば、友人に「マハラジが言ってたけど、言霊って、言葉(単語)自体のことじゃなくて、言葉になる以前のエネルギーのことらしいよ。」って教えてもらって。
まさに、それともつながるなぁ。と。

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5〜6年前だったか、宇多田ヒカルさんがNHKで特集されていて、確か(うるおぼえですが)「詞を書く時は自分の気持ちに一番誠実な言葉を探す。」とか「自分の気持ちに誠実であるコトに一番気をつけている」とかって話していたのです。

当時、それがやたらに胸に残って、

それから、こうして言葉を書く時にも、これは本当に自分が思っていることか?ということに、さらに気をつけるようになりました。
昔の私に比べたら、自分、随分イイところまできている、と思っていたのですが、(特にこのnoteは、本音の純度は比較的高めな方だと思うんですが)
こうして書きながら、あれこれ思い出していたら、やっぱりまだまだ本音100%までには至っていないなぁ。と思いました。
特に人との対面の時に本音を言えない場面が少なからずあります。
昨今のワクの件などは、特にそう。ですしね〜(笑)。





本音は渦巻き


「本音」っていうと、つい誰かに対して「違う何かを感じて」それを言う。みたいに思っちゃうけれど、そうした感情や思考レベルの反応ではなくて。


自分の中の本音の「音」を出していくこと。

それは身体の奥からハートに浮かびあがってくる自然な思い。
素直な言葉。

その音が、自分の中心からちゃんと出ていれば、
その音はきれいに響くし「気は通る」。
「気が通れば」音はさらに美しく響く。

それは自分の中で響かせる自分にしかわからない「音」。

そして、まみーたが
「自分を出しているのに、「結果的に」人とつながる。」
と書いていたけれど、
きっと本音の音はきれいな渦巻き状で。
だから人と人とも繋がって、渦が広がって。
そこにさらに大きな渦が発生して循環が生まれるのかなぁ。
と、ふと思いました。



と、いうことで、このマヤ暦の新年最初の日に改めて
「本音の純度を上げて、その渦でみんなと繋がっていこう。」って
思いました。


※ちなみに、そういえば昨年の大晦日に、なぜか狂ったように渦巻きを描いていた(トップ画像)自分を、今思い出しました。 ヤバい(笑)。



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最後に。

こちらはnoteをはじめた初期の頃に書いた古い記事ですが、
「本音」について。

「本音」って「本来の自分の音」なのだと思います。

自分の音はどんな音なのかを聴いてみる。

胸のあたりで鳴っているのを感じる。

音程が高いのか低いのかはあまり関係なさそう。

その音は濁っていないか、純度はどのくらいか。

硬いか、柔らかいか。

そんなことを確かめたい。

目を瞑ってちゃんと聴いてあげる。

そして美しい音が奏でられますように。と願う。

記事の後半は写真家ソウルライターの言葉を書いた、純度高めな(笑)わりと好きな記事なのでリンクも貼っておきます。



ではでは、
あたたかくして おやすみくださーい。

サポートいつもありがとうございます。 みんな大好き❤️ xxx.LoveLoveLove