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狭い世界で生きてきた

SNS断ちやXをやめた記事をちまちま読んでいただけて嬉しいです、ありがとうございます💖

SNSをやめて改めて、いいなと思うところをつらつらと。



自分を肯定できる

SNSではよく些細なことで正しい、間違っているという議論が行われます。
例えば…

Aさんという方が作家さんのご厚意でイラストを描いてもらった。掲載許可などは貰っていない。でも、ファンの人に見せてあげたいなあーSNSに載せちゃおう。ってなりました。載せました。

Bさん「ありがとうございます!見られてうれしい!」
Cさん「見れるのはありがたいけど、掲載許可は?」
Dさん「特別扱いされたってこと…?掲載許可とかはないみたいだし、もやもやする。Aさんにも作家さんにも」
Eさん「いいものを見せてもらって愚痴しか言えないの?だからオタクは…」

みたいな。
これ、みんなの意見が正解だと私は思います。
素直にうれしい人がいて当たり前、もやもやする人もいて当たり前、愚痴を見て怒る人も当たり前。
なのに、愚痴を言う人は馬鹿で素直に喜ぶ人はお花畑なんだね。みたいな…

頭が痛くなります。

誇張した文章に惑わされない


誇張した
ネガティブな
不安を煽るような

何とでもいえます。
反応が欲しいからそういうツイートであったり題名であったり、そういう文章だとか動画を見終わったあと疲れませんか?

そうではなくて気になったものを選択できるようになったなあ、と感じます。

知らなくていい世界もある


例えばですが、私は生きている人のオタクだったので繋がり匂わせ愚痴アカ情報流出現場に来るオタクの容姿差別にオタクが勝手に書いた役者さんを馬鹿にするような長文の日記?ブログ?いろいろ見てきました。(早口)

そういうのを知ってから、そういった悪い情報を知っていないと楽しめない。現場に入ってもそういう話が聞こえてきたりだとか。オタクの容姿が悪いだとか。

オタクが経済回してるかもしれないけど、本当にその界隈で楽しみたいなら知らなくてもいいことだっていっぱいある。

自分優先

まずは何事も自分優先になりました。

○○さんがいいって言っていたから
ネットで好評だから(欲しくないけど買う)

みたいな他人が○○だからという理由で何かに手を出すのが減った。
なくなった、と書かないのは興味が出たものには手を出すから。
他人がそうでも自分はそうじゃないことってたくさんある、ネットでバズったものを我先にと手に入れることは減ったけどその分他人が見ていないから(欲しくはないけどみんなが持っているのに自分が持っていないみたいな)ストレスは減った。

他人に同調しない快適さ

さっきのと似ているけど、

○○についてどう思う?世間ではこうだよね
○○は頭がおかしい、皆さんもそうではないですか?(超高圧的なネガティブツイートでX万いいねリツイート)
○○肯定派も否定派も頭がおかしい

みたいな論議に参加しない。
Xは特にほっておくとそういう話題がわんさか目に入る。すると、怒りたくもなってしまう事件のツイート(ツイート主さんが悪いとかではなくて)や性犯罪や性別叩きみたいなものが。
そういうのに参加して自分が正しいといってストレス発散だとか気持ちよくなる(疲労感)という機会が減ったのは本当に幸せ。

他人からの反応を待つ時間が減った


SNSをやる楽しさって少なからず他人からの反応であったりフォローしてくれる人(仲間意識?)みたいなのがあると思う。

こういうツイートならみんないいねしてくれそう
○○さんなら私の愚痴も受け入れてくれる
こんなひどい目に遇って悲しいけどみんなが肯定してくれてうれしい
×さんにフォロー外された…むかつく

みたいな。他人に自分の気持ちを求めるようなことが減った。

これからは?SNS再開する?

ここまで綴っているとメリットしかないと思われそうですけど、時間が余ったり他のSNS(noteみたいな)に費やす時間が増えたりと…あまり変わらないのでは?と思う部分もあるけど少なくてもnoteは自分で見たい話題を選択できて好き。
私は家で仕事しているので多少SNSがなくても困らない、友達も少ないし(笑)
私は情報でパンクするタイプなのかもしれないから、もうこの先一生なくてもいいかなあ。

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