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ONE PIECE(ワンピース)をひと月近くかけて全巻一気読みをした直後に弁護士に「全巻読み直し」をすすめられた話

ほんのすこし前まで私はONE PIECEが苦手だった。

なかよしこよしの海賊団と思いこみ、途中で読むのをやめていた。

そんな自分に対して真正面から「ONE PIECEを連載で読む意味」を説いてきた弁護士によって、まさにその場で全巻購入をポチってしまった。

その弁護士の名前は小野田峻さん。

弁護士としてもちょっと変わったそのお仕事柄のせいか、とにかく漫画(に限らず創作物全般)を創り手と向かい合うように深く読む方で。

そのときの白熱のビブリオトークの様子は以下の記事にまとめさせていただいた。


それからというもの、晩酌のときも通勤電車の中でも船中でも温泉でも家族との会話中でもひたすらにONE PIECEを貪るように読んだ。

「今日はあと何巻までいこう」とかまるで夏休みの宿題のようにモチベーションを保ちながら読み上げていくうちに、段々に体内にONE PIECEが染み込み、気づいた時には横須賀のモンキー・D・ルフィ島(猿島)にも上陸していた。

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(撮影:川口比呂樹)

10月20日までやっているので、ONE PIECEが染み込んでいる方は知らず知らずのうちに上陸することになるかもしれない。

宴島(うたげじま)2019 真夏のモンキー・D・ルフィ島

https://utagejima.jp/

そんなこんなで1か月近くにわたってやっとこさ既刊93巻まで到達し、残りの連載話も読み上げた。

この充実感たるや。

なんにもできない自分だが、やればできるじゃないか(自己評価低めで甘め)。

やったー。

喜びいさんでたしぎのパンクハザードバージョンのフィギュアを購入し、最近はまっているカゴメトマトジュースで作ったレッドアイを飲みながら感慨にふけった。

ああ最高の気持ちだ。

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自分はボア・ハンコックというキャラにはまるに違いないと思って読み始めたものの、全巻読破したときにはスモーカーと入れ替わったたしぎにはまってしまうという予測不能感。

やっぱり未読はいけんねぇ~と余裕をかましていた。

そして、小野田弁護士と再会。

「いやー、全巻読まれたそうで。で、どうでしたか、ONE PIECE」

にっこにこだ。

自分はワノ国でたしぎがどうからんでくるかとか、ソゲキングが旗を撃ちぬいたところとか、ドレスローザでキャラが多すぎてプチパニックになりかけたこととかナミのリアクションが定番化していてAIっぽいとかいっぱい話したかった。

しかし、なかでもこれだけは伝えたいことがあった。

ルフィだ。

敵も味方もぶん殴る。

ルフィが怒れば政権がひっくり返る、監獄から囚人があふれ出る、とにかく怒りの影響力がすんごい。

どうもこの作品はルフィが起点になっていることが多いなぁと思いながら読んでいた。

「またルフィが……」

「また殴った……」

「毎回、相手が泣くと許すとか……」

怒りと攻撃の象徴を感じた私は小野田さんに感想としてこう伝えた。

「なんかONE PIECEってTwitterっぽいですね」

どういう意味かというと……

ルフィが問題点や問題のある人物について怒るのが起点(問題提起ツイート)。

その方向性にそって仲間たちが動き始める(フォロワーによるリツイートやファボ)。

その波にのってその島の全体の人々が共感して蜂起(バズって拡散)。

ONE PIECEはこの流れを繰り返している物語かと考え、「これはTwitter的漫画だ」と位置付けてみたわけで。

しかし、私のこの分析は浅かった。

ビニールを膨らませたベビープールほど浅かった。

そのベビープールで水鉄砲を持ってきゃっきゃと喜んでいるのが自分だった。

というのもここから小野田弁護士の怒涛のルフィ論が展開されたからだ。

「Twitterっぽい、ですか。なるほどー。なんかそれちょっと、あんまりイメージ良くないですね(笑)。もちろん、川口さんの捉え方もすごく面白いんですが、私としては、ルフィの行動って実は一つのテーマで一貫してると思ってるんですけど、川口さん、それが何だかわかります?」

「えっ? 何でしょう……?」

「自由です。強さでも地位や名誉、宝を手にいれることでもなく。

ルフィも自分でこう言ってます。支配なんかしねェよ、この海で一番自由な奴が海賊王だ!って」

GU? いやいや自由?

「ルフィは、結果や成果っていうゴールのために『今この瞬間』が犠牲になることを徹底的に否定するんです。

極端な話、ルフィにとってONE PIECEを手に入れられるかどうかは二の次で、死ぬその瞬間まで自由で在れるかが一番重要、自由でなければ生きている意味がない、そういう考えの塊。だから怒る。自由を理不尽に好き勝手に制限するやつにむちゃくちゃ怒る。自分の自由だけでなく、誰かにとっての『自由になりたい!』という叫びにも、全身全霊で『当たり前だー』と応える。

そもそもONE PIECEって、いわゆる王道的な少年漫画と違って、個の強さや機能性の勝負の漫画じゃないんです。だって、よくよく考えてみてください、主人公がゴムなんですよ?(笑)。あんなチート級のキャラばっかりの漫画で。

そこにあるのは強さや機能性の勝負じゃない。関係性や意味の『物語』です。

そしてその物語はいつも、個人の自由が蔑ろにされる場面から始まります。

そこでは自由の形も侵害の形もバリエーションは様々ですが、そのひとつの象徴が、前回お話した「ロビン」であり、世界政府の歴史を押し付けられている「世界」そのものなわけです。

さらに言えば、麦わらの一味の冒険自体、ルフィの体現する「自由」との対比としてのそれぞれの「思い込み」から始まる物語でもあります。

ルフィは自由そのものを体現する存在である一方で、

ゾロは、『強さ』に捉われ、

ウソップは、『虚栄心』に捉われ、

サンジは、『家族』に捉われ、

ナミは、『お金』に捉われ、

チョッパーは、『差別』に捉われ、

ロビンは、『歴史』に捉われ、

フランキーは、『才能』に捉われ、

ブルックは、『約束』に捉われている状態でルフィと出会い、仲間に加わる。

そして、ルフィと冒険をしていく過程で、彼ら自身がそんな思い込み、いわば思考の枷から徐々に自由になっていく。

つまり、ルフィという存在を通して、周囲の人たち、だけじゃなく、やがてはおそらく『世界』そのものが、本当の『自由』の価値に目覚めていく、それがONE PIECEのテーマではないかと。

この観点からもう一度、1巻から読み直してみてください。全てのルフィの怒りは、『自由』のための怒りになってますから。」

どん!

(合掌)

ごちそうさまでした。

いやはやすんごい。

ルフィがなんでそんな行動をとるんだろう?という不可解だった部分にぶっさりと芯が通った感がパねぇパねぇのイパネマ姉さんだよまったく。

さらに小野田弁護士のイパネマは続く。

「ルフィ、というか、ONE PIECEっていわば、安易に結果やゴール目がけて一目散に走るよりも、無数の過程や可能性を楽しむことで得られる果実の方が大きいよって世界観を示してるんですが、個人的にはこれって私の専門領域の社会起業家やソーシャル・スタートアップ支援の方法論と似ているなあと感じていて。

私が自分の法律事務所に併設する形で運営している、社会起業家向けシェアオフィスには、防災や救急救命、介護とか若者支援とか、本当に様々な領域の社会問題に向き合う株式会社やNPOが入居しているんですけど、彼らが『こんな社会にしたい』とか『みんながこんなふうに生きていけたら』って思い描く未来が、抽象度が高くて実現までの道のりが遠ければ遠いほど、これまでの成果主義的な手法、例えば『未来』から『今』に向かって逆算して計画を決めて数値を設定してっていう手法だと、かえってその未来の実現が難しくなるんですよね。

なぜなら、常に『未来』に対して『今この瞬間』が犠牲になり続けるから。

あるいは、本当はあり得たはずの無数の過程や可能性が、一つに決まってしまうから。

無数の過程や可能性を楽しみながら、身近にいる人たちの願いも叶えながら、とにかく動きつつ、結果として全員で大きなハードルを超えていくっていうのはONE PIECE的だなあと思います。今を誰とどれだけ楽しめるかが生きる価値。そう考えると、ルフィの「おっもしれー」って口癖も、味わい深いですよね。

あっ、長々とすいません。もう少しだけ、お話ししても大丈夫ですか?」

「もちろん!どうぞどうぞ!」

「ここからは単なる展開予測なんですが(笑)。」

おお~~~~い!

先読みが始まったぁ。

めちゃたのすぃ~。

「さっき川口さんと話しててふと思ったんですが、ONE PIECEは、各々の『自由』の目覚めと同時に、『自由と解放の物語』とも言えるんじゃないかと。で、自由の体現者がルフィで、解放の体現者がサボ。

そこからさらに考えてみると、実は、解放って西洋的というか、構造を認めた上でのその構造の破壊なので、『戦い』や『闘争』を前提にしてますが、一方で、思い込みが取り払われるって意味での自由って東洋的で、そもそもそこにある構造を構造としては受け入れない、もともとそんな枷や檻はないよと、区別それ自体を否定してしまうものなので、必ずしも戦いを前提としないんですよね。

つまり、ルフィとサボでは、実は方法論が違う。

となると、これはあくまで想像ですが、もしかすると、クライマックスの手前くらいで、ルフィとサボが袂を別つとか、やむを得ず戦わざるを得ないみたいな展開があり得るんじゃないかと。

とはいえ、一旦対立はしても、サボがルフィに根負けする、あるいはサボ自身が何らかの思考の枷から自由になるって展開になるのかもしれませんが。ちなみに、ちょっと考えすぎかもしれませんが、ルフィのギアフォースのデザインが極端に東洋的で、サボの衣装が極端に西洋的なのも、何だか意味深です。」

うわっ、鳥肌が……!

「いずれにしろ、そういったことを考えながら麦わらの一味のここまでの冒険を見ていくと、ルフィの行動の意味がわかってくるんですよ。川口さん、こう聞くと、全巻読み直したくなりません?」

と一言。

「はい。すぐに全巻読み直したいです」

、、、というわけで。

私、川口はこれからONE PIECEを再読して味わいつづけていく所存です。

しかも小野田弁護士のおすすめで『STAMPEDE』も観ることになりまして。

小野田さん曰く、『STAMPEDE』でも、結果や強さだけを求めることよりも、過程や物語を楽しむことにこそ意味があるというテーマが扱われているとのことで。

いやはやONE PIECEもすんごいけど小野田弁護士、やはり読み方が深いですホント。

さらにここからは小野田さんオリジナルの特ダネ解釈プレゼント。

ワノ国のMAPを見せてきてにっこり。

「前回お会いしたときに、ONE PIECEは、歴史の勝者が隠した前史を横軸にしていて、例えばアイヌの歴史も意識されているはずだって話をしたかと思います。

ワノ国のMAPを見ていてふと、その解釈が私の単なる思い過ごしではないだろうなっていう、一つの確信を得まして。川口さん、このMAPを見て、なにか気づくことはありませんか?」

「えっ?なんですかね。まったくわかりません」

「ワノ国編って、桃太郎伝説とか日本の主食の名称がモチーフになってることはわかりやすいところですが、個人的にはこれって本来のモチーフを隠すカモフラージュだと思ってるんですよね。ワノ国のこの地名と配置って、実は、ある地域をモチーフにしてるんじゃなかろうかと」

「どこですか?」

「北海道以北の島々です。『九里』を除く4島が北方四島の名称のアナグラムで、かつ、それらが東西逆で配置されてるんですよ、これ。

『白舞』(はくまい)は『歯舞』(はぼまい)、『鈴後』(りんご)は『国後』(くなしり)、『兎丼』(うどん)は、漢字の中に色と丹、『色丹(しこたん)』が含まれてる。で、これだけだと「希美」(きび)と「九里」(くり)が余るので、思い違いかなーと思ったんですが、ちょっと調べてみると、北方四島の「択捉」(えとろふ)は、アイヌ語で「岬のある所」。これ、「みさき」を逆から読むと「きみ」、つまり「希美」になるなと。で、さらに、北方4島以北の諸島は、ロシア語だと“クリ”ル諸島という名称なので、なんとここに「クリ」が隠れてる。とくれば、流石に偶然ではないだろうと思うんですけど、どうなんですかね?

尾田先生が、歴史の勝者が隠した前史って文脈でアイヌの歴史も意識されていることは、ほぼ間違いないんじゃないかと思うんですが、少なくとも、ワノ国編では今後、前史の研究者であるロビンが活躍して、麦わらの一味がググッと前史と繋がる展開になっていくってのは間違いないんじゃないですかね」

どん!

いやはや。(合掌)

※この記事は2019年9月22日に漫画新聞で初出掲載されたものです。

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