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希望という名のモーターサイクル

チョコレートの箱はすぐ空けるくせに、そそられる短編小説は読み終わるのにずいぶん時間が掛かる。どれも希望で締めくくれられたお話に、軽く泣いてさっぱりして、また旅に出たくなってしまった。

20年振りにスキーに誘われこの数年北海道へ通うようになった。10代は絵を描いていて、20代はバイクとスキーとスノーボードを覚え、30代ではそれにゴルフが加わった。その後はすべてから遠ざかり、異国の古典音楽のコンサートを開催していた。その国と日本を往復する「ついでの経由先で数日を過ごす」以外は、旅も遊びも封印された10年だった。

そんな生活から解放されてからは、これまでにやり残したことを優先する生活をしてきた。大学へ編入し、資格を得て教室を開き、並行していた仕事を束ね業名を改めたりした。なかなか良い言葉が思いつかなかったので、旧名から「八」の文字を受けて「8」と名付けた。自習室は、解説というかオマケだ。

さあ!という時にパンデミックが起こった。予定していたことはことごとく諦めざるを得なくなったが、妙にほっとしたところもあった。人生のリハビリのようなスタートに世界中が足並みを揃えてくれたようで、焦る必要がなくなった。これから長く生きてしまうかもしれない。本当に必要なことは何か、自分にとって、他人にとって、考える日々が続いている。

旅に出たからといって答えが見つからないのは、長年の経験から知っている。その経験だけが、いまの自分を形成しているとも言える。それでも旅に出たい。「もうここへは戻れないかもしれない」と思いながら家を出る感覚を好むなんて、安らげない性分の象徴だ。そんなんだから、いまいる場所に落ち着けない人に寄り添いたくなる。それでこんな仕事ばかりしている。
 
 うちには、なにかを抱えた人が来る。悩みとは限らないが、なにかを抱えた人たち。それは希望かもしれないし、解けないわだかまりかもしれない。ただ聴くだけ、時々提案するくらいしかできないが、来てくれる人たちが僅かでも心地よくなってくれたら嬉しく思う。つまり、私自身がほっとするのだ。

 さて、そろそろ次の仕事の時間だ。お茶を淹れよう。


 

いまの想いをいま書ける言葉で残す場と考えております。拙い乱文で恐縮です。時々お読みいただけますと幸いです。