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「映画レビュー」と「映画コラム」ってどう違うの? レビューの書き方・コラムの書き方

映画を通じて様々な視点をお届けするwebマガジン「フラスコ飯店」店主の川合です🍜

いや、どうかな。「店主」と名乗っていますが今日はあえて「編集長」と名乗ろうかな。メディアを立ち上げてそろそろ1年になります。6月頃にオープンしたお店なので、去年の今頃は企画書と格闘していた頃でしょうか。気付けば編集部員も増えてきて、2020年の5月現在、厨房兼オフィスのslackには10人ほどの人たちが参加している状態に。

そもそも「映画レビュー」と「映画コラム」ってどう違うの?

加入してすぐの書き手の人によくたずねられるのがこの質問。今後もバリバリ人を増やしていきたいので、今回はマニュアルがてらその回答をnoteに書き残そうと思います!

・未来の新たなフラスコ編集部員のそこのアナタ
・そうでなくともこれから映画を対象に文章を書きたいと思っているアナタ

に向けて今日はnoteを書きましょう。よろしくお願いします。


Caution !! 

もちろん諸説あります。あくまでもフラスコ飯店編集部内のローカルルールであり、元をたどれば店主である僕の個人的な見解です。

(けっこう長くなるので目次機能なんかを使って上手く読み飛ばしながら知りたい情報だけをザザザ~っと見てくれて結構です!)


■ 本日のメニュー

フラスコ飯店には「レビュー」「コラム」「特集」「定食」の4つのカテゴリがあります。

①まずは「レビュー」と「コラム」の認識の違いについて書きます。あくまでも私見ですが、お付き合いください。

②最後に「特集」「定食」の定義も改めて書き残しますね!

■ 「映画レビュー」と「映画コラム」の違い

ふたつの違いは何か。書く材料が「うち」か、「そと」かです。

もちろん最初の源泉は映画(またはそのほかのポップカルチャー)なのですが、その題材をさらに深く掘り下げる材料をどこから見つけてくるか?ということです。

▷前提:知識とか情報だけでは面白くない

本題に入る前にひとつお伝えしたいことがあります。それは前提として「公式情報」「そこに描かれていただけの事実」にはさしてそこまで価値がないということです。これが僕の潜在的に持っている前提なのだということを共有しておきたいです。

ちょっと辛辣な物言いになってしまいますが、あらすじをまとめてあるだけの記事とか、そういうのは僕はもうこれ以上は読みたくないです。さかのぼれば中学生くらいのころからそういうwebの記事に疲れていました。ましてwikipedia をコピペして作るような記事なんて。間違ってもフラスコ編集部は「ctrl + c 工場」なんかにはしたくない。(あ、もちろん参考にする最初の入り口としてwikiを読むこと自体はタメになります。でもそこで得た情報を記事化するときはウラとってね!)

ちょっと寄り道をしたところで、レビューとコラムの違いの話に戻ります。具体的な例(ぜんぶ手前味噌だからね!ごめんね!)なんかを交えて見ていきましょう。

■ 良かったレビューの例

まずはレビューから。ここで例として取り扱うのは金城さんによるデジモンの記事です。ざっくり僕がまとめてみました。こんな内容です。

(記事の要約)

デジモンは「格好良い」コンテンツだ。ポケモンみたいなキュートさは二の次で、とにかく「格好良い」を意識しているように見える。

よく調べてみるとBANDAIサイドもデジモンは「戦うたまごっち」であると明言している。ほかにもデジモンはこんな描写やあんな側面も。はは~ん、なるほどね、デジモンはやっぱり 「格好良い」を意識して演出された存在みたいだ。

「デジモンは格好良い」というのはあくまでも主観です。けれども、この記事が主観の域を抜け出し、胸を張って「これはレビューだ!」という看板を掲げられる理由は以下の3つ。

①BANDAIのプレスリリースなどからファクトを集めてきた
②デジモンをポケモンと比べることで相対的に見た
③具体的な特徴を言語化した

これによって「デジモンは格好良い」という主観は客観的な結論になります。

「ここではこう描かれている」「この時のカット割りはこう」「○○が映っているということはXXな時代背景だ」「この音楽が引用されているということはXXな意味が込められている」

というような材料を通して映画の「うち」を細かく読み解いていきます。仮説を立てて実証していくようなイメージでしょうか。もうひとつくらい出しておきましょう。

安尾日向氏のher評。詳細を省くけれど、これも良い記事です。そして良いレビューでした。なにがどう良いのか、それはご自身の目で……!なんか投げやりな気もするけれど、でもこの記事は目次を見るだけで僕の言いたいことは伝わると思います!


▷注意:監督の言いなりにならなくていい

レビューを書く材料を集めるなかで監督やプロデューサーのインタビューを読むことになると思います。読むこと自体は問題ないのですが、必ずしも鵜呑みにしないことが大切です。

たとえば、監督が「いやこれ実はチョキなんですよ!」ってインタビューで言っていたとしても、どこからどう見ても5本の指がすべて開いているのなら「これはチョキではなくパーだ」と指摘する必要があります。

どうしてかというと、インタビューでこと足りるなら映画をつくる必要がないからです。だから可能な限り映画というテクストに軸足を置いて論じていくべきなんですよ。

実はチョキ発言をうけて「本当に?と疑って調べてみる」という導線はアリだと思います。どうやらこの監督の住んでた団地でだけ通用するローカルルールだったみたい、的な新規情報を得られるかもしれません。なんかたとえ話ばっかりでわかりづらくなっちゃったね。ごめんなさい。

要は製作サイドが映画の外で語っている内容に関しては話半分、いや4分の1程度で接するくらいが良いはずです。(でもできれば読めるなら読んだ方が良い。ごめんねホント面倒くさい恋人みたいなこと言って)

注釈のつもりで書いた脱線がまた長くなっちゃった。

ということでレビューとは何か、例を交えて僕の定義を説明しました。書く題材が「うち」、つまり映画の中身に軸足を置いているのがレビュー。そう解釈しています。

次はコラムです。いってみよう!

■ 良かったコラムの例

う~~~ん、迷う!

どのコラムも素敵だから。迷いに迷いましたが、ここではイラストレーターのくどうしゅうこ先生が文章まで書いてくれた「ロシュフォール」の記事を例にします。

ざっくり概要を説明すると以下!

(記事の要約)

楽しかった日のことは、あんまり思い出せない。めちゃめちゃ笑ったことは覚えているのに、どうしてだったのか細かいことは全部忘れてしまっていることが多い。と、くどう先生は語ります。これを逆手に取って彼女は「むしろ覚えていないということは良い日だったという証拠」と開き直り始める。

この現象、何かに似ているとくどう先生は気付きます。ミュージカル映画の『ロシュフォールの恋人たち』とくどう先生との距離感もこれと一緒だ!というのです。

映画で語られていることに関しては一旦保留してまずは自分の文脈で物事を語り、あとから映画に接続されていくイメージ。

肝心なのは抽象と具体を行ったり来たりするスキルなのかなあとぼんやり僕は考えています。この記事でいうなら『ロシュフォールの恋人たち』という映画を一度くったくたに抽象化して、それを自分の具体的な経験や考え方などに落とし込んでいく。

ある特定の映画をある意味で飛び石のようにして、映画の「そと」の文脈で書く。これがコラムなのかなあと。


このあたりのコラムも最強なので参考にしてください!

■ いずれにせよ「飛距離」が大切!

また新しい言葉が出てきた、とうんざりされるかもしれないね……いやごめんね……ね、謝るから、ほら。

「飛距離」というのは僕が編集部内でよく使っている言葉です。ロシュフォールのコラム記事が一番良い例なのですが、

・ミュージカル映画
・日常的な宴会の記憶

この二つって「遠い」ですよね?「飛距離」がありませんか?

レビューに関しても一緒。

・デジモンという作品
・格好良いと感じる客観的な根拠

この二つは「飛距離」があると思います。いくつかのプロセスを踏んで初めて到達できる結論だからです。

そういうわけで、フラスコ飯店で僕はこの「飛距離」をとても大切にしています。

🍜

■ おさらい

そういうわけで、レビューとコラムの違いでした。映画レビューはなるべく映画テクストの「うち」に準拠したもの。映画コラムは、映画テクストの「そと」にある自分も文脈を足してもOKな文章、というのが僕の見解です。わかりづらいですね~ごめんなさい。

複雑な場合は "一旦は" 「客観ベース」か「主観ベース」かで二分してしまっても大丈夫でしょう。


以下、いくつか補足事項というかロスタイムゲームみたいな文章が少し続きます。


・白黒つかない場合もある

レビューかコラムか。「どっちがどっち?」という質問があがるくらいですから、双方の違いはわかりづらいものです。

その理由はこの基準が「相対的」だからです。ここでは(500)日の記事を例にあげますが、これなんて非常に曖昧。僕もこれがレビューなのか、それともコラムなのかすごく迷いました。一見するとコラムなのですが、「時系列を整理して再編集する」という営みそれ自体は非常に客観的だからです。

そういうこともある。

・辞書的な定義は?

コラムとレビュー。columnとreview. これは辞書を引いても結局よく分からないですよね。結局は自分で解釈して自分で定義しないといけない気がします。(そういうわけでこの記事では僕なりの定義を書かさしてもろてます~おおきに~)

一つだけ伝えたいのことがあります。

reviewという語ですが、和訳すると「批評」という言葉が出てきますよね。しかしながら「批評」は「非難」や「酷評」とは違うということ。

ためしに大辞林で「批評」を引いてみます。

【批評】
物事の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること。

(スーパー大辞林3.0より。筆者太字)

良いことも悪いことも言うことができるのです。僕が思うに、この説明の中で最も大切なのは「考え」の部分です。

それがどうして良いのか、あるいはどうして悪いのか。その根拠を集めて考える過程が求めらえているはずです。いいや、「はずです」なんて逃げ腰の語尾はやめよう。編集長の僕はそれを求めています。


・コラムとレビュー、どっちが偉いとかはない!

まあ、見出しの通り、そういうことです。

「客観ベースでたくさんの情報を搔き集めて深くまで読解する」と「具体と抽象を行ったり来たりして混然とした文章をつくる」では勝負する土俵が違うのです。それは松岡茉優とカレーライスを比べるようなもので。

「コラムだから偉い」「レビューだから偉い」とかは無いんですね。まあ敢えて言うならば文章が面白い方が勝ちですね。


う~~~~~~~~ん。


カレー!!!!!!!

■ ここから番外編!

「映画コラムと映画レビューの違いって?」という問いに関しては取り急ぎ以上になります。何度も何度も何度も念を押しますが、あくまでもフラスコ飯店のローカルルールであり、元をたどれば川合という個人の見解であることを前提に読んでもらえれば幸いです。

さて、ここからは番外編。

フラスコ飯店は「レビュー」「コラム」以外にも「特集」「定食」というカテゴリがあります。ここから先はこの「特集」「定食」って何? ってところを解説しますね。

(まだ見ぬ未来の)フラスコ飯店のニューカマーのあなた、それから製作サイドではないけど読者としてめちゃくちゃファンでいてくれているそこのアナタはもうちょっとだけ付き合ってもらいますよ~~~🔥

■ 番外編:「特集」って?

「特集」は一つの作品に対して、3つのレビューを書く企画のこと。3つの視点から映画を見ることを目的にしています。

映画を通じて視野を広げるwebマガジン

と自らを名乗っているので、このステートメントをより色濃く反映させるために作りました。「そんな見方も、こんな解釈も、あんな読み方もありなのか!」と思って欲しかったのです。多角的な視点をより多くの人に届けることが僕たちのミッションです。

……と、大仰なことを書きましたが、あんまり記事数が無い。

サイトをオープンさせておよそ1年になりますが、

・アベンジャーズ特集
・ちはやふる特集
・her特集

の3特集しか公開出来てない。記事単位で計測してもたった9記事。要するに…………むずいんです……最高難易度の企画なのです……!

「一番大切な企画」という自負というかプライドのようなものが邪魔して満足のいくクオリティじゃないとリリースできなかったり………。ごめんなさい最後の方愚痴っぽくなっちゃった。

■ 番外編:「定食」って?

映画好きは映画ばっかり、音楽好きは音楽ばっかり、漫画好きは……。

という具合に受け取るコンテンツの媒体は偏ってタコツボ化してしまいがちな昨今です。そんな現状を少しでも打破して、より広く・より深く作品を楽しめるような企画が「定食」です。

横文字を駆使して無理矢理ひとことで言うと「クロスカルチュアルレコメンド」とかですか? 

(わっかりづらい!!!!)

閑話休題。

「定食」は、ひとつのテーマを与えられた書き手が、映画や音楽、詩や小説、漫画、論考……などなど様々な媒体から作品を選んでひとつの鑑賞セットを編みあげます。

なお、こちらも「飛距離」重視です。

「ジブリ3選!」とかだと全然面白くなくて、wikipediaで事足りてしまう。だったらいっそ「千と千尋」に合わせて舞台となった台湾のことをもっとよく知れるガイドブックを紹介したり、宮崎駿のロリコン気質を指摘すべくフェミニズムの入門書を選んで読む方が「遠く」に行ける気がする、というのが持論です。

・いやだから「定食」って何?!

という疑問の声が聞こえる気がする。お答えしましょう。実は「飯店」という語にはレストランとかそういう意味があって、架空の飲食店という設定でやらさしてもろてます。この飲食店設定ありきで、「定食」と名付けました。もしかしたらこれを先に伝えるべきだったでしょうか。すみません。

■ まいどおおきに🍜

2000字くらいに収めたかったんですけれど、3倍かかりましたね。

時間でいうなら5倍。1時間くらいで書こうと思ってたのに愚痴が出ては消し、筆が乗っていると思ったらとてつもない呪詛を吐いていたのでこれもまた消し、松岡茉優とカレーの比較で真剣に15分ほど悩み――。

けれど、ここまで読んでくれる人がいるのなら無駄ではなかったと思います。良かった。

そういうわけで本日は以上です。ありがとうございました。



フラスコ飯店 編集長, 改め「店主」の川合より



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