見出し画像

生命の起源について今分かっていること The Tangled Tree - A Radical New History of Life by David Quammen

邦訳は「生命の<系統樹>はからみあう」。書評などでよく紹介されているのは、「人の遺伝子のうち8%相当がウィルス由来」という衝撃的な一節だが、本書を読み終えるとこれに違和感が無くなる。コロナ危機の今、ウィルスを打倒すというスローガンを掲げる政治家も居るが、歴史的にみると人類とウィルスは共存してきただけではなく、人の進化の過程ではウィルスの遺伝子を取り込んでバージョンアップをしてきたという説が有力となっている(偶々本日の日経朝刊にも胎盤はウイルス由来との説が紹介されていた)。そもそも、我々の体の細胞の中で日々のエネルギーを造り出しているミトコンドリアも、元は独立した細菌の一種であり、人類の先祖が太古の昔に自らの体内に取り込み、そのまま宿主と共に進化の過程を経てきた可能性が高いということが本書では紹介されている。人類とはそもそも何ぞやという哲学的な問いを惹起するような事実が、20世紀以降の生物学の歴史の中で次々に発見されており、米国人作家David Quammen氏が、この時代に活躍した個性豊かな生物学者たちの業績を紹介しながら、生物学上の新事実を、誰がどのような形で発見して来たかにつき丁寧にバランスよく解説している。

物語の中心的な存在はカール・ウーズという米国の微生物学者。ダーウィンの進化論以来、地上のあらゆる生物が主にその外形上の特徴を基に分類され、其々がアメーバーのような共通先祖から枝分かれしながら進化して現在の形になったという考え方が主流だった。しかしウーズは火山や深海など極限状態で生存する微生物の遺伝子が通常の生物と大きく異なっていることを発見、生物の起源は一つではなく、三つの生物(細菌、古細菌、真核生物)であると提唱。主流派からは相当な反発があったものの、遺伝子解析技術が急速の発展する中で、ウーズの主張が正しいことが証明され、今では英語ではアーキアと呼ばれる古細菌が、原核生物である細菌よりもむしろ我々と同じ真核生物に近い独自の進化を遂げてきた別系統の生物であることが判明している。(彼の功績は以下2012年の追悼記事にコンパクトに纏まっている)https://www.nature.com/articles/493610a

ウーズの発表に先立つ1970年、本書でウーズに並んでひと際存在感ある登場人物、リン・マーギュリスが、我々真核生物の起源は、原核生物との共生にあるという衝撃的な説を発表し大きく話題となった。("The Origin of Mitosing Eukaryotic Cells"(有糸分裂する真核細胞の起源))。余談だが、メリルストリープのような風貌の彼女は、著名な天文学者カール・セーガンの配偶者であったことでも知られている。

共生とは具体的にいうと、たとえば植物でいえば葉緑体、動物でいえばミトコンドリアは元来別の生物体だったものが、偶々捕食された際に消化されずその体の中で生き残っただけではなく、体の一部として組み込まれ、進化の過程で一定の機能を担うようになったということである。この考え方は1905年にロシアのコンスタンチン・メレシュコフスキーという生物学者が提唱していたが、メレシュコフスキー自身が当時半ば狂人とみなされていたこともあり(性犯罪でも訴追、最後は奇妙な儀式を執り行いながらホテルの一室で自殺)、真剣に取り上げられることはなく、その後も何名かの学者がこの考え方を持ち出すことはあったものの、長い間日の目を見ることは無かった。

それを表舞台に引っ張り出したのはリンである。先ずリンの師匠ハンス・リスが既に電子顕微鏡により、細胞核の無い葉緑体の中にも遺伝子が存在することを発見、雌雄の生殖以外にも遺伝子が受け継がれる方法があることに気付き、メレシュコフスキーの考えに現実味があると考えた。リンは持ち前のオープンマインドな発想力でこの考えを発展させ、今の動植物が太古の昔に取り込んだのは葉緑体やミトコンドリアだけでなく、臓器なども元は他の生物だった可能性があると指摘。進化は自然に漸次起きたのではなく、体内に取り込んだ他生物との共生が急激な進化を可能にしたとの仮説を上掲著書で打ち出した。本著にはその仮説を裏付けるデータが殆ど記載されていなかったにも拘わらず、分かりやすい図解を盛り込み多くの読者の注目を集め、その後の生物学の研究に大きな影響を与える。この仮説の肝の部分は上掲ハンス・リスが講義で触れていたという同級生の証言も紹介されていたが、いかに有用で先進的な研究であっても、世間に受け入れられるかどうかは、発表のタイミングと方法次第ということだろう。リンはそのオープンな性格も幸いし、その後も世界の注目を浴びる生物学者として活躍、1999年にはアメリカ国家科学賞を受賞した。その後、リンは地球自体が一つの生命体というガイア理論を支持したという。

一方、本書の中でもう一人注目すべき人物として紹介したいのがフォード・ドリトルである。ドリトルはウーズと交流のあった分子生物学者。データの裏付けなく仮説を大胆に打ち出したリンと対照的に、多くの生物の遺伝情報を調べ、生物学的にはつながりの無い種の間で共通する遺伝子を多く発見。葉緑体やミトコンドリアに限らず、様々な遺伝子がウイルスなどを媒介し生物間で転移してきたと主張。人類はダーウィンの提唱するような、一つの樹の幹から枝が分化するような形で単純に進化してきたのではなく、異なる生物同士の遺伝子が入り混じってきて今の形になったとし、ダーウィンのTree of lifeの考え方を否定した。

ドリトルの考えるTree of lifeを図に表すと以下のような形となる。

画像1

以上が本書の主な流れであり、人ゲノムプロジェクトや、CRISPRによる遺伝子編集技術の急速な発達のことも軽く触れられているが、本書のメインテーマではないということで深くは触れられていない。あくまでもここ100年の生物学の発展を、主要な生物学者の個人史や、各々が互いに与えた影響にフォーカスしながら記述するというスタイルを取っており、結論めいたものが出されていないのも本書の特徴。サマリーを眺めるのではなく、じっくり時間を掛けて読むのに適した本ではないかと思う(神は細部に宿る)。

ところで、アマゾンの書評の中に、本書は「利己的な遺伝子」で有名なドーキンス博士を巧妙に避けているとの指摘があった。利己的な遺伝子とは平たくいうと、これまで生存してきたのは生物そのものではなく、遺伝子が適者生存で来た結果が今であるという、いわば進化論を遺伝子のレベルに落とし込んだ、世の主流の考え方の一つだが、確かに本書では殆ど触れられておらず、どうしてなのかなと思った。すると今月の話だが、ドーキンス博士が自らのツイッターに本書を推薦しているのを偶々発見。この本の内容に違和感がないというだけでなく、人類は共生し合う遺伝子の集合体のようなものではないか(今後の実証が待たれる)とも述べており、利己的な遺伝子的な考え方に本書の内容はマッチすると考えているようだ。(Quamenn氏自身はどう思っているのだろうか?)


最後に、本書では日本の医学者「渡邊力(わたなべつとむ)」の功績にも触れている点を紹介したい。渡邉は結核の治療に効果のある抗生物質ストレプトマイシンを投与し続けると、体内に存在する複数の菌にストレプトマイシンへの耐性が生じるが、それは異なる菌の間で耐性をもたらす遺伝子が転移するためであることを発見した。遺伝子は転移するという、ドリトルに至るまでの考え方の幹をつくる重要な発見として紹介されている。(ネット上でも渡邊の1954年の論文を閲覧することができる)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsb1944/9/5/9_5_349/_pdf/-char/ja


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?